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井戸の外の蛙、梅雨待ち帰る。



例年ならばもうそろそろ梅雨の足音が聞こえて来ても良いようなものを、関東地方は梅雨を越して夏本番と相成ってしまったような陽気が続き、本当に今後この星はどうなってしまうのだろうと分不相応な心配をせずにはいられないし、夏のない国に住みたいほどに暑さに弱いのでわたしの中の千代の富士が「体力の、限界…っ!気力もなくなり…!」と涙している今日この頃ですが、昔はこのくらいの時期になるとカエルがね。

幼少のみぎりに住んでいた在所は湘南の藤沢辺り、海に面した住宅街でそんなに田舎でもなかったのですがやたらとカエルが多く、梅雨も半ば、夜ともなると何処から何処へと旅の途中のカエルたちが人の道へと這い出てみれば車に轢かれてぺっしゃんこ、な轢死体が多くてね。

鉄の塊に伸された彼らの身体はアスファルトへとへばりつき、陽に照らされて真っ黒けと化すのです。まるで黒焼きにでもされたかのように。

見る度に辛くてね。

四〜五歳の頃は母が産まれたばかりの弟に掛かり切りでほぼ放置子だったので、晴れていれば毎日外で虫や爬虫両生類と遊ぶ日々だったのですが、このくらいの時期になるとシャベルとバケツを持参して、梅雨の晴れ間、道路にへばりついたカエルたちをシャベルと手を使って剥がし取り、庭裏にお墓を作って埋めると言う作業を延々としていたものです。

後に近所の人からわたしの奇行を耳にしたカエル嫌いの母と祖母にバレ大層怒られましたが、今はあの頃よりももっと田舎に住んでいて、隣の田んぼからは毎晩カエルさんたちの合唱が心地好く耳をすり抜けて行くと言うのに彼らの姿は一向に見えず、嬉しいような物寂しい様な複雑な心持ちになります。

泣きながら、アスファルトに身を屈め「どうろはわたっちゃダメなんだよ、あぶないんだよ」と話し掛けていたあの頃のわたしの思いが幾世代を掛けて受け継がれての今日ならば、こんなに嬉しい事はないのですが。

ここいらのカエルさんたちは田んぼがあるから渡らなくて良いだけなのだろうけれど。
少しでいいから姿を見せてくれないかな。
いつの日か。何処かからか帰る際にでも。

もちろん元気な姿でね。