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歩いて日本一周した人の「冒険」のはなしを聞いて

歩いて日本一周した平井佑樹(ひらいゆうき)さんは、陽に焼けた無邪気な笑顔のお兄さんなだけでなく、落ち着いた思考家のようでした。

体操のお兄さんじゃなかったな(笑)自分がリターンを選んだ時の気持ちも思い出せないままに、コメダの赤いソファーに座った平井さんの冒険と自己肯定感について、思いを馳せていたのでした。これは、インタビューではなく会話の備忘録です。

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遡ること2021年。SNSで知り合いが拡散していたとあるクラウドファンディングが目に止まりました。令和に歩いて日本一周。そんな壮大な目標を掲げている人が、私が所属していたコミュニティーにいるというのです。直接の知り合いではないけれど、なんとなく応援してみるか。

一度も会ったことはない人なので、その人がどんなふうに過ごすのか、達成なのか未達成なのかはそんなに気にせずに過ごしていました。ただ、旧Twitterでの野生味あふれる発信は、同年代が日本でやっているとは思えない非日常がありました。野宿で、何足も靴を擦り減らしながら歩くその人は、それでも不思議なほど前向きなのが伝わってきます。そうしてそれから時間は流れて、その人は約1,000日間の旅から帰ってきました。

そんなSNSの登場人物から突然DMが届いて、最初は何かと思いました。自分でクラウドファンディングをしておいて、リターンのことを忘れていたんです。軽めのものを頼んでいた気がしていましたが、なんと半日間のレンタルでした。昔の私は何を思っていたのか、写真でも撮ってくださいとお願いしていたそうなのですが、今は撮っていただいてもSNSに載せられません(SNSで顔出ししていないから)。

そこで、依頼の内容を変えました。会ってお話しして、それをnoteにまとめさせてもらえませんか。半日の使い方は良識の範囲内で自由ということだったので、ただお話しさせていただく時間に変えることにしました。撮ってもらうより、日本一周してきた人のお話を聞いた方が、なんだか楽しそうです。

半日のレンタルでは、インタビューの投稿まではできません。お話を聞くだけ聞けても、相手にチェックや写真選定といった手間をかけさせてしまうので、今回はお話をした内容をあらかじめ公開可否を聞いて書かせていただくことにしました。

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死生観の強い人。平井さんと3時間話した後の印象は、そういったものでした。平井さんは一人旅を「冒険」と表現していて、確かにその内容は冒険と言えるものです。令和のこの日本で、冒険? そんな疑問を持つかもしれません。けれども歩いて日本一周の話も、次の旅の予定を聞いても、冒険家の感覚は強まるばかりでした。

ちょっと失礼かもしれませんが、私はそういう「冒険」をする人を、無鉄砲だと思っているところがありました。旅人にはいわゆる風来坊のような人も一定数います。だからか、ただふらりとしたい人か、あんまりいろいろ考えているわけではないか、はたまた目立ってやろうとする人かとか、どれをとっても自分とは違って理解できないというイメージだったのかもしれません。

自分も出かけるのが好きなくせに、棚に上げてひどいものです。無鉄砲な印象は平井さんにも持っていたのですが、話しているとどうやら違いました。平井さんは、どちらかというと慎重で、未来や生に対して希望を持っている人だというのも強く感じました。

平井さんは、これまでの経験から、人は若くても亡くなることがあることを強く感じてきたといいます。3時間、旅以外の話も聞きながら、彼の中で「死」を感じることからは逃れられないのだろうなと思いました。それをネガティブに捉えているのではなく、「これをしないと死ねない」ということにどんどん取り組んでいました。

死の実感が近くにあるからこそ、生が輝いて見える。「朝の来ない長い闇を抜けた先の太陽の光が見たい。」その言葉通り、平井さんの人生自体が冒険を体現しているのだと思います。その挑戦が大変なもの(もしかしたら命にも危険が及ぶこと)であればあるほど、平井さんの準備は慎重になります。

できるだけの準備をして、死の境界線と距離をとる。そこに近づいてしまう、無意識のうちに思考に影響を与えてしまうそれと、一定の距離を保ちながら人生を楽しんでいました。

平井さんの次の旅もいいものになったらいいなと思います。ありがとうございました。



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