子の立場からの「家庭円満」は不可能という無力感
新年早々、大荒れの我が家(笑)。コロナ騒動での家族との意見の食い違いから、私が人生で初めて他人にガチで切れるという出来事が起きました。これまで33年生きてきて、誰かに軽く怒ったりすることはあったけど、怒鳴ったり大声で騒いだり怒りを表現したことは一度もなかったのですが、ここにきて初めて殻を破ることができました(祝)。今年の個人的なテーマは「もーちょい強気に生きる」だったのですが(神に祈った)、さっそく効果てきめんの新年です。
年末のこちらの記事(引きこもり生活で改めて向き合う自分自身)で、『あとは、「幸せ」について色々と思いを馳せた年でもありました。家庭が円満であって、自分のことが大好きであれば、どんな社会情勢であろうとも半径3m以内の平穏は保たれ、心が安定するのだということを感じました。』という文を書いたのですが、この考えに間違いはないと思いつつ、子どもの立場から見た家庭を子どもの力で円満にするのは難しいというかほぼ無理だということも確信に至りました。私は内観して自分を癒す過程で、いかに胎児期・幼少期から始まる親との関係性の中で、自分を傷つけられ、否定的な想念を植え付けられてきたかを悟り(みんな通る道)、自分の気の弱さや怒りを抑圧して不満を抱えて体調を崩すというパターンも、原因は親に文句を言われ続けて生気を奪われてきたことにあったのだということにも気づきました。そしてこのことは、引きこもりやニートと言われるような、反抗するのではなく自分を責めるタイプ、気弱で繊細でやさしい…あらゆる方に共通するパターンであることにも気づき始めました。
生気を奪うタイプの親は、とにかく子どもを否定しまくり、何かにつけてケチをつけ、自分や世間の理想に沿うように、子どもを支配・コントロールしようとします。子どもは反抗することができず、生気を奪われ続け、いつか倒れます。私は心療内科に通い始めた17歳でその兆候を見せ始め、最終的に限界を迎えた26~27歳頃に人生がまるっきり変わりました。その頃から自分を癒すことに努めてきましたが、今でも相変わらずの気の弱さで、理不尽なことに対して怒りを感じても、それを特に相手に向かって、発散することはできず、せいぜいnoteの記事を書いて気持ちを整理するくらいのものでした。しかし今回は違って、これまでいかに自分が我慢して怒りを抱えこんできたのかということを相手に言うことができました。これは大きな進歩です。
家庭円満が望ましいのは誰しもそう思うことで、当たり前なのですが、子どもの立場から見た家庭を、子どもの立場からどうにかすることは無理なことであり、やはりどうやっても弱い立場に置かれてしまうと思います。いつもなら不満げな顔で引き下がる私でしたが今回は、「私が子どもだから、年下だからって、なぜ何の意見も聞かない?いつも自分の意見を押しつけて、支配して。見下してるんだろー我慢の限界なんだよ!」と言ってみました(笑)。日頃の鬱憤を晴らす心の叫びって感じですね。
幼少期から家庭で「理不尽に対して反抗できない」パターンを植え付けられ、学校では教師や先輩に、会社では上司に、そして国に、他国から日本に、という形で、「理不尽に対して反抗できない」パターンが幾重にも存在しています。この世は「ハラスメント」だらけ、もはや「ハラスメントパンデミック」です(笑)。教師、会社、国からのあらゆる理不尽に反抗できないのは、何人も子どもの立場から家庭円満を成しえないという無力感と絶望、無意識レベルの被害者意識からきているのかもしれません。ほぼすべての人が、親からのハラスメント被害者として傷を抱えて生きているわけですから。「親に感謝せよ」「親孝行」といった、世間で良しとされる思想もそれを後押ししているように思います。潜在的な親の支配から逃れるのは大変で、私自身非常に困難を覚えつつも、大きなやりがいと成長も感じています。否定的想念を植え付けてきた親への怒りや恨みと真正面から向き合い、強気な気持ちで大きな一歩を踏み出していきたいと思いました。
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