正規を減らしすぎて、「いい仕事」が消えつつある世の中

2015年に役所を辞めてからというもの、いろんな職場で非正規として働いてきて(遡れば大学時代のバイトも含め)、どこの職場へ行っても「人手不足だなぁ…」と感じることが多く、特に減らされている正規の従業員の業務過多&しわ寄せ、からの疲弊、メンタル、退職…といった流れは本当によくあることなんだなと実感しています。もう少し人がいればちゃんと回るのになぁ…と思ったことも数知れず。人手不足からの業務過多で、世の中から「いい仕事」が消えていっているのではないかなと、仕事の質について思いを馳せることも多いです。

大量生産・大量消費、スピード感重視の資本主義社会あるあるなのだと思いますが、一人の業務量が多すぎて、一つ一つの仕事が適当というか、雑になっているような気がして、そしてそれがさらに仕事をつまらないものにしているように感じています。組織の駒として、裁量のない仕事をただこなすだけのロボット。やっと生きていけるだけの給料はもらえても、税金等で吸い取られ、経営陣は株主の方しか見ていない。人手不足で生じたミスも、上からの指示で生じた不正も、下手したら社員のせいに。

業務がスムーズに進まなくてかえって良かったと思うのが、デジタル化・監視社会化に関する一連の事業です。キャッシュレス政策やマイナンバー一元管理など、日本は遅々として普及しないなという印象です。自分もその世界に少しいたことがあるからわかりますが、日本の役所の変わらなさ具合はすごいです。これはまた人手の問題とは違いますが、業務の「サイロ化」、すなわちタテ割り過ぎて、自分の担当する狭い範囲の業務のことしかわからないという状態がどの組織でも常態化しているのも、業務遅滞の原因の一つかもしれませんね。

非正規は「低賃金・不安定地獄」ですが、正規も「しわ寄せ・過重労働地獄」で、いずれにしてもメリット・デメリットはあるように思います。現在はコロナ禍ということもあり、正規であってもいつ職を失うかわからないという状況にどんどんなっていっているので、正規だから安心ということもありません。私は過去に「正規・非正規」の枠を超えた働き方という記事を書いたこともありますが、この分け自体にも疑問を感じています。私の基本思想に「普通に生きること」のハードルは限りなく下げていいというものがあり、正規だろうが非正規だろうが、どんな仕事であっても普通に働けば普通に生活ができる社会になってほしいと切に願っています。

人件費削減!といって人員(正規)を減らし過ぎたあまり、業務が回らなくなっている、ということがどの組織でも常態化しているのであれば、これはもうほぼ国が回らなくなっている、ということと同義なのではないかと思いますし、実際そうなりかけている気がします。日本人の真面目さと世間体を気にする同調圧力と拝金主義の洗脳で何とか回ってはいますが、同時に娯楽や精神薬を手放せなくなってしまいました。人手不足や裁量のない労働で仕事への喜びを奪われ(参考記事:仕事も学びも「喜び」であるように…)、コロナ禍で酒やエンタメの楽しみも奪われつつあり、金銭的にも精神的にもしんどい日々を送っている人々が本当にたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。「従業員を大切にする」という経営の基本と真逆なことをやっている国や組織が滅ぶのは必然のことで、そもそも長く続くやり方ではないのだと思います。今は本当にしんどいけれど、世の中のあり方が大きく変わる過渡期なのだと割り切って、一日一日を大切に生きていきたいと思っています。

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