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人の命を想うひとに、私たちは支えられている

人の命を守るひとはすごい。消防士、医師、保育士、、この人に命がかかっているんだという瞬間があるお仕事が、この世には結構ある。

一方で私は自分のために働き、自分のために生きている。あんまり他者に思いが至らないから、利益とか福利厚生とかボーナスとか、そんなことで頭が埋め尽くされている。正直自分が幸せに生きるために「だけ」働いていると言っても過言ではない。

普段はそのことを特段恥じることもないのに(それが良いかはいったん置いておいて)、今回起こった出来事で、自分の利己的な態度について考えさせられてしまった。

就活をしていたときには、給料や労働時間の話題ばっかりだったから分からなかったけれど、私が支える「社会」と、彼ら(命を支えるお仕事のひと)が支える「社会」は、根本的にすごく違うものだと感じるのだ。

迷惑をかけたくないなとか、最低限の礼儀は必要だなと思う。自分が直接犠牲を払いたくないけれど、みんな幸せだったらいいなと思う。でも、自分が苦しんでまで、誰かを救えるか?その答えがイエスになる日は、私には来ない気がする。



医師として働く友人とアジアを旅行したとき、訪れたカフェの近くのコンビニで、人が倒れた。意識は朦朧としていて、いわゆる泡を吹いて倒れると言える状態だった。

私にはなす術もなく、また、とんでもなく最低なところを開示すれば、異国で様子がおかしい人に関わる気にもなれず、遠くから突っ立っていた。私の潔癖は、いつも最悪な性格の悪さで露呈する。

けれども友人は違った。私が体調不良者に気づくよりも前に、彼らに駆け寄り、体を確認しながら声をかけ始めていた。

友人の「大丈夫ですか!」の声で、わあ!体調不良か!と私が気づいたほどの一瞬の出来事だった。その間にも、一緒にいるお母さんにも動揺しないよう、適切な声掛けを続けていた。

ひとしきり声掛けをし、意識が戻ってきたから救急車を呼ばなくてもいいだろうと伝え、その場を後にした。

ほんの5分程度の出来事だったのだが、友人は人を救っているのだなという実感が、強く私に込み上げてきた。

こういう人に、支えられて生きているのだなと思う。普段は元気でいても、異国の地でばったり倒れてしまうかもしれない。そんなのは今までぼんやりとしたフィクションだったが、急にリアルになった。

旅行という意味では抜けがちな友人を、改めて尊敬しなおしたのだった。この人は、誰かの命を当たり前に最優先にできる人なんだろうと思った。彼女はそれをなんでもないことのように言うかもしれないけれど、それは尊敬されるべきすごいことだよ。と私は思わずにいられない。

私の生き方はきっと変えられないけれど、最大限の敬意を持ち続けたい。

あと、海外旅行保険には絶対入ろうね。


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mayu
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