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シリーズ人間 在メルボルンDJ 今成柔術所属 清水健之介さんインタビュー 其の一

さあおまっとさんでした。
ほめてくれる人はほめてくれるシリーズ人間
今回は2023年に36歳にしてオーストラリアに旅立った清水健之介さんに
お話を伺いました。
第一回は格闘技を始める前のDJ時代と
幼少期から高校生の時の思い出のお話です。

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(村田が待つ店に入る清水健之介)

清水健之介(以下ケン)いやーこの店ですか~。

ー  なんですかだしぬけに。

ケン この店(ビルの2階にあるトルコ料理店)の前を

   何回も通ってこのビルの5階のドゥースラーという店に

   ずーっと通ってたんですよ。

   村田さんがトルコ料理っていうから

   もしかして思ったんですが。


そのトルコ料理屋 うまいです。


   ドゥースラーは一番行ってる時期は

   毎晩の様に行ってる店だったんですよ。

   終電ギリギリまで飲んで、

   ふらふらになって中央線乗って

   高尾まで行っちゃったりしてっていう場所です。

   月に2,3回はDJもさせてもらってて。

ー  ブログに書いてありましたね。
  
   ケンさんのブログに。

   ツイッターとインスタも今日の為に

   全部みようとしたんですが無理でしたね。

ケン (笑)

   それは厳しいですよ。

   ツイッターは学生の時からやってましたもん。

   ツイッター始めた時はまだミクシーもやってましたね。

   最初はバンドやってて、

   先輩に告知で使えるからツイッターやれって言われて始めたんです。

ー  ブログにはバンドのことは書いてなかったけど

   バンドもやってたんですね?

   そもそもDJはなんで始めたんですか?

ケン それはあれですよ。。。

   店入ったばっかなのに

   もう始まってますねこれ。(笑)

   学生の頃まではバンドしかやってなかったんですよ。

   高校の時は野球部もやってたんですが

   バンドに1番力を入れてました。

   高校は軽音部で、大学ではサークルで

   コピーバンド組んでボーカルをずっとやってたんですよ。

   レイジアゲインストマシーンとかが一番得意だったんですけど

   あとはリンプビズキットとかやってました。

   それでバンドやってるとオリジナルやろう

   って話になるじゃないですか。

   高校の時は2002~2005年ですね。

   生まれたのは1986年です。

ー  音楽はどういうきっかけで好きになったんですか?

ケン 中学1年の時にマリリンマンソンのライブアルバムを聞いてですね。

   それまではマイケルジャクソンと

   あとはダパンプとかドラゴンアッシュとかが

   自分の中の音楽だったんですよ。

   そこでマリリンマンソン聞いて何かが目覚めて。

   それで色々聞くようになって

   高校入ってすぐコピーバンド始めたんです。

   で、しばらくやってたんですが

   いざオリジナルやろうって時に

   歌詞もメロディーも全然うまく書けなくて挫折を味わったんですよ。

   楽器もそんなにうまくできなくて。

   オリジナルバンドは何回か色々なメンバーで


   チャレンジしたんですが結局一個もうまくいかなくて。



バンドやってたケン清水


ー  バンドやってるだけですごいですよ。

   僕なんて音楽の素養がないですから。

ケン それでDJを大学入ってから始めるんですよ。

   バンドって言うのは最低でも3人いるから

   段々難しくなってくるんですよね。

   ある程度同じ熱量を持って

   予定を合わせてやっていかなきゃいけないんですから。

   それでもやっぱり音楽はやって行きたいなと思って、

   段々1人でもできるDJに力を入れていくようになったんです。

ー  それはケンさんはバンドに力を入れてやっていきたいけど

   周りが仕事を優先したりということですか?

ケン まあやってみたけど

   うまくいかなかったのもあるし、

   いざメンバー探してみても

   なかなかみつからなかったりもあるし

   ポシャった話はたくさんありますよ。

   バンドはずっとやってたので

   最優先ではあったのですが

   やっていくうちにDJも世界が広がってきて

   どんどん面白くなりました。

ー  それでDJやるようになって多い時は

   毎週の様にやってたという話じゃないですか。

   今は多分そこまではやっていないと

   思うんですけど、何か理由があるんですか?

ケン そうですね。

   音楽自体はもちろん今でも大好きだし

   これからもずっとやっていきたいと思っているんですけど

   音楽活動には少し疲れてしまったというのが

   大きいかもしれないですね。

   人が遊びに来るようなイベントを作る

   という事って本当に大変なんですよ。

   一般的な生活をしている人だと

   クラブに行くことって1年に1回もないような

   すごく特別なことだと思うんですよね。

   そもそもライフスタイルも普通とは違うじゃないですか。

   夜中まで騒いで朝まで酒たらふく飲んで

   というのを日常的にやってるので。

   なんですけどイベントっていうのは

   毎週東京の各地のクラブで開催されていて

   主催者もDJもできるだけたくさんの人に

   来てもらいたいと思っている。

   そうするとDJやってる人とかクラブ遊びが好きな人とか

   そういう限られたところでの集客がまず大事になるんです。

   そのためには繋がりのあるパーティに遊びに行って

   フライヤー撒いたり声かけあったりするような営業活動だったり

   そういう現場での打ち合わせみたいなのが

   結構重要になってくるので

   毎夜毎夜都心に繰り出していくことになるんですよね。

   もちろん自分も好きでやってるわけだから

   そういうの抜きにして遊びにいきたいと思う

   イベントもたくさんあるし。

   だから、朝までお酒を飲むことも多くて、

   へべれけになるまで飲んで始発乗って

   昼間に電車の中で目が覚めると

   山奥の森の中にいた。。

   とかっていう生活をしてましたね。

   酒の飲み方もあんまりよくなくて、

   もう今は全然お酒飲まないんですけど、

   当時酒を飲んではころはとにかく酔っ払うために飲んでたんですよ。

   お客さんに酒飲んで盛り上がってもらうためにDJするんだから

   こっちが素面だったらお客さんは冷めるだろう

   っていう信念みたいなのが当時あったので。

   お店に着いたらまずウーロンハイをガーッと飲んで、

   その後もそのままずっとウーロンハイを何杯も飲み続けるみたいな。

   で、酔うために酒を飲むんだからやっぱり酔うんですよ。



酔うケン清水


―  問答みたいですね。(笑)

ケン 当然の事なんですけどね。(笑)

   だから飲むってなると確実にヘロヘロになって帰るんですよ。

   そういう生活を続けてて、もちろん音楽は今でも好きなんですけど、

   ある時に人間関係がぐちゃぐちゃになる事件があって、

   それも含めて冷めちゃったというか

   なんのためにやってるのか分からなくなってしまった

   感じになってしまいましたね~。

ー  ケンさんのブログみたら

   2010~2011年がむちゃくちゃブログ更新してるんですよ。

ケン その頃は確かにむちゃくちゃDJやってましたけど、

   多分一番やってたのはもう少し後ですね、

   多い時は年に100本以上やってましたよ。

   土日平日関係なく、一日2本とかもやったりして。

ー  それは友達同士で回すようなのもあるだろうし

   ちゃんと報酬を貰える仕事もあるだろうし

   それはまちまちだったんですか??

ケン まちまちですね。

   DJの中にはちゃんと自分でコントロールして

   いくら以上もらえないとやらないという人もいて、

   月2、3本とかに絞ってる人もいるんですけど、

   当時の自分はそうではなくて、

   色々な環境でDJやる事がレベルアップにつながると信じて

   どこでもなんでもという感じでやってましたね。

   よく分からない富豪の家に行ったこともありましたよ。

   ホームパーティで二子玉川か田園調布か忘れましたけど

   そのあたりの住所貰って行ったところが

   ほんとにバカでかい家なんですよ。

ー  DJとかやるような雰囲気じゃないんですね。(笑)

ケン ほんとそうで当時の自分からしたらけっこう年上の

   30~40代の人が20~30人いて酒飲んでるんですよ。

   そこで

   「じゃあここでやってください。」

   とか言われて

   小さいコーヒーテーブルみたいなのの

   上に機材がぽつんと置かれてて、

   かがみながらじゃないとDJできなくてすごい腰痛くなって。

   カネ貰えたから良かったけど、

   二度とこういう仕事はしたくないと思いましたね。

   向こうからしたら金出してやってる感じで、

   全然こちらへのリスペクトがなくて。

   今思えば当たり前なんですけど、

   ノリ的にはコンパニオン呼んだみたいな感じなんですよ。

   こっちはアーティスト気取りじゃないけど

   多少でも何かを見せたくて行ってるのに。

   後はよくわかんないIT系の稼いでそうな人の

   結婚式の二次会とかは多かったです。

   どっかの美容院の〇周年パーティとかもありましたね。

   で、そういうのはお金ちゃんともらえるやつですけど

   友達の付き合いでやるやつが圧倒的に多いですね。



そんなに酔ってない時のDJ


   ブログは自分のやっていること、

   やりたい事を表明することが

   DJとしての自分の地位の確立につながると思って書いてましたが、

   その後現場が増えて忙しくなってからは

   ブログ更新する暇もないし

   書かなくても仕事入ってくるし

   わざわざ書くことがない現場も増えてきて、

   なかなか書かなくなってしまいましたね。

ー  健さんは1986年生まれだから、

   ブログ更新しまくってた時期は大学出て2年目ぐらいですね。

   大学では何勉強してたんでしたっけ?

ケン 文学部ですね。

   勉強はしてましたけど基本的には音楽やってましたね。

   本読むのが好きで哲学書ばっかり読んでましたね。

   フーコーとかニーチェとかジョルジュバタイユとか

   ドゥルーズとか好きでした。

ー  名前を聞いたことはありますね。

   読もうとして大体途中で挫折しましたけど。

ケン (笑)

   専攻としては社会学とか文化人類学を勉強してたんですが、

   文化人類学って実践主義の学問なんですよ。

   それとは逆で本ばっかり読んでたから、

   考えてないでとりあえず現場に出ろ

   ってゼミの教授によく怒られましたね。

ー  卒論とか研究とかはしたんですか?

ケン 一応音楽が好きだったからフジロックに行っていろんな人に

   話を聞いて卒論にまとめましたよ。

   フェスが人生についてどんな意味があるのかとか。

   でもそれをこねくり回しちゃってまた先生に怒られて、

   結局面白い物にはならなかったですね。

   卒業も結局最後はギリギリでしたね。

   卒業式も行かなかったし。

   高校が楽しすぎたんですよね~。

ー  遡りますがケンさんは生まれたのがアメリカですね。

ケン そうですニュージャージーですね。



ニュージャージー時代の母とたまのようなケン清水


   それで9歳くらいで埼玉に来ました。

   中学は秋山さん(今成柔術の秋山実 リングネームはゴリる)

   と同じ新座二中です。

   高校はICUです。国際基督教大学の。

ー  は~。

ケン その高校が良かったですね。

   入った初日瞬間から楽しすぎて

ー  シャブじゃないんですから。(笑)

ケン 私服で何着ていっても良くって中学の友達は1人もいなくて。

   海外からダイレクトの帰国子女が学校全体の60%で、

   もうちょっと帰国子女濃度が低い人たちが20%くらいで、

   日本の学校から受験して入った人が20%くらいで、

   みんな別々の地域から通ってましたね。

   出身国では、アメリカが多いけど

   あとはアフリカ南米ペルー中国とかもいましたね。

   今は多分中国とかの人が多くなってますよ。

   みんな親の仕事で結局来ますから。

ー  ケンさんの親御さんのお仕事は?

ケン もともとソニーですけど今は地元のガス会社で働いてます。

   ソニーで働いててアメリカ行ってソニーの辞令で日本に帰ってきたら

   あまり面白くなかったらしくてやめちゃって。

   それが中学生くらいのときですね。

   ばあちゃんが死んじゃった時に

   色々考えて地元で働くことにしたみたいで。

ー  それで高校は1日目からなにがそんなに楽しかったんですか?

ケン 中学がそんなに楽しくなかったんですよね。

   一般的な公立の中学で。

   めちゃくちゃ怒鳴る先生がいて

   友達が自殺しちゃったりとか

   バイクで事故で死んじゃったりとか


そんな楽しくなかった新座二中時代のケン清水


ー  悪い中学だったんですか?

ケン 極悪ではないですが品行方正でもなかったですね。

ー  バイクで校庭走り回ったりとか?

ケン そこまでではない位の悪さですね。

   とんでもない感じじゃないですけど。

   今から思うと楽しくなかったんですよ。

   自分はとにかく音楽が好きでまず

   みんな同じ制服っていうのがいやだったんですよね。

   軍隊みたいに整列させられて。

   それが高校は私服でみんなワイワイきゃぴきゃぴしてて

   雰囲気が違う感じですよね。

   まずその雰囲気が良くて、友達もできたし、かわいい子もいたし、

   特に何かあったわけじゃないけど、ああ楽しいなって。

   それで、思い出しましたけど、

   高校に入るころに中学の友達はIWGPみたいに

   カラーギャングみたいになってくんですよ。

ー  猪木の手にしたベルトを目指すんですね。

ケン ドラマの池袋ウエストゲートパークですよ。(笑)

   そういう風に中学の友達がなっていって

   それで高校の初日にお前も入らないか

   って電話で誘われたんですよ。

   家はずっと同じ新座だったから。

   でもほんとに高校が初日から楽しすぎたんで

   おれはいいやって断ったんですよ。

   家は同じだからそれを選ぶ選択もあったんですが

   もういいやって。

   それで高校の頃はバンドやって

   彼女作って学校の近所の公園でタバコ吸って酒飲んで麻雀やって

   授業ほとんど出ないで。。。

   タバコ吸って。(笑)

ー  一周しましたね。(笑)

ケン 野球部も入ってそれはちゃんと出てたんですけど、

   人数も少なくてちゃんとした指導者もいなくて

   ずっと勝ったことなくて、

   そんな感じの野球部だったので

   不真面目で下手くそでも首にはならなかったです。

   まじめにやってる人もいたからそれは申し訳なかったですけどね。

ー  それで大学はどうしたんですか?。

ケン 上の大学上がるのは通知表がオール4とかじゃないと無理で

   自分はだいたい2か3で、遅刻日数も多すぎたんで全然だめでしたね。

   半分以上は遅刻でしたし。

   だから大学受験はちゃんと勉強しましたよ。

   それでいくつかはなんとか合格したんですけど、

   進学先選ぶ段階で、高校が楽しすぎてそれは自覚してたので、

   「このままここにいたらだめだろうな」と思ったんですよ。

   それで友達が大体早稲田とか上智に行ったんですが、

   自分は一人だけ違うとこに行ったんですよ。

   結果、外に出て揉まれたから

   そこは当初の目論見通りで良かったんですけど

   楽しすぎる環境から進んで外に出た結果

   大学は全然楽しくはなかったですね。

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先行きあやしい所で今回はここまで。
次回は健さんの大学生時代と社会人の生活です。
お楽しみに!


もうなくなった歌舞伎町のハコ BEWAVE前で

清水 健之介

1986年生まれ
2007年より渋谷、新宿を中心に都内各所でDJとして活動。
2018年に自身のレーベルDouble Half Doubleを立ち上げ2枚のEPをリリース。
ブラジリアン柔術青帯。今成柔術所属。
2022年UWWグラップリング世界選手権77キロ級日本代表。

note (毎週の日記と文章、写真を公開していきます)
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https://www.mixcloud.com/KNKwalks/

Double Half Double (自分のやってるレーベルです。曲聴いて買ってください)
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