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【読書】ある行旅死亡人の物語

自分はこの世界に何か残せるものがあるんだろうか。そんな風にぼんやり考えることがある。何も結果を出せてないな。何も成し遂げられてないな。そう落ち込むこともあるけれど、何かを成し遂げられなくても自分がそこに存在していたことは事実で、その可能性を疑ったことはなかった。

だから、自分がいなくなった世界から自分の存在そのものが消えてしまうことがあるなんて、想像だにしなかった。

これは、尼崎市で孤独死した1人の女性の生涯を追ったルポタージュ書籍だ。
彼女は右手の指が全て欠損しており、金庫には3400万円もの大金を所持していた。家族や親しい知人もいない。役所には住民票もない。彼女は一体どこの誰で、そのお金はどこで得たものなのか。

序盤で提示されたこれらの情報だけでも興味を引かれる内容。実際の出来事であるのにミステリー小説を読んでいるかのような展開で、事実は小説よりも奇なりとはまさにこのことかと思わずにいられなかった。大変興味深い内容だったので、今日はこの書籍について書いてみようと思う。

ある行旅死亡人の物語

著者 : 武田惇志 伊藤亜衣
出版社 : ‎毎日新聞出版
発売日 : 2022年11月29日

現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、あなたは一体誰ですか?
はじまりは、たった数行の死亡記事だった。警察も探偵もたどり着けなかった真実へ――。
「名もなき人」の半生を追った、記者たちの執念のルポルタージュ。ウェブ配信後たちまち1200万PVを獲得した話題の記事がついに書籍化!

2020年4月。兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死した。
現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑......。記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、身元調査に乗り出す。舞台は尼崎から広島へ。たどり着いた地で記者たちが見つけた「千津子さん」の真実とは?「行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション。

出典 : 毎日新聞社

元々は官報の行旅死亡人(こうりょしぼうにん)情報に目をつけた記者が、休日などプライベートな時間を使って独自に取材したものをまとめたウェブ記事らしい。PV1200万というすごく話題になった記事なのに、私は見たことがなかった…。


そもそも行旅死亡人とは?

「行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」は普段生活している中で耳にすることはまずない言葉。聞き慣れない言葉なので、漢字の印象から旅行で亡くなった人か、もしくは行き倒れの人のことを指すのだろうと思っていた。

でも違った。ウィキペディアによるとこういうことらしい。

行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは、日本において、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指す言葉で、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称でもある。「行旅」とあるが、その定義から必ずしも旅行中の死者であるとは限らない。

出典 : ウィキペディア

孤独死の多い昨今、一時的に行旅死亡人とされるケースは多いように思う。しかし、身の回りの物や近所の人との繋がりを追っていけば、必ずその人物の身元が判明するものだろう。

生きていくためにはどこかで働く必要があるし、病気になれば病院にだって通う。近所の人とはいつも顔を合わすだろうし、そもそもどこに住むにも身元が分からなければ住まわせてもらえない。今の時代携帯を持っている人も多く、自分の身分を証明する公的書類だってどこかには所持しているだろう。

行旅死亡人になるということは、そういった自分自身を証明できるものを何も所持していないことを示す。そんなことがありえるだなんて信じられないが、私自身「官報検索」のページで行旅死亡人を検索してみたところ、なんと6433件もの記事がヒットした…。そんなにいるのか…。


たった1人の人生を追いかけること

この本で描かれるのは、行旅死亡人として亡くなったたった1人の女性の人生の話。

何十年と住み続けた家でたった1人で亡くなっていた女性。名前も確定できない。親族も見つからない。その生き方も、なぜ住民票が存在しないのかも、なぜそこで暮らしていたのかも分からない。確かにそこに存在したはずなのに、これまで生きてきた痕跡を何も残さず消えてしまった女性。

彼女は一体何から逃げていたのだろう。何に怯えていたのだろう。たった1人の部屋で寂しくはなかったのだろうか。彼女の部屋に付けられたドアチェーンや室内の写真を見ていると、そんな悲しくて苦しい気持ちが込み上げてきた。

ノンフィクションなので最後まで解明されない謎は多い。所持していた大金の謎。誰も知らない夫の謎。痕跡を残さず隠れるように生きていた理由。

もしかしたらその大金は綺麗なお金じゃないのかもしれないし、日向を歩くことのできない理由があったのかもしれない。自分の人生を人に知られたくなかったかもしれないし、赤の他人に追いかけられることは不本意なことなのかもしれない。彼女の気持ちはもう、誰にも分からない。

でも、彼女のその生き方がもし自分のものだったとしたら。もし自分が亡くなったことを誰にも知られなかったら?もし自分の生きてきた証がこの世のどこにも存在しないとしたら?もし自分のことを誰一人として覚えていてくれなかったら?

私はそのことがただただ恐ろしいと思った。どこの誰かも分からない。誰の記憶にも残らない。それってつまり、自分が元々存在しなかったということと同じなのかもしれない。それはすごく孤独だと思うのだ。

彼女の名はタナカチヅコさんという。
彼女の人生が幸せだったのかどうかは彼女にしか分からない。他人の尺度では決して測れない。でもどうか、最後の瞬間まで希望を持ち続けた人生でありますように。そう祈らずにはいられなかった。


PV1200万の元記事はこちら

この記事を後発で読んだ私としては、書籍を読んだ後でこちらの記事を読むことをお勧めしたい。理由は2つある。1つは記事よりも書籍の方が大幅加筆されているため、タナカチヅコさんという1人の女性とじっくり向き合うことが出来るから。もう1つは、記事だと綺麗なカラー写真が載っているため、どうしても彼女が実在した人物であるということが印象的になりすぎてしまうと感じたから。物語ではなくノンフィクションなんだという現実が重くのしかかってきてしまうのだ。その点書籍の方は白黒で印象がぼんやりとするため、ミステリー小説を読んでいるような感覚で読むことができ、導入として読みやすいと感じた。

個人的な感覚ではあるが、この記事を書くにあたり元記事を読んでみたところ、今まで過去の人として捉えていたタナカチヅコさんの存在が急にくっきりと浮かび上がってきた気がした。カラー写真にはそういう力があるのかもしれない。


著者2人へのインタビュー記事もオススメ。
なぜチヅコさんを追いかけることになったのか。どんな気持ちでこの件と向き合い、何を伝えたかったのか。読了後にこの記事を読むことで、より深くチヅコさんのことを考えるきっかけとなった。

本当の彼女はどんな人物だったのか。何が好きで、何が嫌いで、毎日何を考えて生きていたのか。それはもはや誰にも分からないことで、既に跡形もなく消えてしまったこと。それでも、そこには間違いなく1人の人生が存在した。人の人生とはなんと重いのか。

おわりに

以前気になる新刊としてまとめた書籍の第2位として挙げていた「ある行旅死亡人の物語」。読んだ後、色々な事を考えさせられた。

孤独死の多い現代社会では、自分だって誰にも存在を知られずに死ぬかもしれない。今は家族がいて、友達がいて、仕事仲間だっている。でもこの先は?ずっと周りに誰かがいるなんて、そんな保障はどこにもないのだ。

チヅコさんは遠い未来の私かもしれない。遠い未来のあなたかもしれない。決して他人事ではない話なのだと思った。

結果として、読んで大正解の読書だった。

ちなみに以前の記事はこちら↓



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