桃花心木

猫と爬虫類と妖怪と編み物と読書が好きです。でも一緒に写っているのは犬です。

桃花心木

猫と爬虫類と妖怪と編み物と読書が好きです。でも一緒に写っているのは犬です。

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黄昏どきのスーべニール

     プロローグ  あの夜は夢だったのだろうか。  愛し子の柔く少しく汗に塗れた髪の束を指ですくって彼女は部屋の内側の夜に目を向ける。申し訳程度に開いた子供部屋のドアから射し込む廊下の明かりが部屋に少うしだけ陰影をつける。上から二段目の取っ手の引き具合に多少のがた付きの見える子供向けの衣裳箪笥、その横にポンと無造作な風体で置かれている、近所の量販店で購入したような渋い辛子色のカラーボックスケースの中には、歪な、この齢の子供が親しむには少しだけ歪な形をした塩化ビニル

    • 友人に寄せた死生観。

      前に根っからの浄土真宗信者だと書いたな。あれは嘘だ。  否、あながち嘘でもなく実家は一応は浄土真宗なのですが、わたしは別に浄土真宗に帰依している訳ではなくてですね、教義的に云うと一番しっくり来るのはチベット仏教なんだな、と云うお話です。  チベット仏教について詳しく語るのはわたしの知識と脳機能と言語能力とキャプンションの文字数の限界を超えてしまうのでサラッと書かせて頂くと、  「教義は般若心経に近く、死生観は輪廻転生である」  これ、チベット仏教徒やチベット

      • 未完作のプロローグ

         あの夜は夢だったのだろうか。    愛し子の柔く少しく汗に塗れた髪の束を指ですくって彼女は部屋の内側の夜に目を向ける。申し訳程度に開いた子供部屋のドアから射し込む廊下(そと)の明かりが部屋に少うしだけ陰影をつける。上から二段目の取っ手の引き具合に多少のがた付きの見える子供向けの衣裳箪笥、その横にポンと無造作な風体で置かれている、近所の量販店で購入した渋い辛子色のカラーボックスケースの中には、歪な、この齢の子供が親しむには少し歪な形をした塩化ビニルモノマー製の人形(特に特撮映

        • 七つ星のひと。

          今日は、主人が美容師の専門学校に通っていた頃からの大親友であった「あっちゃん」さんのお墓参りに訪うて参りました。 命日は昨日だったので一日遅れのお墓参り。あっちゃんのお墓参りに訪う日は大抵すっきりと晴れて梅雨入り前なのに暑いくらいの陽気なのです。 六浦の山の上から大空と横浜横須賀道路とその下の街並みを臨む、静寂と静謐を合わせもったこの墓地は、年々墓じまいをする方が増えているのか化粧砂利だけがさらりと整えられている更地がちらほらと所存し、今日は少しうら寂しく目に写りました。

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        黄昏どきのスーべニール

          井戸の外の蛙、梅雨待ち帰る。

          例年ならばもうそろそろ梅雨の足音が聞こえて来ても良いようなものを、関東地方は梅雨を越して夏本番と相成ってしまったような陽気が続き、本当に今後この星はどうなってしまうのだろうと分不相応な心配をせずにはいられないし、夏のない国に住みたいほどに暑さに弱いのでわたしの中の千代の富士が「体力の、限界…っ!気力もなくなり…!」と涙している今日この頃ですが、昔はこのくらいの時期になるとカエルがね。 幼少のみぎりに住んでいた在所は湘南の藤沢辺り、海に面した住宅街でそんなに田舎でもなかったの

          井戸の外の蛙、梅雨待ち帰る。

          自棄っぱちのエゴティスト

          我が家は初夏から本番の夏に掛け、身動きの取れないお家柄です。 まずもって飼い主のわたくしが夏バテを起こしやすく、炎天下の中外出すると秒でノックアウトされること。 それともう一つ、我が家にはミニチュア・シュナウザーの十々丸(ととまる)と言う犬がおりまして、いつの間にやら齢も八歳と相成ったのですが、幼い頃からお留守番訓練を散々頑張ったにも関わらず、多分これはもうこの子の生まれついての性分なのでしょうが、ひどく寂しがり屋で分離不安症気味なのですね。気味と言うかもう分離不安なので

          自棄っぱちのエゴティスト

          緞帳

          長いこと目を瞑っていたのか、それともその刻は突然訪れたのか、その辺りはよく覚えていないのである。目を開けるとわたしは独り、少しく古びたなお薄暗い劇場のホールのひと座席に腰掛けていた。得てして劇場や映画館の座席と云う物は、座り心地の良いような、しかして座席のバネ仕掛けがうかうかした気持ちに拍車を掛けるような、複雑な心持ちを起こさせる造作である。前方には緞帳の降りた舞台が宵闇が如くのしんと居座っており、大した明かりもない場内の中、他には何も視えない。  「うおん、うおん」と得

          猫の嫁入り

          今朝は憤怒の形相に満ちた美輪明宏さんが素手でフランス領事館を破壊すると言う超スペクタクルな夢を見て酷く疲弊した状態で目が覚めました。美輪さん強いよ…そして怖いよ…。 お陰で今日は一日ほぼ寝込む予定ですわよ。 美輪明宏恐るべしだわ。  某漫画のね、新シリーズを先日やっと購入し拝読したのですが、その漫画の中で主人公が婚約者の実家に結婚のご挨拶に訪れると言う展開があったのですけれども、配偶者と「父親と言うものはそんなにも娘を嫁に出すのが寂しいものなのか」と云う話になりまして

          猫の嫁入り

          水母

          頭のてっぺんからぷちんとした感触と共にするすると糸が伸びたような、あるいはそうめんに似た身体付きの寄生虫が音を立てて頭皮を破り、天へと昇って行ったような感覚に「ああ、起きて居なければ起きて居なければ、とあれだけ念じていたにも関わらず、わたしは睡魔に負けてしまったのだ。そうしてろくな我慢も出来ずに眠ってしまったものだから、せうけらに捕われてしまったのだ。あれは三尸の虫が天帝に罪を報告しに行く音だ。そうしてわたしは地獄に堕ちるのだ。実に憐れな、しかして実に己に相応しい後世であろう

          油紙と角砂糖の庭園

          「角砂糖を取ってくださいな」 そんな声がした。 気付けばわたしは洋の設えで切り揃えられた庭園の中ほどに在る巨木の下に据えられた、これまた洋の趣にあった乳白色のチェアーに座していた。巨樹の梢の合間からキラキラと光が滲み両の目を射すもので、とても美しい庭園だと云うのに彩る花も緑も何だか朧げに見える。少しく残念だなと思う。 何事も霞が掛かるのは切ないことだ。 わたしの少しばかり詰まった出来の悪い脳味噌は、出来が悪いだけあって前頭葉の辺りにいつも膜が掛かっており、いつだって世

          油紙と角砂糖の庭園

          哭けば井戸からかはづ来る

          幼い頃に住んでいた借家は瀟洒な造りの二階建てで、当時の己の体の小ささも相俟ってか大層見映えのする一軒家であった。 否、実際大きくはあったのだろう。敷地面積で三百坪と耳にしたように思う。何処まで本当なのか、取り壊されてしまった今となっては全く判じ得ない話ではあるのだが。 外観は、緑色の屋根に少し乳色の掛かった白い外壁だったように思う。前方には小ぶりな丘と壊れた噴水跡のある芝生の敷かれた庭。家を囲むようにぐるりと廻れば裏庭には祖母と母が趣味で営む野菜畑が広がっていた。きゅうりを捥

          哭けば井戸からかはづ来る

          屁老人

          わたしはけっこう主人の前でも屁を我慢しない人間なので、毎日朝の挨拶は元気よくおならで済ますのですが、たまに「腸内に小鳥でも棲息しているのかな?」と言う様な心地良さ気でメロディアスな音を発する事があるので、無臭老人に見込まれる日も近いかも知れません。 (無臭老人とは:水木しげる著「河童の三平」内の一話「屁道」に登場する、肛門を巧みに使い屁で人心を揺さぶる様なメロディを奏でる事が出来、人生の全てを屁道に捧げて来た老人。屁コトバを使える主人公の三平に屁道への大いなる可能性を見出し

          ネオ・ロマンチックラブイデオロギー

          先日仕事の休憩時、雨が降り降り中庭で食事が出来ず仕方なく、休憩室に赴いたところたまたま休憩時間の重なった同僚のおタケちゃんとご相伴、おや奇遇、なんつって彼女の隣の席に落ち着きまして、ふ、と横を見れば彼女わたしの読まないような女性雑誌を開いており、しかも覗いて居るページの内容ときたら『読者1000人に尋きました!ド・キ・ド・キ★わたしと彼のセックス事情』みたいな題名がまるまっちいフォントででかでかどうどうと羅列してあり、左下にちょっと可愛らしい少女漫画のような画風で男女のいやら

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          蛹化の女〜ストーカーにあった知人の話〜

          兼ねてよりの知人でSNSをやっているSと云う者が居り、その彼から聞いた話である。 Sの幼なじみで同じくSNSをやっている彼の友人Mがフォロワー達と飲み会を開いた。五月のことである。その日は梅雨入り間近で天候も思わしくなく、体調不良で会社を長期休暇していたSは惜しまれつつも飲み会を辞退、思惑とは反してSNS内でカリスマ化してしまって居るSなのであるからして、彼の飲み会不参加に他のフォロワー達は相当落胆したようである。まあ、当の本人は何処吹く風だった訳だが。「SNSなんてクリア

          蛹化の女〜ストーカーにあった知人の話〜

          ナイーブなはずの人

          昨日は持病の通院日でしたよ。 今かかっているクリニックの主治医は今まで通った数多の病院の中でも群を抜いて相性が良く、とても話しやすく理解力と知識、経験が豊富で時に哲学的、鍛え抜かれた抜群の観察眼をもって繰り出す一切の遠慮のない物言いがズバズバと患者にクリーンヒットを与え、しかしそんなところが余計に好感を抱かせると言う不思議な魔力を持った好々爺です。  しかも若干ヨーダに似ている。 フォースと共にあらんことを。   今まで先生から受けた好意的暴言は、  「よく

          ナイーブなはずの人

          海中の栗を拾う/揺れる娘/渡り鳥の休息。

          土曜日の花水川河口、丘サーファーの溢るる中で、遠目に見ても小学校三~四年の男児、波に乗る様が群を抜き、粋でいなせで見目麗しく、見蕩れたり、波打ち際の三人娘、三人三様重量級な肥満体、肉も揺れろと勇ましく、はしゃぐ姿を呆ッと見たり。大磯まで防波堤沿い、歩いて端まで行き着いて、波打ち際で呆として。湿気を含んだ砂の上、踏みしめ踏みしめ平塚へ。戻りまた、防波堤に座って音楽止めて、銀河鉄道の夜を読んで胸沁み込ませ、読了後また音楽聴いて呆として。 そんな事をしていたら、いつの間にやら七時間

          海中の栗を拾う/揺れる娘/渡り鳥の休息。