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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年9月の記事一覧

ミミズ

ミミズ

 雨をしのげる場所ならいくつでも知っていた。住む場所を失い、路上で生活するようになって以来、彼はそうした術と力を身に付けていた。雀の涙ではあっても金をかせぐ方法、タダで飯にありつく方法。
 しかし、今夜の彼は少し出遅れていたようだ。めぼしい避難場所はすでに先客によって埋まってしまっていた。そうした術と力を身に付けているのは彼だけではないのだ。
 仕方なく、彼は遊歩道のベンチに向かうことにした。その

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君の知りたいこと

君の知りたいこと

 目を覚ました時、彼はそこがどこなのかわからなかった。廊下、なのか、非常に細長い部屋なのか、壁も床も真っ白で染み一つなく、天井は? と見上げるとそれがとても高い。彼は辺りを見回し、照明を探した。これは彼の職業柄の行為、彼はつい照明がどのようなものかを確認してしまう。しかし、照明らしきものは見当たらなかった。それなのにこんなに明るいなんて! いったいどうなっているんだ? と彼は思った。
 彼が冷静に

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二つの道

二つの道

 数人の人がいるわけだが、彼らは死んだ人である。死んで、いわゆる霊魂のような状態になったわけだが、この際人間の定義などという面倒なことを考えるのはやめにしよう。脳死は人の死か、などの疑問も無しだ。死んだ人は人なのか、それはわからない。
 とにかく、死んだのちの人たちがいる。彼らはこれから審判を受けることになっている。彼らの前には二つの道がある。右へ行く道と、左へ行く道とだ。長い道で、その先は見えず

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最後の悪魔

最後の悪魔

 これは今よりもだいぶ未来の話。
 そのころの人類の科学の進歩は死を克服し、地球環境に負荷をかけない行き方を見出し、宇宙の果てまで未知の領域はなく、全知全能と言っていい次元にまで到達していた、というわけには行かなかった。
 ある時点で科学技術の進歩は頭打ちになった。死は克服されず、かなり長寿命化したがちゃんと死んだし、環境負荷はそれなりにあったし、相変わらず宇宙の果てはどんな場所なのかわからず、我

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顔

 顔を失った。事件でも事故でもない。朝の身支度で顔を洗っていたら顔のすべてが洗い流されてしまった。目も、鼻も、口も。不思議なことに、物を見るのに困らないし、朝食のトーストも食べられたし、コーヒーもちゃんと飲めた。息もできる。少し息苦しいような気もするが、いつもと変わらない息苦しさのような気もする。
 いつもと変わらない朝だった。何の変哲もない朝。変わらない日常が始まる。わたしはため息をついた。ため

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風化

風化

「わたし、もうじき風になるのかもしれない」と、妻がポツリと言った。夕食を済ませ、後片付けも終わって、ぼんやりとふたりでテレビを眺めていたときのことだ。
「え?」と、ぼくは言葉を失った。妻が風になる。その発言は、暗にぼくのことを責めているのではないかと、ぼくは勘ぐった。彼女を思う気持ちが薄らいでいると、妻がそう思っていて、それを責めるのに「風になる」と言ったのではないかと。
 これはちょっと未来の話

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とても愚かな人たち

とても愚かな人たち

 以前働いていた職場での話だ。
 そこでの仕事内容と言えば、単純作業の力仕事で、いつも危険と隣合わせで、泥と汗にまみれ、とてもではないが快適とは程遠い環境で、はっきり言えば働く場所としては最悪のそれだった。それに見合うだけの報酬があればそれはそれとして我慢もできただろうが、その産業自体が斜陽そのものであり、上から下まで生活はギリギリ、ストレスは溜まる一方で、ちょっとした誰かのしくじりに過剰に怒りを

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言葉が無かったら

言葉が無かったら

「ごめん」という言葉を発明した人をぼくは恨む。どうしてもっと簡単で、言いやすくて、いともたやすく口にできるようにしてくれなかったのか。それはぼくの喉元につっかえ、どうしても外に出て来ない。それが簡単なことなのはわかっている。「ご」と「め」と「ん」を流れるように発音すればいいだけだ。簡単なことじゃないか。「ご」なんて簡単に言えるし、「め」だってそうだ。「ん」なんてわざわざそれを声に出そうとがんばらな

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山と女たち

山と女たち

 ひょんなきっかけで、山に猟銃を担いで踏み入ることになった。以前から付き合いのあった人が、熊を撃ちに行くから一緒に来いと言う。
「免許か何かはいらないのかね?」と尋ねると、すぐに手配をしてくれ、呆気にとられるくらい簡単に銃を撃つことになった。
「本当にいいのかね? こんなに簡単で」
「まあ、そんなものだよ。もちろん、実際にはそんなに簡単にはいかんだろう。しかしながら、これは作り話だ。そうでなければ

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ウソつき男の最後のウソ

ウソつき男の最後のウソ

 その男はあまりにウソをつきすぎたもので、あともうひとつでもウソをつこうものなら命が奪われることになった。仏の顔も三度まで、三度どころか、繰り返し繰り返し神をも欺いたもので、ついに神様も堪忍袋の緒が切れた。
「わたしをキレさせるとは大したものだ」と、神様まで妙な感心をしたとかしないとか。
 ウソつきの末路は舌を抜かれると相場が決まっているのだけれど、舌を抜いたところで男のウソは止まらないだろうとい

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代表者、現る

代表者、現る

 男のところに代表と名乗る人間がやって来た。
 朝方、まだ男も街も寝入っているような時刻のことだ。ドアがノックされ、男は目を覚ました。男は狸寝入りすることにした。まだ起きる時刻には時間がある。まだ眠っていたかったのだ。そもそもこんな時刻にやって来るなんて非常識だ。どうせすぐに諦めて行ってしまうだろう、と男は思っていた。が、甘かった。
 ノックは激しくなった。しかもしつこくしつこくドアを叩き続ける。

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亡霊

亡霊

 その辺りでは、夜になると夜盗が出ると土地の人間は口を揃え、それでも進むと言うと、やめておけと止められた。辻馬車の馭者に幾人もあたってみたが、みな同様に首を横に振るばかりだ。報酬は弾むと言っても苦笑いをするばかりだ。「命あっての物種だからね、旦那」
 しかし、どうしても急ぐ理由がぼくにはあったのだ。馬を一頭借りて進むことにした。
 実際のところ、その理由というものも、今となってみれば語るまでもない

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転生したら魔王だった

転生したら魔王だった

 転生したら魔王だった。気づいたときには魔王としてその玉座に腰を下ろしていたので、自分がどうやってその地位に登り詰めたのかはわからない。いかにして魔王軍を統べるまでにいたったのか。誰かが創設した魔王軍をその誰かから引き継いだのか、それとも裸一貫、自分自身でそれを立ち上げたのか。どちらにしても、それはなかなか簡単なことではなかっただろう。もっけの幸いと言えばいいか、濡れ手で粟とでも言うか、棚からぼた

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悲しみの化石

悲しみの化石

 学校から友だちと一緒に帰っていると姉が公園の砂場で倒れていた。
「あれ、お前の姉ちゃんじゃね?」
 ぼくも友だちも姉の奇行には慣れっこだったから、対応も冷静なものだ。その場で別れの挨拶を交わし、ぼくは姉の元へ、友だちは家路につく。変に関わり合いになると大幅に時間を取られる可能性もある。友だちはこのあと空手の稽古があるし、そもそも有限な人生の時間を浪費させるのは気の毒だ。
 砂場のど真ん中に倒れ込

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