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過去の想起に孕む危険性

 私の旧知の友人の1人は、深夜に高校時代の写真を嬉々として送りつけてくる習性がある。私の所謂人生におけるピークにあたる時期は高校時代であるのだが、当時の記憶を刺激されると「懐かしい」という感情よりも遥かに強い「痛み」が私を襲う。周りから見てどうであるかは本当にどうでもいいのだけれど、私の記憶が改竄されていなければ間違いなく輝かしい青春を送ることができた。周囲から見れば陰のモノだったのかもしれないが、さっきも言ったように周りの意見はどうでもいい。黙ってくれよ。とにかく、私にとって思い出深い過去を想起するのは本当に痛みを伴う行為であるのだ。

 この感覚は高校を卒業後、上京してからというもの幾度となく私を殴りつけてきたが、近頃のそれは確実にメリケンサックを装着し始めている。この感覚が天井知らずに年々増すのだとしたら、B級ゾンビ映画で髭とタバコの男がゾンビを殺戮するような釘バットを持ち始めるのも時間の問題で、そうなれば本当に何かのはずみで死んでしまうと思う。

 私はIQとかが普通に3000くらいあるので、懐かしい写真を目にして「あの頃は楽しかったな」「1日だけでいいから戻りたい」などとは思えない。時間というあまりにもデカすぎる壁に守られている過去に、絶対に戻ることができないという事実を静かに認識して、大粒の涙を流すのみだ。
 ちなみに私はめちゃくちゃに涙脆いので「僕のワンダフルライフ」「犬と私の10の約束」のような感動映画なんかは、犬が出てきた時点でその先を想像して泣けますね。その上ヤクザみたいな泣き方なので、都内の映画館は全て出禁になってます。開始5分でヤクザみたいに泣く奴、確かにめちゃくちゃ嫌だから仕方ないな。

 人間は皆例外なく過去に縋って生きていく生物なので、過去を想起する行為は避けようと思って避けれることではないんですけど、みなさん、”子供の頃にはどう頑張っても戻れない”のまじでやばくないですか。こんな話題は擦りに擦られてきたテーマだろうけど、改めて考えると本当にやばいってことに気づかないですか?部活終わりヘトヘトの体で軽すぎる長財布から100円玉をどうにか錬金してジュースを買ったり、好きな子がいるクラスの友達にどうせ使わない資料集を借りに行ったり、職員室を開けるときのドキドキだったりは、もう未来永劫戻ってこないんですよ?死を本格的に検討してもなんらおかしくないです。

 おそらくこういった思いや事実の複合物が、痛みとして私を襲っている。昔の写真を見ることは、絶対に戻れない過去を嘆くことに他ならず、要するに痛みそのもので、つまるところ、迫り来る死を認識するということなのである。
 私は暫くするとこの感覚に釘バットで殴打されることになるが、私は普通に最強なので絶対に長生きするだろうし何より、髭とタバコの男は終盤にゾンビに食われるのが定番なので、安心してください。


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