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【小説】林檎の味(十三)

 六月に入ってからというもの、本当によく雨が降る。いわゆる蝦夷梅雨というやつだが、今年は内地並みにぐずついた天気が続く。体育の授業もこのところずっと屋内で、今も狭いコートで窮屈そうに生徒たちがフットサルをしている。カオルはその様子を隅のほうでぼんやり見つめている。校庭でやろうが、体育館でやろうが、カオルにとって見学することに変わりはなかった。
 カオルは上の空といった感じで外を見る。しとしと降る小糠雨。カオルの気分もこの頃の空模様のように晴れない。遅れて進学してみると、周りはあらかた人間関係が出来上がっていた。何よりもカオル自身が変わり、すっかり無口で内気になってしまっていた。自分の不格好な右足に集まる周囲の視線が気になり、何事にも臆するようになっていた。実際には皆、そんなことたいして気になどしておらず、思春期特有の過剰な自意識にすぎないことに気づくのは、随分後のことだった。
 ぼうっと煙る校庭――向こうから傘もささずに悠然と登校するカオリの姿が、幽霊のようにふわっと浮かんで来た。校内でカオリを見かけることは意外なほど少なかった。欠席がちらしい。今日も堂々の重役出勤のようだ。カオルは小さく手を振るが、カオリは気づかない。いや、気づくはずがない。物思いに沈んだ面持ちで、足下にじっと目を落としている。そのままぬかるんだ地面に沈み込んでしまうのではないかというくらい重く暗い顔つき。カオルの全く知らないカオリの表情だった。カオルは手を下し、煙雨の向こうに消えていく幽霊の後ろ姿をただじっと見つめていた。

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