02.Jan.2020 僕はポジティブかネガティブか
今日、またお雑煮を食べた。好きだなあ。これからはお正月じゃなくても気が向いた時に食べたい。
午後はショッピングセンターに行って以前買ったTシャツのサイズを大きいものと取り替えてもらった。無事終了。
夕食はラムのランプステーキをニンニクとブランデーで香り付けして食べた。臭みがとれたし焼き加減は狙い通りミディアムレアでなかなかの出来栄えだったと思う。
僕は音楽の好き嫌いが強いと思う。嫌いな種類の音楽があり、それをどうしても耳に入れたくない。そういう意味では僕は西洋文化圏での生活には向いていないのかもしれない。なぜならアメリカ主導のエレクトリック系の音楽が本当に受け入れられないから。そしてその僕が嫌うジャンルの音楽は若者が集まった場でよく再生されがちだ。
オーストラリアでは公共の場でもイヤホンを使わずスマホのスピーカーでガチャガチャした音楽を再生する人がいる。大抵そういった人が流す音楽は僕の嫌うジャンルのものだ。自律神経をかき乱す有害な音を嫌でも聴かされるということは一種の公害だと思う。
本題、
以前友人と話していた時のことについて考えてみた。
「君は、ポジティブかネガティブか。」
という問い。
僕は少し前まではポジティブな人間だと思っていた。
今でもポジティブではある。
ただ、いちいち分類しなければならないことでもないと思い始めた。
人は、四六時中ポジティブでいられるわけがないし、多分そうあってはいけないのだと思う。
理屈っぽいことを言えば常時ポジティブだと言うのはつまりポジティブでないということでもある。
感情の浮き沈みがあってこそ「ポジティブな時」が存在するのだと思う。
それはいいとして、話を戻そう。
ポジティブ/ネガティブに考える、というのはどの領域が対象なのか。
大きく分けると未来と過去のことだと思う。
自分の手によってそれ以上の変化が見込めない「近いうちに起こる事」についてポジ/ネガに考える場合と、
「既に起こってしまった事」について考える時、つまりセンスメイキング(身の回りで起きた事柄に意味を見出そうとすること)。
僕は今のところ未来について過度にポジティブなイメージを持つことはせず、できるだけニュートラルに考えている。良いことも悪いことも起こるはずだし、それは僕の積んできた徳だとか(徳を積んでこれたかどうかはさておき)そういった要素によって決まるものではない。
起こるものは起こる。それに気を取られていても準備のしようがない。ただ腰を据えて構えているしかないと思う。
また、過去、つまりセンスメイキングをするときはもしかするとポジティブに受け取っているかもしれない。しかしできるだけ客観的に見るよう努めている。同じポジティブでもどう受け取っているかという話だが、僕の場合「これは痛い出来事だったが、〇〇という点で僕は〇〇という事を学ぶことができた。」「これは僕に〇〇だという事を気付かせてくれたサインだったのではないか。」
のような感じだ。出来事を教訓として捉えることが多いと思う。ある意味ではポジティブだと思う。
以上思考の備忘録程度に。
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