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ウソつき男の最後のウソ

 その男はあまりにウソをつきすぎたもので、あともうひとつでもウソをつこうものなら命が奪われることになった。仏の顔も三度まで、三度どころか、繰り返し繰り返し神をも欺いたもので、ついに神様も堪忍袋の緒が切れた。
「わたしをキレさせるとは大したものだ」と、神様まで妙な感心をしたとかしないとか。
 ウソつきの末路は舌を抜かれると相場が決まっているのだけれど、舌を抜いたところで男のウソは止まらないだろうということで命ごと奪い去ることになったのだ。よほどのことである。
「次ウソをつけば」と、男にそのことを伝えに来た死神は言った。死神は男に欺かれないようにと強く念を押されていて、正直なところいつウソをつかれるかとビクビクの及び腰である。「お前の命は奪われる」
 男は肩をすくめた。「わかったよ」男は言った。「もう二度とウソはつかない」
「それはウソか?」死神は尋ねた。
「ホントさ」男は笑った。「もしこれがウソだったら、あんたは俺の首を刈らなきゃならないもんな」
 かくして男はウソがつけなくなった。それで男が困ったかというと、残念ながらそういうこともない。それまでさんざんウソをつき、人々を騙してきた男の言うことである。そもそもの話、男の発言を信じるものなどおらず、男がいくら真実を口にしても誰一人としてそれを信用せず、ウソだと思い、男が右といえば人々は左だと思い、前だと言えば後ろだと思う。男は男でしたたかだから、そんな人々の反応はお見通し、本当のことを言い、うまくほのめかし、ウソをつかないでもまるで操るように自分の要求を通すことができた。男はウソをつかなくなった。それはそれでそれなりの人生。あるいは、大ボラで大儲けして、なんてのは望めないし、バレたウソを糊塗するために新しいウソをつくような、そんなスリリングな展開は期待できないにても、それはそれで穏やかで、そこそこの生き方ができるはずだし、男はそれでそれなりに満足できるほどにはマトモな神経の持ち主だった。
 めでたしめでたし。とはいかない。
 ある時である。雑貨屋で、男は子どもがパンをくすねるのを目撃した。年端もいかない男の子である。その手口はかなり杜撰だ。それなりに悪の道に精通もした男としては、とっ捕まえて指導したい欲求に駆られるくらい素人仕事だ。店員の視覚がわかっていないし、客の動きも掴めていない。挙動も明らかに不審で、店員は疑いの目を注いでいる。ところが本人だけはそのことに気づいていない始末。これは捕まるな、と思っていると案の定捕まった。
「離せよ」と、子どもはジタバタ足掻く。
「盗んだものを出すんだ」店員は容赦が無い。もちろん、容赦する必要などない。相手は盗人である。
「なにも盗んでなんかいないよ」
 バレバレなウソ。その背負っていたリュックサックを調べられ、簡単にウソはバレる。
「違うんだよ」と、子どもは勢いを失いながら言う。「違うんだ。ばあちゃんが病気で、腹をすかせてて」
 それを見ていた男はため息をもらす。とにかくなにからなにまでなっていない。気の毒になるくらい。憐れになるくらい。切り抜ける方法はいくらでもあるだろうに。男はそう思う。そもそも、そんなパンひとつを盗まずに済ます方法だってあるはずだ。男はそう思う。そう、いくらでも方法はあったはずなのだ。最初はパンをひとつ盗む。ウソをつく。そして、またウソをつく。その繰り返しだった。結局、そんなウソが雪だるまのように膨らんでしまったのだ。と、男は思う。あれは、あの子どもは、俺だ。
 男はもみ合う店員と子どもに歩み寄ると声をかけた。「その子はなにも盗んじゃいないよ」
 店員は男を見た。「だけど、カバンの中にパンが入ってる。勝手に入るわけはない」
「俺が入れたんだ」と、男は肩をすくめる。「このバカにパンを持ち出させて、あとで回収するつもりだったんだ」
 店員は男を検分する。「あんたはウソつきだ。信じられない」
 男は店員の手を取り、それにパンの代金よりもかなり多い金額を握らせる。「どっちでもいいじゃないか」
 店員は手の中の金をまじまじと見てから、男を見た。「好きにしな」
「行こうか」男は子どもをうながし、店の外に出る。そして、子どもの胸にパンを押し付ける。
「いいか」男はドスの利いた声で言った。「二度と盗みなんてするんじゃない。ウソもつくな。ろくな大人にならないぞ」
「あんたに言われたくないよ!」子どもはそう言うと、駆けて行った。
 男の背後に、死神が立っていた。「ウソをついたな」
「そうだな」と、男は言い、その場に倒れ込んだ。男の心臓は止まっていた。その表情は、苦しんだ様子もなく、ウソのように穏やかな顔だった。


No.665

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