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青春は10代、長くても20代まで。 そんな先入観はないだろうか。 少なくても、僕は自分が30代に入るまでそう思っていた。 明確ではないけど、26歳ぐらいになった時に「ああ、青春は終わったな」と感じたのを覚えている。 これは多分、僕の中に30代はもう大人だという意識があったからだと思う。 30代と言えば、就職して10年近く。仕事にも慣れて、バリバリ働く。 プライベートでは結婚して、子供ができて。 子供の運動会に行ったり、授業参観に行ったり。 30代ってそんなイメージだった。
今思い出すと人の気持ちを考えられない子供・青年だったような気がする。 今思い出すとだが。 何か、大事な何かが欠けていた気がする。 今ではその大事な何かをなんとか経験でカバー出来るけど、根本的な部分では変わっていないのかもしれない。 今の状態に、もっと早いうちから成れていたらな、と今更思うが。 思ったところで過去に戻れるでもなしに。 今、そうなれたんであれば、これからの人生を楽しもうと思う。
もう何年も前から梅雨が嫌いで嫌いでしゃーなかった。 楽しい夏の前のジメるザーザー期に嫌気がさしていた。 楽しい夏!早く! それが近年は暑過ぎてもう夏は忍耐期となってるー。 楽しみじゃねー。 と梅雨への嫌悪感が下がったからか、今年は梅雨に入ったのを知る前に終わっていた。これには驚いた。 ワークマンの雨ガッパと長靴の在庫余りが気になる位だ。 梅雨の早期退職。何かあったのだろうか? そして梅雨を知らない年が来るとは! そう、自分だけは群馬県に居ながら梅雨無しという北海道民の気
まぬけだなあ、と思う。 そして善処しないところが落ち度で、それがわたしのすべてだとも思っている。 もちろん、「心の底から善処すべきではない」または「現状にきちんと甘えている」ということも 深く理解できるお年頃でもある。 目標達成にどう近づいているか、というのが幸福の論点のような気がしてきている。 今日中に家事と日課を終えたいのであれば、憚られる行動であり 身体を休めることが最優先だったら、このままでいい。 ただそれだけの話で、やたらに「サボった」「クズ」なんて自分を責める
基本無料あるいは課金欲。今、わたしは2つのスマホゲームアプリにハマっている。ひとつは細々と続けているデジタルカードゲーム。もうひとつは昔によく遊んだ『ウイイレ』の最新版となる『eFootball』というサッカーシミュレーションゲーム。どちらもオンラインでの対戦をメインに楽しむ。それらを空いた時間に、睡眠時間さえも削って遊んでいる。 インターネットを介して遠くの見知らぬ誰かと勝ったり負けたり。始めたてのゲームであればなおさら負け続けたとしても。10試合やって2~3回くらい拾える
今年もいよいよ梅雨の季節だ。 仕事の日の雨は嫌だが、休みの日の雨は嫌いではない。 何もすべきことのない日、雨の降るのをただ眺めている。 何時間でもそうしていられる。 しかし、その雨の中に出ていくとなると、困ったことがある。 傘がさせないのだ。 いや、させないわけではない。 上手くさせない。 傘の本来の効用である体を濡らさない、それを生かしきれない。 傘をさしていても、いつも体は濡れてしまう。 そんなにひどい雨でもないのに。 ふくらはぎであったり、右肩であったり、左肩であっ
感情の開放って、芝居には必要なんです。 でもなかなか出来ない人も居ます。 んで、それの訓練で「どっかーん」ってのがあるんだけど、何するかって言うと、ただ単に「どっかーん!」って言いながら両手足を広げて花火みたいに飛び上がるだけ。 恥ずかしがらずに、思いっきり。 私は割と最初から出来るタイプだったので出せない人の気持ちがイマイチ分からないんだけど一定数これが苦手な人がいます。 身体が縮こまっちゃってパッと開けない人。 何故か片足で着地しちゃう人。 声が出ない人。 出来ないポイ
最近、「自分が悪いと思うのはよくない」「自分がすべて悪いわけではない」、という考え方をネットで見かけることが多い。すべてを他人のせいだと考える「他責思考」、自分の責任だととらえる「自責思考」という考え方があるが、これは「他責思考」に近いものの、「反自責思考」と呼ぶべき考え方かもしれない。 何か問題が起きたとき、「すべて自分が悪い」と抱え込んでしまい、精神的に追い込まれてしまう人が多いのだという(本当か?)。 起きている問題に対し、自分に責任はないので、誰かが解決しなけれ
少食かつ食べるのが遅い(甘味はその限りでない)私は、ラーメン屋さんから足が遠のきがちだった。 子どもの頃は、外食の選択肢にラーメン屋さんは含まれていたし、家族でよく行くお店もあった。しかし体型を気にし始めた頃からだろうか、次第にラーメンを控えるようになった。また、よく噛むようになったことによって食べる速度が鈍化、麺がスープを吸い込む方が速くなり、永久機関ラーメン(?)を生み出してしまうようになったのである。 親も昔ほど胃が強くなくなったのもあり、みんなで外食するときは回転
小学生のころの話である。生活科か何かの時間に、学年全体で菊を育てることになった。 植木鉢にひとりひとり名前のシールを貼って、種を一人一人土にぶっこんだところまでは覚えているのだが、私はそれ以降一切の世話をせず菊を放置していた。 それから数か月、菊に関心もないまま自由に過ごしていたのだが、たまたま休み時間に「そういえば」と思い立って菊の様子を見てみると、ほとんどが枯れ果てるなか、すこぶる立派な菊がそこに咲いていた。 生活委員かだれかわからないが(様子を見に行っていないので誰が
5月生まれは賢いらしいよ。 知らんけど。 そんなこんなで どうも、明石です。 気付けば、今月も下旬に入って、時の流れは無情だなと思う、今日此頃であったりします。 予定が上旬に集中していて、その反動から罹患の心配も無きにしも非ずでしたが、お蔭様で元気ですね。 梅雨の走りの様な天気が多くて、寧ろそちらの方が心配です。 暑い寒いの対処は、それなりに可能ではありますが、雨だけは極力したくありません。 とは言え、梅雨が無ければ諸々の問題があるでしょうから、仕事中にだけ降って欲しいと
今日感じたこと。 今やっていることに囚われると、 自分の世界は、それが全てになってくる。 上手くいかないと、自分が終わってしまう気がしてくる。 価値がなくなってしまうんじゃないかと思ってしまう。 けど、それがダメでも、それができなくても、 別に自分が終わる訳じゃない。 自分の価値がなくなる訳じゃない。 それを覚えておきたい。 と、書きつつも、それを意識するのは難しくて。 いつも、いつも囚われてしまう時が多い。 もっと広い視野を持って。 もっと、もっと、
こどもの日。子どもの成長を祝い、願う日。だからなのか、子どもの頃、毎年のようにこどもの日には「将来何になりたい?」と大人に質問されていた。「獣医になりたい」「作家になりたい」「魔女になりたい」「暴走族の総長になりたい」…。あの頃は『なりたい存在』に純粋だったな、と思う。 (ちなみに、暴走族の総長になりたいという希望は小学六年のときの担任の先生に「暴走族は収入にならんよー。メンテナンスとか改造費とかかかるし。やるなら収入のある仕事をしつつ、やね」と言われ「うわ、大変そう…」と諦
こんにちは。 昨日は無事に愛おしい子🐶をお迎えしました。 新居への入居に時間がかかってしまい彼のご実家で約1ヶ月預けていたので、環境を変えさせてしまって我慢をさせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。これからは2人と1匹で生きていきます。🌿 早速、環境が変わってストレスが溜まっている様子なので心配しています。そしてわたしも疲れがドッと出て今日はずっと寝ています。まだまだ眠たいです。笑 さて、タイトルは引っ越しの準備の際に彼との会話で出てきた言葉です。 わたしは夏休みの