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掌篇小説『Z夫人の日記より』<157>

4月某日 湯

『春の夢』と通称呼ばれる温泉郷にきた。母をつれ。
 春が終ったらどうなるのだろう。春より前は何をしていたろう。

 堤のしたを流れる河が総て温泉であるらしい。湯気もたたず匂いも感じないけれど。

 桜などとうに散っているのに、河の左岸のこちらも数十メートルさきの右岸のあちらも、欄干にそい何故か赤系のみのビニールシートを広げた老若男女で溢れかえり、お弁当やバーベキューやビールや抹茶やベイクドチーズケーキ等が鼻をつき。それで湯の匂いが嗅げぬのか。

「母をつれ」来たと思っていたが、眼の端でとらえていたらやけに肌の露出度が高く化粧も濃い気が。ちゃんと視れば、それは私よりひと世代うえの美人女優だった。ひかる肌、青いビロードのオフショルダーワンピースに膨らむ胸と、への字口で拗ねたふうなルージュが、ブラウン管越しでないのでやや、暑苦しい。

 母ならぬ「母親役」の女優を、辛うじて占拠した四畳半にも満たぬ赤の床におき。カメラを肩にさげ橋までぶらぶら歩いてみる。車道も覆う赤シートを、弁当を鉄板を茶釜をホールケーキを人体を、跨いだり踏んだり。

 橋がいっこうに現れないかわりに、右岸のあちらに奇妙なビルを視る。一階は窓も設えずコンクリートに塞がれているが、二階よりうえは河沿いの面に壁がなく、柵を忘れた鳥籠みたい。
 そこにタオルとかパンツ1枚だけの、何故か肉付きのいい中年以降の男ばかりがひしめいている。否、遠目でわからないだけで乳を晒した女もいたか。

 彼等がひとりずつ(タオルの者はいちおう股をおさえつつ)、飛ぶ。鳥籠に群れたヒヨコは翼を広げたとて堕ちてゆく。河面へと愚直にダイブするのが殆どだが、回転や捻りなど技を視せる者も。
 左岸のこちらに滴があたりそうなほど飛沫をあげても、タオルを乗せた頭がヒヨコと云うよりモグラよろしく現れても、やはり温泉には視えない。湯気がないし、湯じたいも流れてると云うよりは、流れのかたちに固まった水色の結晶か、紙に刷られた浮世絵みたい。
 てきとうにカメラのシャッターを切る。隠しきれぬ股間やおっぱいや髪を逆あがらせつつのダイブも写ったろう。

「母親役」のところへ戻ると、女優はワンピースを着た儘いるのに、湯あがりの如く髪が柔らかく、顔が火照り艶をもつ。視知らぬ男が彼女の側に居て、すり寄る、と云うかオスとして、メスを喰らいにかかる。首筋にすいつき裂く音をたててショルダーを下ろし、膝で腿をひらき。

 にじみながら、ふたりの周囲の赤ビニールシートや酒宴茶席等の面々は像を崩し、消え失せ。いれかわりに、2時間サスペンスドラマみたいな、木の壁も畳も比較的真新しいホテルか旅館の部屋が炙り出され。私も、襖のかげから今日の「母親」と間男を覗き視る未成年の娘役へと、変化する。

 よくよく視たら男も知ってる俳優だった。眉がボサボサで鼻はひくく唇も潰れた鱈子たらこで、年中二日酔いに浮腫むくんだふうな顔。からだこそ長身で締まっているけれど、あのツラでどうしてヒロインの相手役に? と子供の頃より七不思議のひとつとして眺めたものだった。ドラマなんて9割9分男性が造ってるから、男が択ぶ男ってのがあるんだな、とも思いつつ。
 しかしあながちそうでもなかったのか? と、今。3次元で眺めるふたりは、男の方がよほど自然に色を匂いたたせて映り、反して女優は私から視るアングルさえ意識しているような、顎の仰け反り加減や髪の乱れ、指のひくつきや呼吸の間合いまで計算されていて、美人であることも却って仇となり、空々しい。浮世絵よりも。
 テレビで放送不可な地帯まで漏れ視えている。生娘の私はもうカメラを持たず。記憶に留め。

 聞えよがしにサンダルを履き部屋を出て、いつからか巻いた浴衣で廊下を歩み露天風呂へと向かう。そこで2時間サスペンス第1の死体が発見されるかしら。否、場所のイメージを悪くするといけないし、付近の裏山とかで? 水色の結晶波打つ海があるのなら砂浜や崖っぷちもありか。

 曲がり角の机におかれた小さなパンフに、『春の夢・○○○』と屋号。春が終ったらどうなるのだろう。春より前は何をしていたろう。或いは永劫春なのか。





©2024TSURUOMUKAWA





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久し振りに参加させて戴きました。


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