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むにみずべ 広島編01 雁木から船で行く縮景園

野球、お好み焼きだけじゃない。
西日本有数の水辺の街広島で、過去の遺産を最も上手く使いこなす、温故知新のむにみずべ。
これ知っていますか?


瀬戸内海を掌握した毛利水軍

大まかな毛利家最大版図 
これは瀬戸内海を掌握していますね
オランダの大きさと同じくらいの面積です(わかりにくい)

毛利元就といえば、歴史好きを魅了してやまない西日本最大の戦国大名ですが、毛利家は戦いの中で続々と各地の水軍を味方にし、
あの村上海賊の娘さんや息子さんをも配下にすることで、瀬戸内海を掌握していました。

孫の輝元の時代には、今の福岡から鳥取・岡山に至る巨大な領土を治めるべく、七つの川の上に拠点を定めます。広島城です。
巨大な太田川が河口付近のデルタ地帯、その真ん中に広島城はありました。

安芸国広島城所絵図
国立公文書館デジタルアーカイブ蔵
たしかに川の中にありますね

毛利輝元が関ヶ原の戦いで、戦ってもいないのに敗北すると、戦いで大活躍した福島正則が入城し、さらに城を拡充させました。
ところが勢い余って城の整備をし過ぎた結果、無断城造りの罪で長野に飛ばされ、代わりに浅野家が入りました。

皆さんも、城造りは事前申請、これ鉄則です。お気をつけてください。

さてやっと登場したこの浅野家こそ、広島を今のように大都市へと導く礎を築いた方々です。


縮景園

江戸時代からここの主の様な雰囲気の亀
でも老眼ではなく近眼の方っぽい表情

城主浅野長晟あさのながあきらは、しっかりと記録も申請もとって広島城を整備する傍ら、別邸の建設に取り掛かります。
これが、縮景園です。

左の橋が西湖を模したと言われたり

名前は、さまざまな景勝地の風景を模して作ったから。
参勤交代で大阪まで船で瀬戸内海を渡っていた広島藩。その美しい多島海の風景を落とし込んだそうです。
その中には中国の西湖を模した風景もあります。山口県岩国の錦帯橋もそうでしたが、中国地方の殿様は、中国の西湖が大好きの様ですね。
(まぁ実は日本中にあります。)

この縮景園。単なるお庭で終わらせないのが浅野家。馬の調教や、射撃、弓矢の練習場としても使う傍ら、400種に及ぶ薬草を育てた薬草園も作ります。
ここで作られた薬草、人の手で運ぶのは大変ですからね、舟で運び出す訳です。


雁木だらけの広島

原爆ドームの目の前にも雁木

現代であれば水位に合わせて上下する浮桟橋を設けますが、江戸時代は階段状の雁木がんぎを作って船を着けていました。縮景園にも薬を積み出した雁木が残っています。

各地の雁木は護岸工事の中で、その多くが失われましたが、
七つの川の上にある広島は戦前戦後にかけて、巨大な太田川放水路を作り上げ、増水時にも流路を確保した事で、市内中心部はそびえ立つ護岸が不要になり、古くからの雁木の多くを残す事に成功しました。

広島駅前の京橋川にもところどころに
雁木あり(右の方)

民家の裏にあって木戸が付いていたり、トンネルの様になっていたり、様々な雁木がありますが、
広島が凄いのは、これを自由自在に船で結ぶ、雁木タクシーを考え運用しているところです。

これにより、国も目をつけるほど、広島は水辺が素敵になりました。


水辺を賑わせるオープンカフェ

カフェと雁木と船着場。最高。

国交省の推し進める、水辺活性化の取り組み、通称ミズベリング。
(実は学生時代、コンペでミズベリング賞を受賞したこともあります。へへへへ)

さて、広島はミズベリングの代表例と目されていますが、なぜ水辺界にその名を轟かせているかと言えば、雁木タクシーと、オープンカフェの多さです。

カフェポンテ

最も有名なのは原爆ドーム前の、カフェポンテ。平和記念公園を目前に楽しむピザがとっても美味しい、素敵なイタリアンです。
普通に生活していると気になりませんが、法律上、川沿いは基本お店を出せない場所です。しかしもっと川を魅力的にしようよ!という動きの中で、許可を取ればお店を出せるようになりました。その代表例なのです。

そんなカフェポンテの目の前、平和記念公園と繋ぐ元安橋のたもとには。雁木があります
もう分かりますね、
ここから縮景園に船で乗り付けましょう。


雁木を下り船に乗り込む

雁木の下はちょっと浸水

雁木タクシーは、古いもので江戸時代からある広島の雁木を、遺跡として保存するのではなく、本来の目的で使いながら残していこうという画期的な取り組みのむにみずべです。

やって来ました雁木タクシー

この原爆ドーム前から出て、縮景園に乗り付けるコースは、市内中心をクルーズできるとあって中でも人気のコースです。
行ったのはだいぶ前で、最近は船の色が少し違う様ですが、縮景園に乗りつけは今もできるようです。

雁木、宮島と原爆ドームを繋ぐ
世界遺産航路船着場、かき船かなわと、
広島ならではの水辺が勢揃い
建築界では有名な基町アパート
原爆後の住宅問題解決のため建てられた現代建築
護岸も雁木など水に近づける配慮がある
原爆の爆風に平行した位置だった事で焼け残り、
避難にも使われた市内唯一の吊橋、工兵橋
(現在は架け替え)

やはり原爆の歴史が色濃く残る広島の中心。
そんな風景の中にも随所に雁木が見られ、激動を生き抜いて来た、生きた遺産である事を感じます。

そうこうしていると、縮景園に到着です。

到着


動態保存こそ むにみずべ

水辺に限った話ではないですが、移動手段だった舟や、伝統的な漁、水辺の住まい方など、そこならではの「むにみずべ」は、博物館に入った瞬間に過去となり、体験はできなくなります。(それでも、もちろん残す事には多大な意味があります)

過去の遺産を現代の体験として再編集している広島の雁木タクシー、是非とも盛り上がって欲しいです。


以上、雁木から船で行く縮景園でした。

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