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傘をさせる大人になりたい

今年もいよいよ梅雨の季節だ。
仕事の日の雨は嫌だが、休みの日の雨は嫌いではない。
何もすべきことのない日、雨の降るのをただ眺めている。
何時間でもそうしていられる。

しかし、その雨の中に出ていくとなると、困ったことがある。
傘がさせないのだ。
いや、させないわけではない。
上手くさせない。
傘の本来の効用である体を濡らさない、それを生かしきれない。

傘をさしていても、いつも体は濡れてしまう。
そんなにひどい雨でもないのに。
ふくらはぎであったり、右肩であったり、左肩であったり。
さらには、持っているカバンなども濡らしてしまう。

子供の頃には、大人になれば上手くさせるようになるものだと思っていた。
もちろん、世の中には、ただ生物的に成長するだけで身につくものと、そうではない、練習して、努力しなければ身に付かないものとがある。
傘をさすなんていうのは、成長していくにつれて上手くなっていくものだと思っていた。
傘をさす練習をしている人なんて、見たことがない。
傘を上手くさせるようになるまでの苦労話なんて聞いたことがない。

でも、そうではなかったようだ。
僕は、何の練習も努力もしなかった結果、子供の頃のままでこの歳になってしまった。
だから、傘を上手にさせる人を見ると、あの人は立派な大人になったんだなあ、素敵だなあと思ってしまう。

こんな歳になっても相合傘をすることがある。
別に好きでやるわけでない。
妻と2人で出かけて、傘が一本しなかない時。
僕の方が背は高いので、こっちがさそうと申し出るが断られる。
「あんたがさしたら、びしょ濡れになるわ」
結局、妻がさす傘の下に、背を丸めて入れてもらうことになる。
何だか、家庭の力関係そのままのようだ。

ああ、いつか上手く傘のさせる大人になりたい。
でも急がないと。

こんなことを思いながらも、子供の頃、水たまりの中に勢いよく足を突っ込んで泥水をかけ合い、長靴の中を水だらけしていた、あんなのももう一度やってみたい誘惑に駆られる。
子供の頃に戻るのではなく、大人のままで。
でも、こんな時には、だいたいそのうちに本気になって、取っ組み合いの喧嘩になったりしたものだ。

ところで、傘をさすの「さす」をひらがなで書いてきたが、傘をさすの正しい漢字はどれだろうか。
刺す、差す、指す、射す…。

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