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【随筆】【映画】見出された時

 「ミツバチのささやき」(1973年)には完成版のシナリオからカットされた導入部があった。場面は夜汽車の中、父親の葬儀に出席するため故郷に向かうアナの回想から物語は始まる。アナは32歳。スペインの南部から郷里に向かう列車の中、父親がミツバチの大群に襲われて死に、その光景を少女が無関心に眺めているという悪夢を見る。目覚めたアナの前に現れるフランケンシュタインの幻影。車窓に映る街の光が映写機の光にオーバーラップし、子供時代、村の公民館で「フランケンシュタイン」を観たシーンへと移行する――夜汽車のコンパートメントと映画館のアナロジー、戦慄の中での現在と過去の溶解。想像力を刺激するなんとも魅力的なオープニングである。プロデューサーのエリアス・ケレヘタのお気に入りのアイディアだったという。
 撮影の数週間前、監督のビクトル・エリセはこのシーンを削除した。子どもたちが演じるという作品の性格を考慮し、撮影の途中で生じてくる新たな要素を取り込むためには「開いた構造」が必要であると直観的に判断したという。何より、32歳のアナを登場させたとしたら、どんな女優が演じたところで、子役のアナのミスティックな無垢性を損なう結果となったことであろう。父親の死――フラッシュバックという「閉じた構造」は、10年後の「エル・スール」に生かされることになる。
 オリジナルのプロローグが二重化された時間の中に父娘の葛藤、相克を示唆し、幻想性の中にも家庭劇としての枠組みや奥行きを与えたであろうと想像されるのに対し、完成作のオープニングはずっとシンプルだ。「昔むかし・・・・・・」というおとぎ話の決まり文句に始まり、荒野の道をどこからかフィルム缶を積んだ巡回映画のトラックがやって来るロング・ショットの長回しは時空を茫漠とした神話的雰囲気で一気に満たし、1940年頃のカスティーリャのある村とだけ提示される模糊とした設定は、内戦終結直後の独裁下の中立国・スペインの片田舎の世界と隔絶した無時間的生を暗示する。 

 「瞳をとじて」は劇中劇の映画「別れのまなざし」から始まる。舞台は1947年のパリ郊外、「悲しみの王」という広大な屋敷。主人公・フランクはスペイン内戦の負け組のアナーキストで、ユダヤ人のピレネー越えを手助けしていたという英雄的な人物。15分に及ぶ長いオープニングには多くの物語上の象徴や伏線が散りばめられ、「エル・スール」のスタンバーグ風の魅惑的な劇中劇「日かげの花」がほとんど情報を与えられていないのとは対照的である。エリセ映画としては多弁な作品になるであろうことが冒頭から予想される。フランクはユダヤ人の富豪・レヴィに上海にいる生き別れとなった娘を探してほしいと依頼を受ける。手がかりは娘の写真一枚だけ――1990年制作という設定の映画にしては随分と古典的な冒険活劇、そしてやはり父と娘をめぐる物語である。
 「別れのまなざし」の主役を演じた俳優・フリオが撮影中に失踪し、作品は未完に終わった。そして22年の時を経て、この失踪事件の謎を追うテレビ番組が制作される。作品の監督で現在は寡作な作家、そしてフリオの親友でもあったミゲルは番組への出演を依頼され、インタビューを受ける――ミステリー風に物語は展開する。

 先に触れた「ミツバチのささやき」のオリジナル・シナリオの逸話は、作品の公開25年を記念して放映されたテレビ・ドキュメンタリー「精霊の足跡」とその解説で知った。昔購入したDVDボックスに特典映像として付いていたものだが、とてもよく出来た番組で感心した。
 舞台は映画のロケ地であるオユエロス村。村のひなびた風景は撮影当時とほとんど変わっていない。ラッパを吹き、映画の上映を知らせるなつかしいおばさんの登場に続いて、「フランケンシュタイン」が上映されたあの公民館で、今度は村人を前に「ミツバチのささやき」が上映される。撮影に使われた屋敷内で、エリセやプロデューサー、脚本家、出演者ら関係者、研究者たちが作品を振り返る。
 母親が自転車に乗って駅に向かった一本道、誰に書かれたか明示されない手紙を持って、駅へと急いだあのまっすぐな道を、一台の自動車がやって来る。運転しているのはアナ・トレントだ。オユエロス村を訪れる25年後のアナ――「ミツバチのささやき」の<原構想>を意識した構成である。感慨深げに屋敷内を歩くアナ、奇しくも撮影当時、<原構想>と同じ32歳前後だったはずだ。 

 フリオは自らの意思で姿を消したのか、事故に遭ったのか、自殺したのか、それとも他殺か――「瞳を閉じて」の謎解きの物語がゆっくりと立ち上がる。ミゲルは番組制作者に頼まれてフリオの娘でプラド美術館学芸員のアナを訪れる。演じるのはアナ・トレントその人だ。作品に何とも言えない優雅さが添えられる。アナとミゲルの長い会話が切り返しショットでつながれる。「父が生きている夢を見たが、目が覚めるともう忘れようと思う」。「生きているのなら、私たちと関わりたくないということ」。父への複雑な感情をのぞかせるアナ。劇中劇と本編、<父と娘>という主題が二重化される。
 現在の謎解きと並行して、ミゲルは自らの過去と向き合う。ともに海兵として世界を旅し、ともに反フランコとして闘ったフリオとの青春時代。偶然手にした自著の古本をきっかけに、昔の恋人との再会も果たす。
 ミゲルは海辺の村で愛犬と孤独に暮らしている。「リオ・ブラボー」へのオマージュが楽しい、近隣の住民たちとの心温まる交情も描かれるが、何かから逃避するようにミツバチの生態の研究に没頭する「ミツバチのささやき」のフェルナンド、昔の恋人との思い出に苦悩し、内にこもり、出奔までする「エル・スール」のアグスティンの系譜に連なる人物であることは間違いあるまい。<孤独な父>というモチーフ。ミゲルには交通事故で亡くした息子がいたが、<父と息子>という主題が発展することはない。
 番組放映後、視聴者から思わぬ情報が寄せられる。「フリオによく似た男が海辺の施設にいる」。男は本当にフリオなのか?ミゲルははやる気持ちで旅立つ――物語は大きく動く。
 
 「ミツバチのささやき」の村の公民館のシーン。スクリーンに見入る子どもたち、そしてアナ。聖なる怪物に慄き、魅せられる。ドキュメンタリー「精霊の足跡」のインタビューの中で、最も印象的だったのは、やはりこの公民館のシーンについてエリセが語るくだりだった。
 手持ちカメラを構え、アナの前に座る撮影のルイス・クアドラド、エリセは彼の後ろで背中を支える。上映中の「フランケンシュタイン」、まさに少女が怪物と初めて出会うシーンで、アナは戦慄とも恍惚ともつかぬ表情で口を開ける――その瞬間、「ヌミノーゼ」とでも呼ぶしかない根源的な体験、「映画を発見した瞬間」をカメラは捉えた。それは演出では決して出せない表情であり、記録映画の要素が劇映画の中で炸裂した亀裂であり、考え抜かれた映像様式、演出プランを超越してしまった瞬間であると。エリセは力を込めて言う。「私が撮った中で最高の瞬間だ」。
 このエリセの解説を頭にこのシーンを観る時、私は別の映画のある場面を連想する。クシシュトフ・キェシロフスキの「ふたりのベロニカ」(1991年)の、子どもたちを前に演じられる人形劇のシーンだ。バレリーナの死と蝶へのメタモルフォーゼ、極めて象徴性に富む幻想的なシーンだが、キェシロフスキは子どもたちにもカメラを向けていた。非常に魅力的な子どもたちの表情を撮ることが出来たが、キェシロフスキはそれらの多くをカットしたという。一歳違い、ともにかに座の欧州東西のふたりの巨匠の正反対のアプローチは、単なる方法論上の違いを超えて興味深い。
 「映画発見の体験」はアナを冒険へと導く。フランケンシュタインはなぜ殺されたのか?殺されてはいない、怪物は村の外れに住んでいる精霊であり、いつでも会えるのだ、と苦し紛れに答える姉イサベル。強い信念を持って世界を知ろうとするアナの探求と成長の旅は、脱走兵との出会いを引き寄せ、映画のクライマックス、フランケンシュタインの精霊を呼び寄せる――。
 
男はフリオその人、記憶を失い、修道女が運営する高齢者施設でガルデルの名で暮らしていた。フリオとミゲルの心の触れ合い、そして娘アナとの再会。「Soy Ana――私はアナ」、半世紀の時を隔てた、心震わす台詞の共鳴――。フリオの記憶を取り戻したい。ミゲルは一計を案じる。「瞳をとじて」は一気にクライマックスへ向かう。
 マドリードからフィルム缶を積んだミゲルの親友・マックスの商用車が海辺の高齢者施設に到着する。そして閉館された映画館で「別れのまなざし」のラストシーンが上映される。フィルム缶を積んだトラックの到着、「フランケンシュタイン」の上映から物語が展開する「ミツバチのささやき」に対し、やはりフィルム缶、この現代ではほぼ無用の長物を積んだ車が到着し、未完の映画を上映することで長いドラマが結末へと収束する「瞳をとじて」。半世紀の時を隔てた、見事な構成上の逆対象。
 ミゲルやフリオ、アナや関係者を一堂に会し、映画は上映される。エリセはもちろん、彼らにカメラを向け、スクリーンを見つめる彼らの表情をアップで捉える。瞳の動きだけによって描かれる人物間の繊細な内面のドラマ。フリオの記憶は戻るのか?スクリーン上にはまっすぐこちら、観客を見つめるフランク=フリオと見出された娘――ラスト・カットについてはいかような解釈も許されるだろう。よしんば、瞳をとじるという行為が、エリセが自らの映画キャリアをとじることの暗示だったとしても、そこには希望とか未来とか、常套的、宣伝文句的な美辞をはるかに越えて、全編を通じて描かれた海のような、深くて大きな肯定を感じる。


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