橋本 健史

身長・体重・年齢:どうでもいい。東京都出身。大学卒業後、京都映画塾、北京電影学院、全国…

橋本 健史

身長・体重・年齢:どうでもいい。東京都出身。大学卒業後、京都映画塾、北京電影学院、全国紙記者を経て、札幌を拠点に映画制作会社設立を目指すも一敗地に塗れる。その後、非正規労働者落ち、不適応と転職を繰り返し、泥水をすするような日々、いたずらに馬齢を重ねる。

マガジン

  • オホーツク挽歌考

    宮沢賢治(1896年~1933年)の1923年夏の北海道・樺太旅行、いわゆる「オホーツク挽歌行」について、あれやこれや考えてみました。前年に喪った愛妹トシの魂のゆくえを探し求めるのが目的といわれるこの悲痛な旅について、特に「銀河鉄道の夜」の成立との関係にスポットを当てて考察しています。 ※noteにも重複投稿しています。

  • 善蔵を思う

    大正期の破滅型作家・葛西善蔵(1887年~1928年)と北海道の意外と深い(?)関係や、同郷の後輩作家・太宰治(1909年~1948年)との精神的共鳴などについて、例によってあちこち歩き、あれこれ調べ、なんだかんだ考えてみました。

  • 空知川の岸辺の憂鬱

    明治時代の小説家・国木田独歩(1871年~1908年)の1895年の北海道来訪について、あちこち歩き、あれこれ調べ、なんだかんだ考えてみました。

  • 林檎の味

    「カオルとカオリ」という連作形式の小説の第一部にあたる「林檎の味」が完結しましたので、マガジンにまとめました。札幌郊外を舞台にした十代の少年少女の切ない初恋物語です。 あらすじ:カオルとカオリは幼なじみだった。ピアニストを夢見るカオルだったが難病を患う。一方のカオリの家庭には不幸が忍び寄り……。

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 「林檎の味」(全20話)が完結しましたので、マガジンにまとめました。カクヨム、小説家になろうにも転載します。  セルフ出版した「カオルとカオリ」という小説の最初のエピソードにあたる作品で、札幌郊外を舞台にした、幼なじみ少年少女の切ない初恋物語です。幼なじみのカオルとカオリ、ピアニストを夢見るカオルだったが難病を患い、一方のカオリの家庭には不幸が忍び寄る……という筋立てです。  作品全体はティーンエイジャーである2人のカオルと1人のカオリが織りなす、四つの物語から成る連作形

    • 【小説】面影橋(四)

       夢の中でスキップしているような詩的な桜の季節から、地に足つけて歩く散文的な若葉のそれにいつの間にか移っていました。頭上の葉桜から足下に目を落とし、私が本当に好きなのはこの慎ましいつつじだったのだと気づきました。多くの人は省みることすらしないかもしれませんが。幻の傑作の一件もそれ以上かかずらっている余裕などなく、そろそろデジカメに切り替えなきゃという教訓に留めました。その後、その人と行き合うことはありませんでした。ちょっとだけ期待していたのですが。何となく大学にはいなさそうな

      • 【小説】面影橋(三)

         桜も散りかけの頃、春の嵐が吹き荒れた日のことです。夕方、大学からの帰り道、面影橋に差し掛かると、風がどおっと吹いて、桜吹雪がさあっと舞い、それが吹き飛ばされたかと思うと、そこに若い男の人が佇んでいました。いつものようにうつむき加減で歩いていた私の眼には、忽然と現れたって感じでした。その人は欄干から身を乗り出し、物憂い表情で淡い桃色に上気した川の流れを見つめていました。その端正な憂い顔に差す夕陽は絶妙なライティングで、まさにマジックアワーです。「春愁」というタイトルがぱっと頭

        • 【小説】面影橋(二)

           と、ここまで書いておいて何なんですが、私、実のところ桜ってあんまり好きじゃなかったみたいで、すぐにうんざりしてきて、浮かれ気分もすっかりしぼんでしまいました。何て言ったらいいんでしょう、これ見よがしのわざとらしさに壮士気取りの俗っぽさ、甲高いアジテーションまで聞こえてきそうな感じで、私の性分に合うはずもなく、見ていて気恥ずかしくなってきました。何事も浴びるほど見るもんじゃありません。  もっともこんな気分の急降下を一方的に花のせいにするのはフェアでなく、私自身の問題でもあり

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        マガジン

        • オホーツク挽歌考
          5本
        • 善蔵を思う
          4本
        • 空知川の岸辺の憂鬱
          5本
        • 林檎の味
          20本

        記事

          【小説】面影橋(一)

           それは生涯忘れられない春でした。重い足取りで独りとぼとぼ歩む私の冴えない人生で、後にも先にも一度きり、地上3センチ位をふわふわ浮遊しているような高揚感。驟雨のように降り注ぐ桜の花びらのスローモーションの映像が、私の脳裏から消えてしまうことは決してないでしょう。  その春、私は大学院への進学のために北海道から上京したのです。世の若者よりはちょっと遅めの東京デビューかもしれませんが、院試の成績は上々で、好条件の奨学金ももらえて意気揚々でした。研究室の先輩から紹介してもらった、神

          【小説】面影橋(一)

          新しい小説を公開します

           中編創作小説「面影橋」を本日から全25回(予定)、noteと小説家になろうで公開します。毎日21時頃のアップを目指します。  大学院に進学するため北海道から上京、面影橋近くの貧乏アパートで一人暮らしを始めた文学オタク女子の「私」は、シェイクスピアと格闘するも学業に挫折し、どつぼにはまる。そんな「私」の気散じはひょんなことから仲良くなった、愉快な腐女子たちとの交流と、面影橋でたまたま見かけた、足をひきずって歩くどこかミステリアスな青年――神田川や雑司ヶ谷近辺の季節の移ろいを背

          新しい小説を公開します

          時流に抗して

           宮沢賢治の1923年夏の北海道・樺太旅行(1896年~1933年)、いわゆる「オホーツク挽歌行」について、特に「銀河鉄道の夜」の成立との関係にスポットを当てて考察した「オホーツク挽歌考」(全5回)完結しましたので、マガジンにまとめました。北海道と文学をめぐる随想の第三弾になります。小説家になろうにも重複投稿しています。  本雑文の考察の舞台ともなっております北海道の美しい自然を背景にした小説「カオルとカオリ」をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。ティーンエイジ

          時流に抗して

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(五・最終回・折り返し)

           宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思いっきり乱暴に要約するならば、病床の母のために牛乳を買いに行く途中のジョバンニが丘の上で寝込み、臨死体験にも比するような、深い精神的体験をする、目覚めて丘を下り、母のため、牛乳瓶を手に帰りを急ぐ――「往相」と「還相」の物語といえないだろうか。  「往相」と「還相」とは、こちらも私流の乱暴な理解でいうならば、悟りや往生、宗教的な高みへの上り坂の往路と、そこららの迷い多き俗世、日常的地平、実践への下り坂の復路とでもいうことになろうか。吉本隆明(19

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(五・最終回・折り返し)

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(四・復活)

           北海道・稚内と樺太・大泊を結ぶ稚泊連絡船の開通、すなわち内地と樺太が鉄道一本でつながるようになったのは、宮沢賢治の出発のわずか3か月前、1923年5月1日のことに過ぎない。この最北の地への直通列車の開通を待って、賢治はやる気持ちで旅立ったに違いない。  宗谷海峡を越える夜が「喪の仕事」としてのこの旅のクライマックスだったのかもしれない。あるいは賢治の生涯でも、ここまで宗教的感情が白熱したことがあったか。      ×          ×          ×     

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(四・復活)

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(三・当て外れ)

           閑話休題のような話。あるいは緩徐楽章か。  「オホーツク挽歌」関連の詩碑は他にどこかあるのか?と調べてみたら、旭川にあることが分かった。私が滝川市内で合宿をしながら映画を撮っていた時のこと。負け戦だった。間違った場所に穴を掘り続ける日々。気晴らしに旭川まで出かけよう。青空の下、旭川駅から常磐公園、市役所の前を通って六条十ニ丁目の旭川東高等学校前まで、見通しの良い、広々とした碁盤の目状の道をぶらぶらと散歩していると、堂々たる「旭川」詩碑が目に入った。  「旭川」も宮沢賢治の

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考(三・当て外れ)

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考 (二・先取り)

           「オホーツク挽歌」詩群の劈頭を飾る、この詩群中最長の252行にも及ぶ「青森挽歌」は、レンズやりんごに比せられた銀河の中を疾走する夜汽車という鮮烈なイメージをもって始まる。「銀河鉄道の夜」の冒頭、「午后の授業」で「中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな画面の凸レンズ」に譬え説明される銀河や、燈台看守からジョバンニら一行にふるまわれる「黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」と反響するのは明らかだろう。オホーツク挽歌行はその出発からして、「銀河鉄道の夜」のキー・ヴィジュアル

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考 (二・先取り)

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考 (一・帰り道)

           昔々、東京と札幌を映画の撮影で頻繁に往復していた頃のこと。札幌からの帰途、時間の余裕のある時など、高速バスとフェリーをえっちら乗り継いで帰京した。理由はしごく簡単、安かったからで、今のようにLCCが充実していなかった時代、重宝したものだ。さすがに少々しんどかったけど。  札幌からバスで約2時間、有珠山サービスエリアで短い休憩を取った時のこと。正面に噴火湾(内浦湾)、右手に有珠山と昭和新山を望む雄大なパノラマ、のはずなのだが、あいにくの小雨が降りしきる曇天。噴火湾は灰色のグラ

          【随筆】【文学】オホーツク挽歌考 (一・帰り道)

          【小説】【電子書籍】無料キャンペーン第二弾(12月23日~25日)

           大正期の破滅型作家・葛西善蔵(1887年~1928年)と北海道の意外と深い(?)関係や、同郷の後輩作家・太宰治(1909年~1948年)との精神的共鳴などについて、例によってあちこち歩き、あれこれ調べ、なんだかんだ考えた「善蔵を思う」(全4回)が完結しましたので、マガジンにまとめました。小説家になろうにも重複投稿しています。  本雑文の考察の舞台ともなっております北海道の空知地方の美しい自然を背景にした小説「カオルとカオリ」という小説のkindle版(電子書籍)を12月2

          【小説】【電子書籍】無料キャンペーン第二弾(12月23日~25日)

          【随筆】【文学】善蔵を思う(四・最終回)

           余談である。蛇足である。  葛西善蔵は「雪をんな(ニ)」で、「雪をんな」の作品背景について次のように説明している。「空知川の上流ぱん溪川より溯つた百個村それから深山五六里を雪の山路をは入つたやうなところを、背景にした」。「歌志内から雪の山越えをして、また吹雪の中を歌志内まで帰ってきた」。  当時、歌志内から山越え→赤平・空知川左岸→渡船で空知川右岸(百戸)→芦別・下班渓(常磐町)という開拓道があった。降り積もる雪が股まで達し、少年の日の善蔵が命がけで越えたこの歌志内-赤平の

          【随筆】【文学】善蔵を思う(四・最終回)

          【随筆】【文学】善蔵を思う(三)

           太宰治は葛西善蔵の文学碑を郷里・津軽に建てる夢を抱いていたという。やはり同郷で、太宰と親しく、後に「桜桃忌」の命名者となる作家今官一によると、死後も世俗に見放された、敬愛する先輩作家の不遇に義憤を感じ、「俺たちの手で、善蔵の碑を建てるんだ」と気炎を上げたという。ともに32歳の時(「善蔵を思う」執筆の頃か)のことで、土地の選定、碑の文章など話は進み、5年後に建設する計画だった。  ところが、ある日のこと、太宰から次のような手紙が届いたという。  善蔵より遙かに“出世”した太

          【随筆】【文学】善蔵を思う(三)

          【随筆】【文学】善蔵を思う(二)

           葛西善蔵の「贋物」(1917年)はこんなような話だ。  主人公は東京での生活が破綻した作家。故郷・青森での新規まき直しを目指すも、例によっての“あまーい”考えと生活態度で、親族らとうまくいくはずもなく、肩身の狭い毎日だ。そんな中、商売をしていた弟が破産の憂き目に会う。弟は親戚から集めた骨董品を兄に託し、東京で売って換金するよう依頼。弟の窮地に兄は一肌脱ぐ。いかにも怪しげな書画類ばかりなのだが…・・・。上京し奔走する兄、しかし、折角の“家宝”、やはりどれもこれもとんだ“贋物”

          【随筆】【文学】善蔵を思う(二)