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【カウンセリング体験②】生き抜いてきた環境で見る世界が変わる


2回目のカウンセリング

お兄さんの宿題には、自分なりの回答が見つからなかった。宿題は、何に100%、80% 50%の力でやるかを考えましょうというものだった。
まずはその前提として、2つの私の心のトラウマを解消しなければならないと話した。
1つは私の家族、1つは愛した人。前回も家族のことを話したのに、またいろんなエピソードを思い出して、とめどなく、話し続けた。私は泣き虫だ。すぐ感情極まって泣いてしまう。愛した人のことについては、離れてから、いろんなことがわかり、誰も言ってくれないような助言や忠告が痛いほどわかり、ただただ後悔の念を話した。
カウンセラーさんは、お兄さんと言うのはあまりに失礼なので、カウンセラーさんと言う。根気強く聞いてくれた。
私の話は、ノーマルと思えない家族の言動や生き方について憤りを感じるとともに、自分の無意識にしてしまう行動や、うまくいかなくなる原因は、私は勇者で外の世界に飛び出したけれども、この体の中に家族と同じ血が、同じDNAが流れているんではないかという不安だ。
常識がない、ありえない、病んでいると批判し憤り、縁を切りたく思っているが、心のどこかで私の抱えている生きづらさは、結局同じ穴のムジナではないかと思ったりするのだ。
私は自分で言うのもなんだが、根は優しい方で困っている人を見るとほっとけないタイプだ。でも、時折、すごく怒る時がある。私なりに理由があるのだが、その怒りっぷりが激しいので、一瞬でドン引きされてしまう。私の怒りは、その相手に対してではなくて今こうなっている現状や問題解決方法についての憤りなのだが。

勇者と農民がそれぞれ見ている世界

カウンセラーさんは、家族の怒りと質が違うと言ってくれた。初回のカウンセリングでも言われたことだが、特殊な環境を生き抜いてきた勇者ゆえの怒りだと。例えれば、勇者と農民の違いだと。
勇者は、農民の何倍もの情報を持って、どこから敵が攻めてくるのか、次に何が起こるのか、どんなケースを考えていったらいいか、常にフル回転で考え行動している。
農民は、空がきれいだなぁ、雨が降ってぬかるみがあるなぁとかその程度に、のほほんとして生きている。
そもそもの情報量も違うし、見ている世界、感じる世界が違うのだ。
どちらがいい、悪いではない。
勇者のそういった資質は、そうしなければ生きられない環境だったために身についたものだ。だから農民とわかりあえるはずがない。
カウンセラーさんは、私も同じタイプなんですよと話してくれた。だから組織に属さず、独立したのだそうだ。私も個人等ではなく、盤石な組織で働いている。勇者ゆえに、身を守るために、切り開いて勝ち得たポジションだ。自分の資質に向いているかどうかは、別問題だが。

『普通の人たち』

私が勇者になって勝ち得た今の居場所は、勇者になる必要もなく、平和に安全に生きてこれた普通の人たちばかりだ。それ故に、苦しいのだと。私の戸惑いを察したのか、カウンセラーさんが言った。盤石な組織や、臨床心理士をはじめ士業になるような人は、いわゆる『普通の人たち』だ。普通の家庭で普通に生きてきた。この国は、戦後、基本的に勇者は必要なくなったのだ。多くが農民で、のほほんと決められた枠の中で生きていけるのが、この国だ。だから、私やカウンセラーさんのような、勇者にならざるを得なかった環境で育った人間は、ごくごく少数だ。勇者から見れば、日々の社会的な対人関係において、『なんでそんなことが罷り通ると思ってるんだ!、そんなんじゃないだろ!』と言うツッコミだらけなんだと。だから私が危惧していた、家族の尋常じゃない怒り癖の遺伝とかそういう類ものではなく、『おいおい、そんなことも推測できんのか!』いうツッコミが怒りになっているだけだと。とても納得した。私は、楽しい会話の中でも、結構ナイスな切れ味鋭いツッコミをする。そこを突きますかと言うところを突いて、面白がられたり、感心されたりする。『これとこれとこれが繋がったら、これとこれがこうなる。』『これとあれがあるから、であれば、これもこうすれば活きてくるだろう』とか。常に常に、身の回り360度に敵がいないか気を張り詰めている勇者は、情報量が半端ないからだ。

夜明け前が一時暗い

確かに私はいつも考えている。あれこれあれこれ考えすぎてしまう。そうやって生きてきたのだから、簡単には治らないだろうけれど、これも生き方の癖なんだと理解できた。
そして同時に、このカウンセラーさんに出会えたことが、とてもご縁があったように思った。カウンセラーさんも、このタイミングで、ここに来ていただいたことを大事にしたいと言ってくれた。
過去の原因をあれこれ分析するよりも、今ここにいて、これから残りの人生、どのように生きていったらいいか、どうすれば楽に生きていけるか、そういうこれから先の未来を一緒に考えていきましょうと。
カウンセラーさんから、次回に向けた宿題が2つ出た。1つは、私の家族。なぜ母は、そういう生き方をしなければならなかったのか。なぜ妹は、今のような状態になってしまったのか。彼女らの使命を推測すること。
もう一つは、愛した人との別離に対して、これからどういう折り合いをつけていくか。1つの選択肢でなくてもいいから、いくつか考えてきて欲しいと。
私は、10年位前まで、自分なりの今後の人生の道筋を考えていた。しかしその矢先、震災があり、またしばらく経って前向きに行動し始めた矢先、健康不安を抱えることになった。
勇者として楽に生きていく方法を、今考えると無意識に考えていたのだと思う。
それが、不可抗力で閉ざされてしまった。その閉ざされた世界に、一筋の光を見せてくれた、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、地上に這い上がる細い糸を垂らしてくれたあの人。
でも、私がその糸に全力でぶら下がってしまったため、その蜘蛛の糸は容量オーバーでぷっつり切れてしまったのだ。
カウンセラーさんは、この2つの宿題について、いくつか自分なりに考えて、そこを話しながら、なかったことにしたり、忘れるのではなく、その想いを箱に入れて置いておくことをしましょうと。
思い出として整理するという意味だろうか。過去や事実はなくならない。ただこれから未来を歩んでいくに当たって、美しい素敵な箱に入れて置いておく。
辛い思いをしたわだかまりは、癒されるまで、4,5年はかかるのだそうだ。先は長い。
でも私が体調崩したのは4年前だ。確かにあの時と思考や行動が違っている。あの時も暗闇の中で自分に言いきかせていた。明けない夜はない。夜明け前が一番暗い。
今も宿題をやりかけているが、出るわ出るわ、感情の嵐が。とてもきれいな宝石箱に詰めておけるレベルの量じゃない。物置レベルかもしれないが、とりあえず自分から吐き出し、一時保管の準備をしたいと思う。

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