見出し画像

05.Jan.2020 誰のことも馬鹿にできやしない

涼しい。朝から雨模様だが悪くない。

今日は鮭缶を使って鮭フレークを作るというアイディアを偶然クックパッドで発見したので早速作ってみた。鮭フレークはQOLを圧倒的に上げてくれる。これは海外生活を送る同志には有益な情報かもしれない。

鮭フレークのストックが冷蔵庫にあると、ちょっと嫌なことがあっても「まあ家に帰れば山盛り鮭フレークご飯が食べられるしな」となるし、嫌な人がいても「そんな口聞いていいのか?僕は家で鮭フレークとよろしくやってる身だぞ」となれるので無敵だ(?)


買っておいた2020年用の手帳に色々と書き込みを始めた(少し出遅れたが)。中には目標設定のためのページが刷られていて、今日はそれについてよく頭を働かせた。ゴールセッティングには自分のアイデンティティだとかその他の自分の中のコアな情報をまとめていく必要があるらしい。

僕はどんな人物か?という問いに一言で答えることは難しい。もう少し時間をかけて考える必要がありそうだ。


休日を家で過ごすことが多い僕は、よく人から「家で何をしているのか」と聞かれるが、
大体は今日の様にノートを広げて考えたことをひたすら書いていることが多い。一日に何ページも書いているのだ。これの何が面白いのか誰もわかってくれない。でも僕は極めて生産的だと思う。



本題、

誰のことも馬鹿にできやしない。

大人になったからか、あるいは僕が属しているコミュニティの人間が皆良い人だからなのか、とにかくこの頃は他者をを馬鹿にする人間に出会ってこなかった。しかし少し前に、ある人から複数人の前で理不尽に笑いものにされたことがあった。大事でもなんでもないが、こういう刺激は僕の日常的な考え事の材料になる。不条理な出来事がたまにないと人生が鈍ってしまう。

特にそれについて酷く憤慨しているわけではないが、考えるには十分に面白い出来事だったと思う。

僕も小中学生だった頃は誰かを馬鹿にしたり馬鹿にされたことがたくさんあった。力の差を見せつけられて悔しい思いをしたこともあったし、その逆もあったと思う。

今、僕は多分それなりに正常に心が成長したので、そんなこともしなくなった。でもそれは馬鹿にすることの善悪の分別の話ではなく、誰のことも馬鹿にすることができないという気付きがあったからである。

これは僕の個人的な経験を踏まえて現時点で言えることだが、人に馬鹿にされたり、いつか見返してやりたいと思うような悔しい思いをして、時が経ちその当時よりも幾分か実力をつけて精神的にも向上した自分は他者を無闇に馬鹿にしたいとは思わないし、相手に屈辱を覚えさせる様なパワープレーはしたいとは思えない。人を馬鹿にするという行為は、自分に自信がないことの現れなのかもしれない。

今、自分が仮に誰かを馬鹿にしたとして、それが後になって大きな自分の傲慢だったと恥じることになるだろうし、あるいは自分が他者を馬鹿にしている間、自分より上の実力の誰かに鼻で笑われたりするかもしれない。そう言う意味でも馬鹿にすることは野暮だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?