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【小説】面影橋(十二)

 そんな自分にしか関心のない私が、あの人に対する興味を薄っすらとではあっても持ち続けていたのは、我ながら不思議でした。例の貧乏画家のことです。貧乏はその通りでしたが、画家ではないということが分かりました。
 いくら雨続きで気分がすぐれなくても、食べていくにはバイトを休むわけにいきません。近所の高校生の女の子の家庭教師をしていたのですが、たまたまその教え子の隣家の幼なじみのことが話題になりました。音大の作曲科を目指していて、やはり受験対策で家庭教師を雇っているけれど、さっぱり成果が上がらず、自分の才能に絶望している云々というような話でした。ふと気になり、その音楽教師について詳しく尋ねると、教え子は何度か会ったことがあるそうで、都電沿線の超のつくぼろアパートに住んでいる音大の研究生だか院生だかで、食うや食わずの今どき信じられないくらい貧乏な生活をしている、子どもの頃、ギラン・バレーとかいう難しい名前の難病を患ってその後遺症で足を引きずっている、それがまた負け犬じみてみじめったらしいみたいな悪口になりました――あの大切そうに抱えていたドキュメントケースの中身は楽譜だったのでしょう。
 もう一つ、ピンとくることがありました。隣家からよくピアノの音が聞こえてきたのですが、子どもの頃、ちょっとだけかじったことのある私の耳にも、玄人はだしと思わせる相当の腕前で、よくシューベルトやシューマンなんかの小品をさらっと弾いていました。それと繰り返し弾いている曲があって、葬送行進曲っぽい荘重な感じの難曲という印象で気になっていました。何でも元々はピアニストを目指していたけれど、後遺症のせいでピアノはあきらめたという話でした。雑談は別の話題に移り、ぺちゃくちゃしゃべり続ける教え子をわきに、ぼんやり雨音に耳を澄ませていると、そのうちそれが音楽を奏でるのではないかと思えてきたちょうどその時、ショパンの「雨だれ」が聴こえてくるじゃありませんか。私と同じようにあまりできの良くない生徒に倦んで、雨音に誘われるように指が動いたのでしょうか。

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