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シリーズ人間 在メルボルンDJ 今成柔術所属 清水健之介さんインタビュー 其の二

みなさんありがとうございます。
今回も好評のシリーズ人間 清水健之介も第二回。
今回は大学生時代から社会に出て
音楽に仕事にと奮闘する健さんのお話を
お聞きください。

第一回はこちら


ー  それで大学はどうしたんですか?。

ケン 上の大学上がるのは通知表がオール4とかじゃないと無理で

   自分はだいたい2か3で、遅刻日数も多すぎたんで全然だめでしたね。

   半分以上は遅刻でしたし。

   だから大学受験はちゃんと勉強しましたよ。

   それでいくつかはなんとか合格したんですけど、

   進学先選ぶ段階で、高校が楽しすぎてそれは自覚してたので、

   「このままここにいたらだめだろうな」と思ったんですよ。

   それで友達が大体早稲田とか上智に行ったんですが、

   自分は一人だけ違うとこに行ったんですよ。

   結果、外に出て揉まれたから

   そこは当初の目論見通りで良かったんですけど

   楽しすぎる環境から進んで外に出た結果

   大学は全然楽しくはなかったですね。

ー  音楽はサークルで色々がんばって

   楽しかったんじゃないですか?

ケン いやサークル自体は楽しかったんですけどね~。

   一生懸命やってたんですが楽しくなかったですね。

ー  どっちなんですか。(笑)

ケン いや総じて言えばですよ。(笑)

ー  大学でも最初はバンドやってたんですよね。

ケン バンドはバンドで一生懸命やってたんですよね。

   でもバンド以外は全然楽しくなかったんですよね。

   上からみたいな言い方になってしまうんですが

   入学式の日とかに、

   高校の時にまじめにやってたであろう人たちが

   解放されてるのを見てしまうんですよね。

   毎日飲み会したりとか、

   女の子と遊んだりとかしてるじゃないですか。

   なんでそんなに楽しそうなんだろうと思って。

   自分にしたらそれももう通過した事だから、

   幼く見えてしまうんですよね。

   この間、高校の時の友達と話したら

   大学入った時に同じ様にみんな思ってたみたいですね。

   こっちはそういうの終わって、

   一段上の経験をしていきたいのに

   なんでみんな一段下のそこで

   やってんだみたいに思って。

   そんな風に思ってるから

   結局友達は一人もできなかったんですよ。

   こっちとしても大して友達になる気もないし、

   周りの人もそんな奴の相手したくないですよね。

ー  サークル内ではいたんじゃないですか?

ケン バンド仲間はいましたけどその辺も今思うと、

   本当の意味では馴染むことはなかったのかもしれないですね。

   自分も取り繕ったり殻に籠ったりしてしまっていた部分も

   あると思うんですけどね。

   その時のバンド仲間とは結局卒業してから

   ほとんど集まってないんですよ。

   高校の時の仲間は年に数回は会ってますけど。



その今でも仲いい高校の仲間たち


   バンドは良かったんですけどね。

   毎年一生懸命やってた

   文化祭でのライブとかは思い出深いですよ、

   特に4年の頃は自分たちの演奏の質もよくて。

ー  バイトとか就職に向かってとかはどうしてたんですか?

ケン 大学3年くらいから新聞社でバイトしてたんですよ。

   で、出版社に行きたくて。

ー  音楽でやっていくとか音楽系に就職とかは?

ケン そういうのはなかったですね。

   音楽で食っていくということがもしあるにしろ

   まず仕事しないと、というか難しいと思ってたんで

   そこは冷めてましたね。

   最初は働きたくないから大学院行きたかったんですよ。

   哲学書ばっかり読んでたのでそういう勉強したくて。

   けど大学3年くらいの時、両親に相次いでガンが見つかって

   自分が弟2人いるからもしかして

   両親2人いなくなったら働かないとなと思って。

   弟は3歳下と5歳下で。

   それで当時はその新聞社と、あと進路の希望に合わせて

   ○○社という出版社でバイトしたんです。

   そこで働いて結局そこで分かったのは、

   小さい会社は人間関係間違えると地獄だなという事ですね。

   その小さい○○社は4人しかいなくて4人全員仲悪くて

   社長と、その息子と、事務のおばちゃんと、

   大学院生と自分で。

   たぶん社長は事務のおばちゃんとつきあってて

   社長にいつもむちゃくちゃ息子がどなられてて

   息子は息子でそんなん知らねえよって感じで

   大学院生の人と飯行って「早くやめた方がいいよ」

   って言われて俺もそう思いますって即答して。(笑)

   それで就職本番で

   講談社とか小学館とかは当然落ちて、

   ロッキンオンとか有斐閣とかは最終面接で落ちて、

   さあどうしようって思ったときに、

   これ以上小さい出版社にするのはやめとこう

   と思って✕✕に入ったんですよ。

   あと、DJ仲間の人に誘われて

   イーストプレスっていう出版社でもバイトしてました。

   イーストプレスでの仕事はめちゃくちゃ忙しかったけど

   楽しかったですね。

ー  ✕✕っていうのは本の卸ですよね。

   そうですね。

店  食器下げますね~

ー  じゃあランチも終わるので移動しましょう

   (トルコ料理屋を出て喫茶店らんぶるに移動)

ー  さあそして一発らんぶるの思い出おねがいしますよ



新宿の名店喫茶らんぶるでちょっと復活


ケン そうですよドゥースラーで10時くらいまで遊んで

   寝ないでらんぶる来たりしてましたね。

ー  お~青春ぽいですね。

ケン 青春ですね~。

   日曜日は新宿は歩行者天国じゃないですか。



朝まで飲んで勢いで青春するケン清水と仲間

ー  そうですよね

ケン だから土曜日一晩中DJして5時とかに一応終わりなんですが

   そのままやり続けたり、終わった後も話したりして、

   どっか移動したりちょっと寝たり

   蕎麦食べたりして10時位に外出て

   歩行者天国歩きながら

   太陽の陽を浴びたら元気になった気がして、

   そのままコーヒー飲みにきたりしてましたね。

   多い時は毎晩の様に。



朝まで飲んだ勢いで青春するケン清水と仲間たち2


ー  さあそして✕✕に就職とこからですね。

ケン ✕✕には2009年入社ですね。

   仕事は何も面白くなかったですね。(あっさりと)

   親の健康の問題がなければ

   たぶんすぐやめてたと思いますね。

   やりたかったのは音楽だったから、

   仕事の事はほんとどうでもよかったんですよね。

   仕事が20時とか21時には終わって、

   帰ってから着替えて22時から街に繰り出したりとか。

ー  高校生みたいですね。

   でも仕事やめるまでには踏み切らなかったんですね。

ケン 親の事が一番なのと、

   仕事しながらでも音楽をやる事には支障はなかったので。

ー  ケンさんがブログで書いてた

   映画のサンプルもらったりというのは

   どういういきさつだったんですか?

ケン あれは最初に✕✕でやったのがDVDの仕事だったんですよ。

   実際、本の仕事がしたいって言って本の卸に入ったのに、

   本の仕事した事1回もなくて。

   で、最初はDVDをメーカーから仕入れて

   ○○○屋とかの書店に卸す仕事だったんです。

ー  それは本じゃなくてその部署になったから

   仕事がつまんなかったということですか?

ケン それは結局どこでも同じだったと思いますよ。

   例えば、DVDで言うと知られてないけど

   面白い映画をみんなに知ってもらおう

   みたいな仕事だったらむちゃくちゃ楽しめたんじゃないか

   と思うんですけど。

   ブログにもそういう記事を

   ちょこちょこ書いてたんですけど、そういう面白いものを

   人に伝えようとすることは好きなんですよね。

   けど結局卸の仕事は

   一番売れる映画を、どれだけ多く書店に仕入れてもらえるか

   っていう仕事なんですよ。

   だから知られてないのを、面白いんですよって熱弁しても、

   そんなにいうなら1枚仕入れますよとかって言われて

   それが半年間棚に置かれて戻ってくるみたいな事ばっかりで。

   この仕事はその繰り返しって事に

   入ってすぐに気が付いてしまいまして。

   メーカーからこういう映画がありますって資料に

   メーカーの仕入れの提案数が入ってるんですよ。

   それを上司にそのまま渡して、

   それをいくつかのメーカー分資料にまとめて、

   それ持って商談に行ったらほぼそのまま、

   じゃあそれでお願いしますって感じで注文受けて。

   後、本当に嫌だったのは、

   月に1本、今月はこれが人気作品なのでこれを売りましょう!

   みたいな目標があるんですが、

   会社の売上を作る為にその目標は絶対に達成されるんですよ。

   こっちは卸だからむりやり小さい本屋とかにも

   営業が押しかけてハンコ押してもらって。

   それで、当時小金井の自宅のそばにあった

   おじいさんとおばあさんのやってるような本屋があったんですけど、

   そこは雑誌がジャンプが1冊しかないとかで全然ものがなくて、

   それは売れないからもう配本が極限まで

   減らされてるっていうことなんですけど、

   そんな本屋にある日行ってみたら

   自分の部署のむりやり売ったワンピースのDVDが

   レジの脇に置かれていて。

   そういうDVDは返品できなかったりするから、

   そのまま本屋さんの損になっちゃうんですよね。

   ほんとはそういう本屋さんを助けるべき仕事のはずなのに

   そこを喰い物にするような事してるな

   って仕事に対してすごい冷めちゃいましたね

   その瞬間に。

ー  冷めっぽいですね。

ケン いやそれはやっぱり仕事として面白くないですよ。

ー  でも最近まで働いてたんですよね。

ケン それでそのDVDは1年半やって検定事業に移るんですよ。

   その事業は、最初は英検とかを本屋さんで受け付けてるのを集約して

   協会に送るという事業だったんですが

   京都検定っていうのが昔流行ったじゃないですか。

   そういうのをうちもやりたいっていう協会

   とか自治体とかがいっぱいあって

   そういうところから業務を丸ごと受託する

   っていう事業を先輩が手掛けてたんですね。

   それでそこの部署に異動になって自分も一緒にやってました。

   しばらくは検定の運営だけをずっとやっていたのですが、

   そのうち、検定やるのとイベントやるのは一緒だなって話になって

   文具女子博とか赤レンガ倉庫でパンのイベントとか

   やるようになりましたね。



赤レンガ倉庫でパンのイベントでがんばるケン清水


ー  文具女子博は一大イベントですよね、

   文具メーカーの女性の営業さんは 

   大体行ってるって言いますもん。

ケン そこにDJでやった事も結構生きてきてるなと思って。

ー  それはどのように?

ケン 結局やる事一緒なんですよ。

   音楽イベントやるのと。

   人揃えて座組揃えて告知宣伝して。

   そういうのは就職しながらも

   自分でイベントやってたんで同じだなと思って。

ー  それで親御さんはその後どうだったんですか??

ケン 元気になっておかげさまで今も健康ですね。

ー  それでDJ100本やる様になっても

   音楽でやっていくという気持ちに

   ならなかったですか?

ケン 逆に100本やっても小遣いの足しになるくらいしか

   稼げなかったので

   それで生活するのは無理っすよね。

   それこそ柔術家と似てますよ。

   柔術の試合してファイトマネーだけで稼ぐのは無理じゃないですか。

   試合で名前売って道場やったり教則売ったり

   試合は名前を売る手段で。

   DJもそれだけで生活してる人は少なくて

   曲作ったりイベントやったり音楽制作の会社作ったり広告やったり

   音楽の周りで生活してる人はそれなりに多いんですけど

   DJ一本で生活してる人はほとんどいないんですよ。

ー  ケンさんがやってたspace of bassっていうのは

   DJの2人組だったんですか?

ケン 詳しいですね!(笑)

   そうです、2人組で。曲作ってどっかのレーベルでリリースして  

   羽振りよくなったらと思ってたんですが

   中々うまくいかなかったですね。

   作ってた曲は今聴いても荒削りだけど悪くないと思うんですけどね。

   そうこうしているうちに相方が仕事をやめて

   実家にかえっちゃったりして自然消滅しましたね。



いろいろあったspace of bass

ー  ブログで仲間が就職するので

   今度のイベントで最後という事が

   書いてあったりしましたね

ケン そういう事は多かったですね。

   熱量を持って続けることは難しいですよね。

ー  音楽は楽しく付き合う物で仕事ではなかったんですね。

ケン 仕事にしようとするとバランスがおかしくなることが

   ほとんどだと思いますよ。

   それでも自分はだいぶスキルも経験も

   積めた方だと思います。

ー  ケンさんみたいな人もいっぱいいるんですか?

ケン 自分より音楽の比重が多い感じで

   何十年もやってる人もいっぱいいますよ。

   日本国内で有名DJと言われる

   ほんのちょっとの人以外はみんなそうですよ

   格闘技もそうですよね。

   ピラミッドの一番上のほんのちょっとの人だけが

   ファイトマネーで食えてて

   そこから下の人はジムやったりバイトしたりその辺の人から、

   後はその下に純粋に趣味でやってる人がいたりして。

   劇団員とか芸人とか芸で身を立てるジャンルは

   大体みんなそうですよね。

ー  それで今海外に出るって言うのは

   どういういきさつなんですか?

ケン なんとなく昔から日本出たいなというのはあったんですよ。

   でも現実的には全然考えてなくて。

   DJもイベントもずっとやってたんで

   そっちに一生懸命だったし、一応仕事もあるし、

   20代の頃はずっと彼女もいたし、

   あんまり全部をリセットしてしまおう

   っていうタイミングはなかったですね。

ー  そうやって過ごしていたのが、なんで急にこの年になって?

ケン さすがにもう仕事やめたいなと思ったんですよ。

   長くいると社内の人間関係も淀んできちゃって。

   このままだとおかしくなると思うことがたくさんあって。

   それで親とかにも仕事やめようと思う

   って話してどうしようかなって考えてたんですが、

   よく考えたら元々会社入って

   仕事続ける一番の理由だった親もまだ元気で、

   幸か不幸かコロナで音楽でやってることも止まってるし、

   格闘技で身体が動くうちに海外で思い切り練習したいし、

   DJも海外でずっとやってみたいなと思ってたし、

   今海外行くのめちゃくちゃいいんじゃないか?って思って。

ー  日本と海外はDJにとっても違うんですか?

ケン 海外の人って音楽との距離感が日本とは違うじゃないですか。

   日本の人ってクラブ行くってあまり身近なことではないですよね。

   でも海外では飲みに行こうかってふらっと行ったりするんですよ。

   個室の居酒屋がなくて、オープンなレストラン/バーが基本なので、

   そういうところとクラブはそんなに境界がないんですよね。

   それで、海外に行こうと2年前くらいに決めて、

   最終的に1年前に会社をやめました。

   その後は多少給料もらいつつ引き継ぎや残務処理、

   後はちょこちょこフリーランスで仕事もらって

   というのがこの1年ですね。

ー  まあ晴れてオーストラリアですね。

   家はどうするんですか?

ケン シェアハウスを押さえてますね。

   道場と学校に間くらいの家にしました。

ー  航空券はいくらでしたか

ケン 片道で十数万でしたね。

ー  片道なんですね

   次日本帰ってくるのは未定ですか?

ケン 何があっても来年の夏には一旦帰ってこなきゃいけないんですよ。

   ビザとかあるので。

   その時にどういう状況になってるかは全くわからないですね。

ー  ありがとうございました。聞きたいことはだいぶ聞けました。

ケン 22歳からの加速度がすごかったですね。

ー  そしたらここからはケン清水の

   俺と格闘技ということで一席お願いします。

   始めたのは30歳くらいですよね。

ケン そうですね。

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ということで今回も残念ながらここまで

次回はケン清水の俺と格闘技です。

ご期待ください!




清水 健之介

1986年生まれ
2007年より渋谷、新宿を中心に都内各所でDJとして活動。
2018年に自身のレーベルDouble Half Doubleを立ち上げ2枚のEPをリリース。
ブラジリアン柔術青帯。今成柔術所属。
2022年UWWグラップリング世界選手権77キロ級日本代表。

note (毎週の日記と文章、写真を公開していきます)
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mixcloud (1時間ほどのDJの録音がたくさん聞けます)
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Double Half Double (自分のやってるレーベルです。曲聴いて買ってください)
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