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掌篇小説『Z夫人の日記より』<156>

8月某日 貨

 偽造硬貨を選り分けるバイト。

 どこかの安めな紙幣になりそうな顔の男が、十円玉ぎっしりの半透明なゴミ袋を計3つ、朝の玄関においてゆき。

 十円玉は手に取ったおおきさや重さはどれもおなじだが、ニセモノは表面に字も画も立体的に刻みつけてはおらず、唯イラストで描いてあるだけ。
 イラストとは云え、御堂の柱や瓦まで本物より精密に描かれたものもあり。虫眼鏡でのぞくと、ブラウンの暮れ時もしくは明け方に狩衣かりぎぬの人間が今にもとおり過ぎる気がして、うっとり。
 その一方で、作り手が疲弊したか、子供のラクガキ程度の目鼻口が描かれただけのものも数多い。黒人のような肌色のうえ、笑っていたり泣いていたり拗ねていたり寝ていたり。皺だらけだったりヤクザぽかったりオカマぽかったり。

 どこかの安めな紙幣になりそうな顔の男が夕方またきて、ニセ硬貨を持ち帰る。ひねもす付き合っていると、なぜだか幻の狩衣男よりも拙い円顔たちの方に愛着がわき、別れるのがほんのちょっと名残惜しかった。

 残された本物硬貨はギャラ。


◆◇◆


8月某日 技

 何年かぶりの知人男性とお茶。

「格闘にハマってる。観るんじゃなく、やる側で」
 とのこと。しかし視た感じ、別段鍛えられたようすもなく……坊主頭に顎髭、怒り狂った龍のシャツなど着ているが、どちらかと云えば、純粋に肥えた印象。私より豊かな乳房。

 そんなでも何らかの技は修得したようで、腕を振るだけで風のような、空間を水中さながら歪ます潮流のようなものが生れ。テーブルのコップの氷がシュガーポットの砂糖がメニュー表が紙ナプキンが宙を舞い渦を巻き、彼のテンションがあがると植木鉢や椅子やウェイターも下から掬いあげられ、天井を滑ったりシャンデリアと抱き合ったり。

 私は危ないのでみっつ隣のテーブルから、両掌りょうてをメガホンのかたちにして、
(彼)「こないだヨメに生命保険かけられてさぁー」
(私)「そう云えばコドモのDNA鑑定はどうなったのぉー」
 とか、叫びあい会話。

 返事がこなくなったと思い、ミルフィーユをぐしゃぐしゃにして食べつつオペラグラスをのぞくと、彼の向いにいつからか、彼より筋肉質な体躯でチリチリパーマの髪で虎の牙むくシャツを着た視知らぬ男が座っており。互いに腕をぶんぶん振りあい、談笑。

 睦まじきふたりで技の威力が倍もしくはそれ以上となったふうに、喫茶店はいっそう歪み何処も彼処も直線の領域をうしない。アメフトの防具をつけたウェイターと銀の盆が、ふたたび床を壁をくるくると転がってゆく。壁にあった筈の、左手で股をかくす裸婦画や、何処かのテーブルのティーポットおよびアッサムの液やスコーン・ケーキののったスタンドや数多のレースとリボンとピコフリルとファンデーションとアイメイクに埋れた双子の老婆も、天へと舞いあがり、おどり。私の壊したミルフィーユの層たちも、そして私自身もテーブルごと、仄かなあたたかさと共に、ちょっと浮きはじめ。


◆◇◆


8月某日 若

 近くの高校を横ぎる。巨軆に合わず傷ついた様子で跪く学ランの男へ、旁にいるもう一人の学ランが、「おお前がブラック飲めないのを嗤う奴を俺は許さないい」と叫ぶ。巨漢は感動したか泪を流し。喰らいつくように抱き合う二人。叫んだ子は立っているが、跪いた儘の巨漢と変らぬ背丈で、まるで息子みたい。因みにこの学校の制服はブレザー。


◆◇◆


8月某日 母

 実家へ。
 母が所望した、かなり昔の歌手のレコードをもってゆく。可愛らしく、声もたおやかで、私も好きな。
 中古店で買ったのは、母も私も聴いた事のないデビュー盤。蓄音機の針をおとす。
「……うちの子は芯はつよいと思うけれど、秋にかならず風邪をひきますの。機嫌が顔に出易くて、あたくしも注意しますけれど大目に視てやって。売れるまでは死ぬ気でやらせますけれど、変なクスリとか破滅的な恋とか新しい宗教とか、どうぞ教えないでくださいましね」
 歌手の母親とおぼしき者の話し声ばかりで、3分経っても曲が始まらない。デビュー出来てないじゃない、と云おうとして振り向けば、滂沱の涙をながす母。


◆◇◆


8月某日 友

 子供の頃からのペンフレンドがいる。

 会った事はないが、おそらく似た年の女性。

 始めは例文の如く尤もらしい日常を書いていたが「ルールがあるか?」と、どちらからか気づき。

 今は便箋に、電報のような一行(稀に数行)を書くのが通例となった。

 今日きた手紙。

「去年の女は50年前の女よりダサいのよ、って云われた」





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