彼らとビールを囲んだあの夜に、心の旅をする
最初から、ビールがものすごく飲みたくなるのは覚悟していました。幸い冷蔵庫には友達の置いていった赤のエビスが示し合わせたように2缶並んでいたし、今日は金曜日だし、この本を読むのに何も問題ないかと思っていました。むしろ最適な晩だと思えたほどです。
けれどもその文章から呼び起こされたのは、ビールを囲んだ沢山の人たちの笑顔といつもより火照った場の空気でした。
懐かしい。自分達の笑い声と隣の席の笑い声が混ざり合うあの空間を、私はたくさんの人たちと共有してきました。その場面が、新しいビールの登場と共に次々と思い起こされました。記憶の中でキラキラと泡を弾く黄金色の飲み物は、みんなの中心にでん、と置かれて満足げなのでした。
今まで時間を共にした人たちに、思わず連絡をとってみたくなるような金曜日を過ごすことになりました。
ビールの神様には会ったことがないけれど
私には、「ビールの子」と恋人との間で呼び合う友人がいます。よく私の話題に上がるから、恋人に分かりやすいようにそう呼びはじめました。そのくらい親しい女友達のうちの1人です。
彼女は、私にビールの魅力を身をもって教えてくれた人です。
ビールを飲みにドイツに行こう。そんな誘いを受けるのは、人生で彼女からだけだと思います。
どんな酒豪な女が現れるのかと身構えるかもしれません。ですが彼女はくるくると黒目の大きい垂れ目がちな目をしている、韓国とダンスが好きなとても可愛い人なのです。
私がこの物語の入り口に立った時、そこには彼女がいました。
そうだよね、と私はその存在を心強く思います。私たち、沢山一緒にビールを飲んできたもんね。夢のような旅先の夜、女子だけで笑い転げた夜、失恋をかき消したくて浴びるように酔った夜、その一杯のために集まった夜。
そういう情景の多くが自分に眠っていたことは、嬉しく少しだけ切ない思いをさせます。そんな気持ちを抱えながら、林伸次さんの『HOP TRAVEL ハラタウ -1000年の土地-』のページをめくります。
ペールエール
ビールの物語始まりは、ビールの歴史の始まりでもありました。ペールエール、私も馴染み深い定番のビールです。
私がビールを美味しいと思って沢山飲むようになったのは、ニュージーランドにいた頃でした。
留学で8ヶ月を過ごしたニュージーランドで、私は勉強するより多くの時間をニュージーランドと日本のそれぞれの友人と過ごしていました。娯楽の少ないその街で、私たちはビリヤードをするにも海に行くにもラグビー観戦をするにも、いつだってビールを飲んでいました。
ペールエールはそこで私が好んで選んだお酒です。拙い英語の懸命な意思疎通も、乾杯をして誰からともなく笑い声が上がればもう大丈夫な気がしました。
私が「ビールの子」と初めて出会ったのもその場所でした。彼女は私よりも何年も長くビールと向き合い、特にビールを愛しているようでした。
ラガービール
ラガービールは私がよく知る、これぞビールという味をしていると思います。けれども私にはこのビールの強さはまだ早いようです。いわゆるドライと言われるそのガツっとした味と濃さを、残念ながらまだそんなに楽しめないでいます。
けれども友人にはラガー好きも多く、なんだかんだで私もよく飲んでいました。そもそもニュージーランドにお酒の選択肢は多くなく、いつもペールエールかラガーかの2択の中でジャグに注いでもらったビールを分け合っていました。
もしくは緑の瓶でお馴染みのハイネケンをよく飲んだんです。だから今でもハイネケンを見ると、夜になると誰かのシェアハウスにお酒を持ち寄って飲んだ日々を思い出します。
IPA
だんだんと私はクラフトビールにも興味を持つようになりました。ビールの歴史も作り方も何にも知らなかった私は、ただ美味しい飲み物を大切な友達と囲めることが好きでした。
クラフトビールのお店に入ると、ペールエールやラガーと並んで多くの種類があるのはIPAな気がします。
そのぴりっとした苦味や酸味の独特の風味が種類によって異なり、飲み比べの中にも必ず数種類あるのも納得です。ただ私は強く鋭い味だと量を飲むことができないので、そんなとき昔はよく「一口ちょうだい」をしていました。
ホワイトビール
1番馴染みがないようで、私がクラフトビールを飲みはじめの時によく試していたのがホワイトビールでした。自分が強い味が苦手かもしれないと思ってから、それでもクラフトビール屋さんでみんなと飲みたかった私はなるべく軽い口当たりのものを探していました。
ふんわりとしたビールの苦味とフルーツのように華やかなその味は、ビールの世界に興味を持った初心者の私を優しく迎えてくれました。
黒ビール
私が1番好きなのが、この黒ビールです。飲み比べのセットで黒ビールを初めて見た時には、純粋に色が濃いし苦そうだなと思いました。
けれども私はその焦がしキャラメルのような深めの甘さが好きでした。このビール、おいしい。ブラウンが可愛いし。そう思って私に「黒ビールは美味しいもの」とインプットされました。
クラフトビールを飲みにいくと、私は一杯目に決まってそれを飲みます。無難なところから飲むのが王道なのかもしれないけれど、それは普段の居酒屋でやってるから!って自分の好きなものにまっしぐらにさせてもらいます。ビールなら黒ビールが好き!と言うたびに、恋人は本当にお酒が好きだねえと嬉しそうに笑います。
アイリッシュパブ
本の中で、イギリスのパブで一緒に飲み合うそれぞれがジャグでビールを買って相手にも分けてあげる場面が出てきました。ニュージーランドで自分もそういう飲み方をしていたことを、私はそれまですっかり忘れていました。私はイギリスには行ったことがないけれど、あの国には国旗の中だけでなく、イギリスの文化がしっかり根づいていました。
固くて脚の長い木の椅子と、小さな丸テーブルを先に陣取って、誰かがビールを買いに行ってくれます。それを囲んでなくなったら次の人、また次の人と繰り返して夜がふけるまで飲み続けました。
酔っ払ったどこかの卓の人が紛れ込んで自分のグラスにも注いで飲んでいたり、ハイタッチを求めてきたりすることもしばしばありました。あの火照ったような熱気を、私はもうしばらく感じていない気がします。
ベルギービール
ブリュッセルに降り立った時、私と友人の目的はチョコレートでした。ところがビールも有名だと知り、ヨーロッパ旅行の最後のご飯は、美味しいビールを飲み比べることにしたのです。
とにかく、驚くまでに香りがいいものばかりです。見た目もカラフルで、カクテルのような鮮やかな色のものもあります。苦さで表現が変わるものがビールなのかと思っていたら、あまりにもフルーティーなんです。
ああだこうだと驚いたり感動したりを繰り返した女子会は、最後の夜をあっという間に溶かしていきました。
ドイツビール
ビールのために生まれた酒場とビールのために生まれた料理。全てが大きく大胆で迫力があり、私はここにビールを飲みにやってきたんだなと感動する光景がありました。
残念ながらミュンヘンのオクトーバーフェストの時期とはややずれていて、その場の空気を感じ取ることはできませんでした。けれども、歴史あるビアバーで女子2人で飲んでいたら、隣の老夫婦が話しかけてきて一緒に写真を撮ってみたり、言葉はわからないけれどビールが美味しいと目ぶり手振りで伝えてみたり、ビールを囲んだ人々は決まって陽気で、大きな声でよく笑いました。
本場の1リットルジョッキを前に、私達は満面の笑みで写真に収まります。お酒を飲むために来たのだからと、バーからほど近い場所に宿をとっていた私達。予想通りへべれけになり、ホテルのベッドに倒れ込んでお互い酔いすぎていることに笑いが止まらなかったあの夜。この度に誘ってくれたその可愛い女の子に、わたしはただただ感謝しました。
ハラタウという目的地
いきあたりばったりでビールを楽しんできた私は、この本を読むまで「ハラタウ」という地名を知りませんでした。けれどもそこで育ったホップがドイツのビールの味を支えてきたということに、長すぎる歴史の深さを見た気がしました。
今までホップって何かも知らず、なんとなく響きから泡だと思っていたんです(適当すぎる)。それが松ぼっくりのような形で、蔓性の植物に生えているなんて。あまりにも想像していたものと違いましたが、だからこそ本文中に描かれるホップ畑の風景は幻想的なものへの入り口に見えました。
なんだか、今まで飲んできたビールがどんな種類なのか、それも気になってきます。今度誰かとクラフトビールを飲むことがあったら、間違いなくメニューの細かい文字まで気になってしまうでしょう。
ビールのある場所で、再会したい
新しい場所、新しいビール。主人公の話がめぐるたびに、私も自分の中でのビールとの思い出が蘇っては流れていきました。その時知らなかったビールにまつわるエピソードが追加されて、納得したり驚いたりするのです。林さんの描くHOP TRAEVLは、私の記憶の旅と不思議と重なり合っていきました。
私があの時笑いあった大切な人たちに再開するのはいつでしょう。どこでしょう。それはまだわからなくて、もう始まっているかもしれないし、まだまだ先になる相手もいるでしょう。
けれども、その真ん中にはやっぱりビールがあると思うんです。
きっとただビールが飲みたいんじゃなくって、誰かと美味しいと言いたいんです。ビールの味が私の思い出になるのではなくて、その場で感じた幸福感こそがそのビールの記憶になっていくのだと思います。
ビールのある場所で、また再会しよう。
誰かにそんなメッセージを届けたくなる、そんな金曜の夜ももうすぐ過ぎていきます。
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林さんの描くビールの歴史と美味しいビールの世界をみなさんもぜひ。
#ヱビスの小説読書感想文