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【小説】林檎の味(九)

 早く退院してカオリに会いたい――カオルは来る日も来る日も、そんなことを考えながら、長い闘病生活を送った。震える手で、毎朝欠かさずサボテンに水をやりながら。
 窓辺にもたれ、虚ろな目で外を眺める毎日。鈍色の空。降り積もる雪、また雪。カオルの胸の内にも灰色の憂鬱――カオルの人生のもう一つの宿痾――が降り積もる。
 その頃を振り返ってみると、取り乱したり、茫然としたりという時期は不思議と短かったような気がする。自分が発病率十万分の一の奇病を引き当ててしまった不条理を思うとやり切れなかったし、将来の職業選択の幅が著しく狭まったと自覚することは耐えがたかった。すべてが悪い夢に思え、毎晩、目が覚めたら世界が元に戻っているよう祈って床に入り、朝、深い失望とともに浅い眠りから覚めた。そのうち、眠ること自体が恐くなった。朝起きたらもっとひどいことが起きているのではないかという不安は、やがてこのまま目覚めないのではないかという恐怖に変わり、睡眠薬の常用がこの後、長い習慣となった。そして床の中では、何で自分が?何で自分が?何で自分が?……自答のない自問の無限旋律――。
 ただ、そうしたことすべてに慣れていったのだと思う。きっと自分はそういう人間なのだろう。人間とはどんなことにもすぐ慣れる動物であるというロシアの作家の言葉に深く同感し、運命愛、アモール・ファティというドイツの哲学者の言葉に慰められたのはずっと後、青年期のことで、大学で深交を結んだ哲学徒の畏友に教えられた。その頃はただ、運命の残酷に耐え、祈りの無力と生の不確実性を受け入れ、穏やかな絶望に幼少期の向日性が徐々に蝕まれていくのに任せていた。薄ら寒いリハビリルーム、手すりにしがみつき、足を引きずりながら懸命に歩く、苦悶で表情をゆがめ、這うように、一歩一歩、来る日も来る日も――。

 窓の外の雪はいつの間にか融けかけていた。
 病院の中庭のこぶしの花が咲く頃、カオルの退院が決まった。我が家の庭のこぶしは、今年もちゃんと咲いただろうか?カオルはふっとサボテンの鉢に目を向ける。サボテンは花を咲かせることなく、枯れてしまっていた。

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