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【稲佐の浜編】奇跡のサンライズ出雲の旅②

なぜに出雲だったのか

初の寝台列車、かつ、ピカピカの車両で女性ユーザーも多いサンライズ出雲で、早朝、出雲駅に到着。正直、これだけでも十分満足する旅であった。近年の私の目標の一つは、サンライズ出雲に乗ることに加え、出雲大社に行くことだった。なぜ、出雲大社行きたかったのか。それまでの伊勢神宮をベースとした天津神より国津神に心を惹かれるようになったからだ。神様や目に見えない世界もあるとは思っているが、古事記を始めとした歴史書にでてくる日本の神々は、私たちと違う次元の神様などではなく、出雲と大和の争い等数々の部族・民族のヒーロー・ヒロイン(時にダーク)であると思っている。歴史は勝者によってつくられるものであるから、歴史書に記載されていることが正しいとは言えないが、基本となる出来事はあったはずだ。

いわゆる神様とは?ご先祖さまとは?

しかし、神社参拝において、目に見えない力や世界、ご加護や祓い等を信仰していないかというと、そんなことはない。例えば、乱暴な例えかもしれないが、親族のお墓参りに行って、ご先祖様に守ってくださいとお願いすることと同じなのではないかと考えている。ここ数年、父がなくなったことをきっかけに、大嫌いだったお墓参りに行くようになった。若いころは、何か悪いものが憑くような気がして、神社仏閣が苦手だった。近年、強烈に「守られている」と感じることが増え、というか実際守られており、私の悪運の強さは、仕事関係者やプライベートの知人にも、半分気味悪がられながら、「持ってるね」と言われることが多い。

元カレにも、私は「守られているから大丈夫」とよく言われた。「誰が守っているの?」と問うと「ご先祖さま」。「どうしてわかるの?」。「だって、後ろに見えるもん」。「誰?おじいちゃん?おばあちゃん?(それぞれの特徴を言う)」。「もっと昔の人。犬飼ってた?」。「えーーーーー!」。「あんまり、もう言わないで。変な人だと思われるから」。この元カレは、別の記事でも書いたが、医療従事者でスピ系の人ではない。しかし、神社参拝だけは大事にしていた。

一瞬ドン引きしたが、よく行く地元の神社の神主さんにも、同じようなことを言われたことがある。私自身、4年前に病気を経験したが災難を運よく免れたこともあり、身近なご先祖なのか、日本人としての遠い遠いご先祖なのかわからないが、願い事をするというより、今無事に生きている感謝を伝えるように、自然となっていった。

私のルーツのひとつ

そのなかで、「むなかた」という氏は、世界遺産にも登録された北九州の宗像大社から発祥した海洋民族の氏と言われている。宗像大社は、玄界灘で大陸から日本を守っている。当時の出雲王国と密接にかかわっていることは、私がこの場で論じることでもないだろう。海洋民族「むなかた」は、海洋の流れに沿って北に広がっていった。このことは、サンライズ出雲のチケットがとれた後に、事前勉強をしている過程で知った。なので、「呼ばれた」と思ったのだ。宗像大社の三女神の一人、田心姫神(タゴリヒメ)は出雲大社の祭神である大国主大神(オオクニヌシノミコト)の妻である。三女神の親は須佐之男命(スサノオノミコト)であり、私の現在の氏神神社の祭神だ。出雲大社の神々は、私にとって、遠い遠い遠い祖先のお墓参り、里帰りのようなものだ。本来なら、GWは宗像大社に行きたかったが、コロナ禍のステイホームにより無期延期。きっと、必要な時に、また呼んでいただけるだろう。

すべての始まりは海

前置きが長くなってしまった。

そのような背景もあり、サンライズ出雲の年末プラチナチケットがとれ、年越しを出雲で過ごせることが神様のご褒美としか思えなかった。胸が高鳴りっぱなしだった。本来なら、出雲大社前の宿をとりたかったが、宿が少ないこともあって、満室。駅前の大きなホテルを2泊、なんとか予約できた。残り一室であった。ああ、神様!呼んでいただきましたか!笑

ホテルを出雲駅近くになってしまったのは、結果、悪くない選択肢だった。二日目の八重垣神社への移動はスムーズだった。こちらは、またの記事で。

まずは、出雲電鉄に乗って、出雲大社前で降りる。大晦日の昼間は、ガラガラ空いていた。通常よりも空いているのではないか。年越しにも参拝する予定ではいたが、まずは、じっくりと参拝し、ご挨拶をしたいと思ったのだ。

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駅からそのまま参道をとおり、出雲大社に直行する人が多いが、まずは、「稲佐の浜」からお参りするのが好ましい。ご承知の人も多いと思うが、11月は和名で神無月だが、出雲では神在月。八百万の神々が、稲佐の浜から出雲に上陸し、そこから出雲大社に向かうのだ。出雲の神様は、大和に国譲りをしたにもかかわらず、なんと、おおらかな神様だろう。

ちなみに、伊勢神宮でも二見浦の「二見輿玉神社」からお参りする。夫婦岩が美しい。海に岩に、神社。なんともリンクした形だ。そこには、神話や太陽や星の動き、結界等、古代の叡智の結集でさまざまな仕掛けがある(ここで詳細な話は避ける)。

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(この写真のみ、伊勢二見浦にある夫婦岩)

「稲佐の浜」の砂

稲佐の浜に祭られているのは、弁天財。弁天財と同一視されているのは、宗像三女神の一人、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)だ。上述の宗像大社のなかで、沖ノ島で大陸(朝鮮)をじっと見据えて海上を守っている女神だ。弁天財が祭られているのは、事前に把握していなかった。こじつけかもしれないが、やっぱりご縁があるとワクワクしてしまった。

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当日は、強風で目に砂が入り、涙目になりながらの闘いであったが、持参したナイロン袋に砂を一心不乱に詰め込んだ。この砂は、出雲大社内の素鵞社(そがのやしろ)に奉納し、代わりに清められた砂を持ち帰り、家の四方にまくと厄除けとなるそうだ。素鵞社には、大国主の親神、須佐之男命(スサノオノミコト)が祀られており、出雲大社最強のパワースポットとも言われている。伊勢神宮に行った際に、猿田彦神社でも祓い除けの砂をいただき、当時アパートの四隅にまいたことがあった。猿田彦は、道案内、方位除けの神様であるからかもしれない。そして、猿田彦も国津神だ。

神の道を歩く

私は、海が好きだ。海洋民族の血をひいているからか。いつまでも、いつまでも、その場を離れられないでいた。砂をリュックに詰め込み、出雲大社に徒歩で向かった。神様が歩いた道を通るのだ。他の観光客は、大通りを歩いていったが、私はあえて、住宅街の細いまがりくねった坂道を歩いていった。海沿いの漁師町特有の街並み。すべての細道が海に向かっているため、時々、立ち止まり、切れた息を整えながら後ろを振り返ると、眼下に稲佐の浜の海がみえる。周りには、私しかいない。住宅街も人の気配を感じない。皆んなどこかに出かけているのだろうか。それとも、地元の人は、静かに、日常として自宅の中で年越しをするのだろうか。神様が歩いた道を一歩一歩踏みしめながら、出雲大社前にたどりついた。 

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ここで、不思議な自然現象が起きたのであった。ただの偶然といえば、それまでかもしれないが、であったとしても、このような偶然に出会えたことは、瑞兆であると私には思えたのだ。

次回③に続く(【列車編】①も、よろしければご覧ください)

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