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夫が帰ってこない理由

この時間になっても、夫が帰ってこない。
久しぶりのことだ。
よほど盛り上がっているのだろう。

ちょうど1ヶ月前の1月4日。
お互いの実家にも帰らず、ひたすらグダグダとしたお正月休みをもて余していた我々夫婦は、「歩かなすぎて脚もだるくなってきたし、さすがに今日くらいはどっか行こっか」となった。

どっか
と言っても、この雪と気温とでは選択肢は少ない。

最低5000歩くらいは歩けそうな暖かいところ。
極力外には出ないでなんでも済ませられるところ。

以上の条件から決まった行き先は、大型の複合商業施設。
ここには、年に1回行くか行かないか、いや、2年に1回くらいしか行かないかもしれない。
エリア別になかなか多くのお店が入っているけどアウトドア用品や玩具などが多く、私達夫婦が最もうろつきたい本屋がないので滅多に脚が向かない場所の一つ。
なぜそこになったのかはわからないけど、私達はなにはともあれ「歩きたかった」ので、とりあえず着替えて出かけた。

到着して、ブラブラと歩く。
別段行きたいお店や興味のあるものはなかったので、あっという間に飽きる。
そして、たいして歩いてもいないのに、胃に何も入れて来なかったせいで腹が鳴る。
仕方がないからレストランのエリアへと向かった。

レストラン街の前は天井のバカ高い広場のような造りになっていて、夏はハワイアンショー、12月にはおっきなクリスマス・ツリーが飾られるイベントスペースとなっている。
その日も簡易ステージが設営されており、何らかの催し物が行われるようだった。

私が食べ物屋の店先で自分の腹具合に見合った何かを探してる間に、夫がどっかにフラフラいなくなった、と思ったら今まで見たことないようなキョトン顔で戻ってきた。

「そこのステージで、尺八の演奏するみたいなんだけどさ、吹くのが俺の高校大学時代の友達かもしれない」

と言う。

ステージの前まで行ってみると、看板には袴姿の男性の写真と、名前が書いてあった。

「この人が、同級生なの?」
「たぶん。名前一緒だし、写真見る限りあいつだ。」
「昔から尺八やってたの?」
「聞いたことないな。楽器とかバンドやってたのは知ってたけど。」
「そんなに仲良くない人?」
「いや、大学でも同じ学部だったし、よく飲みに行ってた。就職してからも何回か会ったし。」
「いつから会ってないの?」
「8年ぶりくらいかな。俺のLINEが乗っ取られて、アカウント消したら連絡先わかんなくなってそれっきり。」

そう話しているうちに、ステージが始まる5分前になっていた。

「せっかくだから、聴いて行こうよ」

ステージ向かって右側の、前から3列目くらいの席に座り開演を待つ。

袴姿のスラッと背の高い男性が、引き締まった表情で壇上に立った。
横目で夫を覗き見ると、目尻が下がりマスクの下では必死に笑いをこらえている。

「どう?」
「間違いない。トオルだ。あいつ、何やってんだよ。何なんだこの状況は。」

そもそも、夫の地元は札幌から300km以上離れた道東の街である。
その地元のしかも仲の良かった友達に、2年に1回しか来ない場所で、しかも演奏者と観客として演奏する5分前にここに居合わすって、ナニソレ?

お正月といえばこの曲「春の海」から演奏がスタート。
尺八、篠笛に合わせてピアノ演奏も加わり、フロアは一気にお正月の雰囲気に染まる。

日本の伝統曲やジャズ、邦楽のバラード、ルパン三世のテーマ、スパイファミリーの主題歌まで。
約40分程度の演奏が終わると、座席からも広場の他の場所からも大きな拍手が沸き起こった。

「いいもの聴けたね。ほら、行きなよ」

当然、演奏が終わったトオルさんのところへ行くものだとばかり思っていた私は、夫の横腹を肘で小突いた。

「いいよ、行かないよ。」

なんの遠慮か、恥ずかしさか知らないが、何度行けと言っても行かぬの一点張り。

お互いにイライラしながら「いいから行きなってば!もう会えないもしれないんだよ!!」と強引にステージまで押していった。

ステージで撤収しかけていたトオルさんを見上げ、夫は「よぉ」と声をかけてマスクを外した。

途端、トオルさんは袴のまま目を見開き、膝から崩れ落ちた。

「えぇぇぇーー!!なんでぇぇーーー!?」

驚きの再会をした二人は、その場で膝が崩れ落ちた姿勢のままLINE交換。
袴の襟元からスマホがニョキっと出てきたのを見て「そんなとこから出てくんのか」と思いつつ、二人を微笑ましく見守った。

「近々、飲みにでも行こうよ」

の約束が、一ヶ月後の今日というわけだ。

今朝、出掛けに夫が突然「この前は袴だったからわかんなかったかもしれないけど、あいつさ、めちゃくちゃ脚長いんだよ。」と言いだした。
身長180cmで、普段からユニクロのパンツでは長さが足りないと嘆く(自慢する)夫がそう言うもんだから、「え?あなたより長いの?」と聞くと、「俺より断然長い。あいつの自転車のサドルがバカみたいに高くて、誰も乗れるヤツいなかったんだよ。」と笑った。
見ると、普段はめったに履かない脚長に見える細身のパンツに、胴長に見えないようなシュッとしたニットを着てニコニコしていた。

あぁ、嬉しいんだな。
これは夫なりにはしゃいでるんだな。

日付がかわりそうだ。
でも、まだ夫は帰らない。

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