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2度だけ話したことがある、あの人からの異動のあいさつ

その日メールボックスを開くと、珍しい名前を見つけた。懐かしいわけではなく、普段は業務上の関わりもない人。どうしたのかなと思ってメールを開いたら、異動のあいさつだった。

その人とは、二度会ったことがある。確かひとつ年下の、濡れたような黒髪にパーマの似合う、会社の同僚だ。一度は業務の延長の交流会で、二度目はサシ飲みに誘われてだった。大きな目をした、パワフルで美人な子だった。

***

混み合った店内に、5番様で〜すと声が響く。すでに頭まで赤く染まったおじさんたちをかき分けて進むと、そこにその人はいた。

会うのは2回目で、サシ飲みは初めて。あれ、この人こんな顔だったっけと、横顔を見て思う。マスクもしてたし、そんなもんか。

「お疲れ様です〜待たせてしまってすみません〜。」店内の喧騒に負けないようにボリュームを上げて、その夜は始まった。

とりあえず生から始まって、彼女は白レバーを頼んだ。私は食べられないから、こういうとき一瞬の沈黙が降ってくる。

「あれ、食べられなかったっけ、私すっごい好きでさあ!」そんな間に臆することもなくメニューを決めていく彼女は、私が会ってきた人と違う初対面の雰囲気をまとっていて、嫌いではないとすぐに感じた。だったら私はぼんじりを頼めばいい。それだけのことだしね。

人にある意味ずけずけと踏み込んでいける勇気に、私は憧れている時期があった。どちらかといえば空気を読むのが得意な人間として生きてきた私には、相手の気持ちを深読みしすぎてしまうところや、先回りしてこちらで道を用意してしまうところがある。だから相手が嫌いだったら頼まないとか、思ったことも最初は言わないなんていうのは鉄板で、少しだけ息を詰めた、でも適度な距離感というものが必要だと思っていた。

ところがその人はそういうことを感じさせず、私ってさあ、話が合いそうな子がわかるんだよね!とほとんど初めて話す私に言ってのけた。飲みっぷりと笑顔が眩しく、私はすぐさまこの人に恋をする男性陣の気持ちがわかったのだった。そんな魅力的な人だった。

***

メールで久しぶりにその名前を見た。業務での関わりがなく、家が近いわけでもない私たちは、結局そのまま話すことがなかった。もちろん飲みにいくことも。でも、彼女が異動の挨拶の送付先に、まったく仕事で関係のない私を入れてくれたことは、少しだけ嬉しかった。

私ぜったい向いてると思うんだ!そう言って目を輝かせていた営業職になれたのだろうか。そうだったらいいなと思う。そして、その不思議な魅力に溢れる話しぶりで、活躍するんだろうなと思う。

メールに返信してみようかな。もしかしたら新幹線を使わないと会えない場所にいるかもしれないけど。思い出してくれてありがとうねと、伝えなきゃいけない気がして。



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