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1人でも2人でも「人間は皆独り」という話。

少し前、初めてコロナに罹り
何と言葉にしていいやらわからない
虚しい気持ちに陥った。


身寄りもないこの場所で
一家全滅。

市に連絡しても物資が届くのは一週間後だと聞くし
外は雪で真っ白。連日凍える寒さだった。

スマホを触る気力もないので
ネットで何かを頼むとか、
もうそんな事すらできないでいたら
離れて住む両親が、ネットで"コロナセット”とやらを
頼んでくれて3日後に北海道に届いたのでした。

支援物資が届いて、
家の中にほわっと灯りがついたみたいに嬉しくて
みんなで喜んだのだけど
何だかそんな状態の自分たちが物凄く貧しくて
物凄く寂しく思えてしまうスイッチが入り
それからしばらく【孤独モード】に突入。

心が寂しいからか
今日は無心にカイロを爆買い。

とにかく暖まりたいんです状態。笑

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そこでついでに
【孤独】ということについて
改めて考えてみた。

孤独とは何ぞや?と哲学した時
私がイメージするのは
物理的に1人ぼっちの人ではない。

誰かの隣にいて
どこか淋しそうに表向きにっこり笑った人。

その姿こそが
【孤独】という気がしてならない。


膝を抱えて泣いてる人
寂しいと言ってる人
恋人にフラれた人
そういうベタな孤独の状態のことを
私の中では孤独とは呼ばない。

それは、ただの"状態”であって
孤独とは見た目の状態ではなく
心の状態を指すものだと思っています。

だから、独身とか失恋したとか
家族がいるとかいないとか
子供がいるとかいないとか
関係ないんです。
 
.

そもそも人は生まれながらにして
みんな、独り。

誰かの腕に抱かれて
「愛してるよ。」なんて毎晩囁かれても
所詮本当は独りです。



 人は、どれほど愛し合っていても
同じ夢は見れないし
一緒に死んでも同じ野原に逝けるか分からない。

人と共有できそうで、できない
そういう自分しか分からない感情を味わいうのが
私達人間で、それが"生きる"という事だと思います。


その生まれながらにして備わった孤独を
心の中で、死ぬまで優しく撫でながら
生きていくしかないのです。

高級なミンクのファーみたいなものを
セレブ風にエンドレスで撫で撫でし続けるイメージをするといいかもしれない。笑

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今の私も、私の思う孤独の定義でいうと
孤独感満載。

夫も子供達も、何なら犬達までいて
暖炉で暖まった部屋の中
優しい夫に体調を心配されている状態。。

私の経験だと
こうやって外側の状態が暖かければ暖かいほど
孤独感は激しくなる気がする。

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お釈迦様も
「この世は、はじめから苦しみの世の中だ。」
などと仰っているくらい
この世での一生は四苦八苦の連続。
簡単に楽にはなれなくて当然という事です。


だけど、
命が終わるその日まで
世界にひとりしかいない自分を労って
孤独な自分を抱きしめて
粛々と生きていくしかないのが人生。

自分の孤独を誰かに分かってもらおうなんて
我儘言っちゃいけない。

人は人の孤独があって
人の孤独の世話を焼いている場合じゃないですから。
みんな、自分で精一杯。


私はお仕事で
「寂しいです😢」と良く言われるけど
それを自分がどうにかできるなんて
そんな事、思ってもいない。

占い師やカウンセラーに吐露しても
結局のところ、孤独は孤独なんですが
自分の状態を誰かが知っているのと
誰も知らないのとでは
心情が全く違うと思っていて。

人はそんなに丈夫な生き物ではないなら
寂しい時は寂しいと
虚しい時は虚しいと
言っていいと私は思っています。

とは言っても
自分の孤独は自分のものなんですが
うまく小脇に抱え続けるために
面白可笑しく誰かと話して
泣いて笑って自分を奮起させながら
生き続けたいですね。

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私も北海道に居る意味が
たまに分からなくなります。

意味なんて分からなくても
生きなければならないのが人生だと分かっていても
「何のために北海道にいるんだっけ?」と
ツボにハマって抜け出せない日がある。

行きつけのカフェ
行きつけのお洋服屋さん
行きつけのスーパー
行きつけのお花屋さん
私を必要としてくれる人達

あの環境を捨ててまで
この場所に来たワケは何なのか…

地元の人達の楽しそうな忘年会などの投稿に
いちいち胸が苦しくなる
センチメンタルなアフターコロナな私であーる。


皆に会いたい。 

自由に動きたい。

自由に仕事がしたい。

雪のことを考えないと動けない昨今──
無いものねだりにも程があることを
思わず綴ってしまったけれど、
今日は許して下さい💫

孤独とプードルを抱きしめて
今夜も眠りにつきます。

皆さんも良い夢を🎠

Asami

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