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適応障害で発達障害の私が考える、これからの障害の世の中についての話。

こんにちは、はんぺんです。
今日は障害とそれを取り巻く社会の話。少しマジメな話ですが短めなのでよければどうぞ。

私は適応障害で発達障害。


いつか書こうと思っていたこと、今かなと思い書きます。

私は昨年職場でうまくいかず、適応障害になり仕事を突然に休職しました。その時は精神が限界の一歩手前でした。なんとか病院に通い検査をしたら発達障害ADHDと分かり、そこから現在に至るまで休職及び復職に向けて心身を良くしていく日々を過ごしています。今はかなり良くなり障害に向き合う気持ちもしっかり持ててきました。

自己紹介には書きませんでしたが、この経験を伝えて誰かを助けたいという思いも始めたきっかけの一つです。これについては今度別記事であげます。私の話は今日はここまで。ただ今回の話をするにあたって当事者であるということをはっきりしておきたかったので言葉にしました。

障害があることを告白する有名人は覚悟を持っている。

最近、精神の病気やさまざまな障害があることを告白する有名人が増えてきました。素晴らしいことだし、とても勇気のいることだと思います。人気もなければ影響力もない一般人の私でさえ上記のことを書くだけで緊張しました。テレビを前にしたり多くのファンがいたり、そういう方が自分に障害があることをカミングアウトするのは並ではない覚悟を持っての発言だと思います。

それについてニュースや情報番組では毎日報道していますね。その内容についての是非や正確性はここでは置いておきますが、これにより世間の認知も以前より広がってきた気がします。
SNSでも連日「発達障害」「適応障害」「双極性障害」とトレンドに入っているのを見かけました。これは本当に大きな一歩です。

「障害について考える」
=「その人について考える」

私は特別支援学校で働いており、私自身も障害を持つ当事者です。障害や精神疾患を持つ人の生きづらさも障害を持つ人を取り巻く環境や人もどちらも多少は見てきたつもりです。そこで少し思うところがあります。

世の中が関心のある人へ向く、障害ってなんだ?と理解しようという感情。それが今あるのはわかります。ただ、カミングアウトしていない、もしくはカミングアウトしたとしても仕事ができないことなどを理由に他の人との違いを差別する状況。障害を持つ人や障害名へレッテルを貼ったり偏見を持つという心理。そのどちらも人間にはあると思います。

有名人がなってるからかわいそう。悲劇的。
しっかり休んで欲しい。

これで終わってしまってはもったいない。ここまで考えることができる人はきっと身近な人のことも考えることができるはず。障害は特別なものではないです。今や当たり前に障害のある人もその程度や状況をまだよく分かっていなかったり告白してないだけで職場で働いています。

病院に行けていなくてわからない人。立場的に言うに言えない人。何もないようにしているけど通院してなんとか働いている人。身近で仕事を共にする人がカミングアウトしてきたときに何が苦手か、何がやりにくいか当たり前に考え話し合える世の中になるとよいなと思います。

障害の有無に関わらず人を思って関わることごできればよいなと思います。

カミングアウトしなくてもいい。でもその「生きづらさ」を我慢する必要もない

障害を持つ当事者の方や今をツラいなと感じる人の中にはさまざまな理由で障害があることや生きづらさや働きづらさを感じることを言えない、また当たり前になってしまって気づけなくなってしまっている人もたくさんいます。そんな人は自らの障害のことや言いたくないことをあえて発信したり無理をしたりする必要はないです。

しかし、その「生きづらさ」は絶対我慢しちゃいけない。休んでいいし、病院に行っていい。信頼できる人に相談してもいいし、何もかも放り出して誰かにお願いしてもいい。

ツラいけどみんな頑張ってるし。私のなんて大したことないし。人より仕事できないから。
言い訳や自分を卑下しなくていいです。

そう思うなら自分の心や身体が良くなったときに周りの困っている人に目を向けられればいいのです。無理せず、頑張りすぎない。それが1番大事です

私がそう思えるまで長く大変でしたので今ツラい方の気持ちもよく分かります。

障害のある人もない人も過ごしやすい世界を
インクルーシブな教育を!
そんなん中々難しいです。みんな自分のことで精一杯です。それはしょうがない。

しかし、この人は障害があってこういうことが苦手なのか。と、教科書的な知識や押し付けではなく相手を理解し考えることは忘れてはいけないことだと思います。また、当事者の人は具体的にどうすればスムーズに働けるか、動くことができるかを伝えることも大事だと思います。(例えば私だと発達障害で見通しが持てないと不安になるから話し合いの場が適宜ほしい)これは障害名を伝えることに限った話ではなくお互いの得意不得意を理解し合う感覚に近いです。

なんでも杓子定規に考えるのではなく人がみんな違うように障害にも多様性があるということ。その人に向き合うのは誰に対しても同じだということを考える必要があると思います。大切なのは知識や資格などではなく理解や思いやる心です。

大層なことを書いてはいますが私も人間。余裕のない時はたくさんあります。しかしこれを忘れぬよう、自分も周りも見つめることのできる人間を目指します。

いつか障害が身近なものになり、SNSのトレンドに入らない世の中になりますように。

本日も読んでいただきありがとうございました
はんぺん

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