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 顔を失った。事件でも事故でもない。朝の身支度で顔を洗っていたら顔のすべてが洗い流されてしまった。目も、鼻も、口も。不思議なことに、物を見るのに困らないし、朝食のトーストも食べられたし、コーヒーもちゃんと飲めた。息もできる。少し息苦しいような気もするが、いつもと変わらない息苦しさのような気もする。
 いつもと変わらない朝だった。何の変哲もない朝。変わらない日常が始まる。わたしはため息をついた。ため息をつくのに充分な状況だ。いつも通りのルーティン。歯を磨き、髪をとかし、顔を洗う。いつも通り。それが、
 顔を洗い終えて鏡を見て驚いた。あるべきものがひとつとして無いのだ。目も、鼻も、口も。わたしは自分の顔を撫で繰り回すようにしてそれを探した。あるいは、わたしの目になにか不都合があるかなにかで、それを捉えられていないだけで、指の感覚なら自分の顔をちゃんと見つけられるのではないかと思ったのだ。結果は芳しいものではなかった。巨大な卵を撫でるような、不気味な手触りだけが残った。わたしは鏡の前に呆然と立ち尽くした。そのまま外出などしようものなら、ちょっとした事件になるに違いない。白昼のっぺらぼうが歩いているのだ。驚かれない方が不思議だろう。
 しかしながら、少し不思議でもあった。目もないのに見えているのだ。鼻も口もないのに呼吸もできている。試しにトーストをかじったらちゃんとかじれた。「ははん」と、わたしは合点した。これはわたしの精神が変調をきたしただけで、実際には目も鼻も口もあるに違いない。指の感覚もまた間違いなのだ、と。とにかく自分を納得させるしかない。家を出なければ、仕事に遅刻してしまう時刻が迫っていた。
 食事を済ませ、仕事に行く服に着替え、思い切って外に出る。いつもの朝の光景。気怠そうに駅に向かう人たち。バス停でバスを待つ人々。ゴミを出す人。自転車に乗った学生。走っていく小学生。そのどのひとりも、わたしの顔を見て驚きの表情を見せなかった。大丈夫だ、とわたしは自分に言い聞かせた。顔は失われたように感じられているだけだ。本当は失われていない。しかしながら、そうなると自分の精神状態が心配になるわけで、少し考え方を変えることにした。顔が無くても誰もきになどしない。これなら、自分が精神に変調をきたしたと考えなくて済む。誰も、他人の顔など気にしないのだ。
 考えてみれば、わたしも他人の顔になど気にしたことは無かった。通勤電車、満員の車両の中にあるのはどうせくたびれたそれだけだ。見て楽しめるようなものなど皆無だろう。しかし、顔を失ってみると、急に他人の顔が気になりだした。不審に思われないように、盗み見るように、わたしは他人の顔を調べ始めた。
 すると驚いたことに、どの人もわたしと同じように顔を持っていないのだ。目も鼻も口もない。いや、案の定というべきか。この街に、顔を持つ人間を期待すること自体が間違いだったのだ。
 あるいは、わたしが自分は顔を持っていたと考えること自体が間違いなのかもしれない。そもそもの初めから、わたしは顔など持たなかったのかもしれない。
 会社の近く、わたしは背後から同僚に呼び止められた。わたしは振り返る。同僚にも顔はない。
「おはようございます」
「おはようございます」
 それは、いつもの朝。
 


No.670

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