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10日間無言で座り続けるヴィパッサナー瞑想に行ってきた。素直な感想。

2018年10月24日〜11月4日まで、千葉県長生郡睦沢町にある「千葉ダンマーディッチャ」にてヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加してきました。

今までも非日常の体験をするのが好きで、いろんなところにいってきましたが、ここでの体験はもう言葉にいいあらわせないくらい、突出してすごく印象的だったので、この感覚が生き生きしているうちに言葉にしてみたいと思います。

*ちなみに、私は仏教徒ではありません。特定の信仰を持って活動することもありません。瞑想や簡単なお祈り(ご飯を食べる前や森に入る前のご挨拶)をする程度で、この文章は特定の宗教を勧めるものではありません。



(1)ヴィパッサナー瞑想とは

(体験したことを踏まえて、私なりの表現でいえば)
身体中に意識をめぐらせ、その感覚にひたすら気づき続ける瞑想です。何かお経を唱えたりすることはありません。肌で感じる風の冷たさ、汗の伝う感覚など身体の表面も対象ですし、内臓の感覚にも意識を向けます。また、このヴィパッサナー瞑想を行う準備として、最初の数日は鼻の下の部分だけに意識をむけて集中力を高めるアーナーパーナ瞑想もセットで行いました。

「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されました。ヴィパッサナー瞑想に関するさらにくわしい説明は、ゴエンカ氏の講演『生きる技』をご参照ください。

https://jp.dhamma.org/ja/about-vipassana/より)

本来はブッダがやっていたとされる瞑想法をインド系ミャンマー人のゴエンカ氏が広めはじめたらしいです。仏教として教えるのではなく、あくまで瞑想法として広めているので、様々な宗教の人を受け入れ、また受け入れられています。

(2)行こうとおもった理由

7年前に、この瞑想に行った友人が「肌の表面で呼吸しているのが感じられた。衝撃的な体験だった」と言っているのを聞いてから、興味が湧いていました。「でも参加するには遠いし、10日休むのはハードルが高い」とおもって、なかなか参加する機会がなかったのですが、

2018年の7月に、中国からきたzilongという活動家に会ったことが、「行ってみよう」と決めた大きなきっかけになりました。

コンサル企業をやめて2年間の巡礼に出た27歳 Zilongの話

「Tokyo Urban Pearmaculture」より

いすみ市の暮らしの学校という古民家で、数日彼と過ごしていた中で、
「Hi, How are you doing?」という挨拶と共にハグをされた時、
悲しいわけでもないのに涙が溢れてきて、
幸せや暖かさ、喜び、愛されている感覚が溢れでてくる。

そんな体験が何度かありました。
こんなことは初めてで、初めはただ恥ずかしさと戸惑いばかり。

あくる日、ゲストのzilongを持てなそうとご飯を作り、
みんなでご飯を食べました。
食べ終わったお皿を洗っていたら、彼がお皿を持ってやってきます。

私が、「we will do, so please take a rest. (私たちがやるから、休んでて)」というと、彼は「 let me do the dishes. (お皿を洗わせてもらえる?)」と。

その言い方や表情、仕草から、
彼の発言が「せめてこれくらいは手伝わせてください」というような義務感や卑下した想いではなく、「その行いが自分にとってとても神聖で大事なことなんだ。」と思っているのが伝わってきました。

こんなふうに私は彼の声や身体から振動として伝わってくるものの愛の深さにだんだんと自分が共鳴していくのを感じながら、「この本物さは。何なのだろう?」とついに、彼に聞いてみることにしました。


「zilongとハグをしたり対話をする時、内側から溢れ出すような愛を感じる。言葉によって何かが動かされているよりその存在感から伝わってくる振動がある感じがするの。一体何があなたのエネルギーをこんなに満ち溢れさせているのか?好奇心があるのだけれど。」と聞くと

zilongはいくつかの話をしてくれましたが、毎日朝と夕方に1時間ずつ座って、ヴィパッサナー瞑想をしていることは自分の軸である。と話してくれました。

長くなりましたが、この圧倒的な存在感をもつ彼がやっているそれが、どんなものなのか体験してみたい。そしてその質に少しでも近づいてみたい。と思ったのが、私をvipassanaに導いた大きな理由です。


(3)合宿中はどんな体験をしたのか


ここでは、一回あたり50人くらいの参加者が4時に起き、21時半の消灯までひたすら瞑想をするという日々が待ち受けていました。携帯や財布などは預け、書籍や筆記用具は持ち込み禁止。そして、10日間は完全沈黙。会話やジェスチャー、アイコンタクトも基本的に禁止。

瞑想をガイドしてくれる先生に質問をすること以外は本当に無言でした。

本当に非日常な体験がたくさんありましたが、一番わかりやすいのは、あらゆることのデトックスができたということ。


「デジタルデトックス」携帯やPCには10日間触れられない
「視覚デトックス」一日のうち20時間くらいは目をつむっている。
「触覚デトックス」誰とも触れることを禁じられている。
「思考デトックス」身体感覚の観察をし続けるので思考が止まっていく。
「体のデトックス」夕飯はほぼなく、朝昼ご飯も健康的な食事。

<個人の経験として>
よくよく思い出せば辛かったです。でも受験勉強した過去も「あの時は辛かったけど、振り返ると楽しかった。最高だった。」って思うような感覚と一緒で、一言で言えば「いやぁ、最高だった」って言ってしまいます。私にとっては総じて、必要な気づきや学びが詰まったいい経験だったと思います。(このタイミングだったから受け取れたことがいっぱいあった。)

その体験は日ごとに、変化していました。
(また、他の参加者と話し合った体験はそれぞれ全然別のものだったりもしました。それぞれの人にとって、そのとき一番必要な体験が訪れるものでもあるとおもうので、参考程度に。)

初日
上唇と鼻の下、その三角形のゾーンだけに意識をむけて、そこで感じる感覚(息がでていく時に感じる温度など)を観察し続ける。ということの恐ろしい退屈さに圧倒されました。観察しようとしても、知らないうちに考え事がはじまる。一生分妄想したり、過去の嫌な記憶を思い出して落ち込んだりしていました。


3日目あたり
まだ、鼻の下部分のみを観察しています。身体感覚を観察する、ということに少しずつ慣れ始め、思考が始まると「あ、私思考し始めてる」とすぐに気づけるように。10秒も経たないうちに瞑想に戻ることができるようになりました。「無意識に自分がしていること」に気づけく視点が持てるようになった。

5日目あたり
肩こりがすごい。新しい瞑想法に入り、体全体をスキャンするように意識を向けるので、今まで気づいてなかった痛みに気づくようになったりしていきました。


7日目あたり
・体がものすごい柔らかくなった。(多分血管も柔らかくなった)
・むくみが取れて、体全体がほっそりスッキリ。
・身体感覚も微細になり、意識を向けた部分の肌感覚がはっきりわかるようになりました。(体の中の感覚を自由に移動できる感じ)
・呼吸をして、酸素を全身に巡らせようと意識を向けるとそこまで届いていき、暖かさや振動、電気のような感覚を受け取りました。
・息をすうことが気持ちよくて、全体的に幸せに満ちてました。

9日目あたり
ものすごい痛みに襲われました。筋肉の一箇所がつったように痛い。かと思えば涙が溢れてきてものすごい幸福感に包まれる。かと思えば泣くほど痛い。けどなんだかスッキリした感覚がある。そして、なんだかよくわからないけど途中でボロボロ泣き出しました。過去の思い出が、場面場面フラッシュバックしたりもしたな。思考を停止してたから言語として思ったことはないんだけど、体としてはそんな感じ。


(4)行ったあとの日常での変化(2ヶ月後)


身体:
・見た目が本当にスッキリ痩せた。(増減激しい体質なので戻りましたが
・柔軟性が上がった。(首がめっちゃ後ろまで回るし、前屈すごい。)
・姿勢がよくなった。

感情:

・不安や恐れ、妬み、渇望、嫉妬などの感覚が本当に薄らいだ。
・自分や世界への信頼、全てを受け入れる器がより大きくなった。
・トラウマの浄化みたいなことがおこった。
・終わった後数日、めっちゃ穏やかだった。世界は全て満ち足りている。輝きと希望に溢れている。必要なことが全て必要なタイミングで起こっている。みたいなことを体が知ってる、もう知ってる。って感じだった。その感覚は今も続いています。

思考:
・常に現実の自分と、一つ上の視点がいる感覚がある。
「無意識な行動」が減り、意識して行動を選択しやすい。
(5年くらい前には、無意識にネットサーフィンしたり、意味もなくパソコンの画面を閉じたり開いたりすることがあるくらい、集中力や意識の明晰さが落ちていたのですが、ずっと意識がクリアな感じ。)
自分の感情、思考(目的と手段の一貫性など)が本当にクリアで、相手のそれらをも把握できるから、全体の重要なポイントをぱっと理解できる。
他の瞑想とヴィパッサナーの大きな違いを、頭でも体でも理解した。
・フォーカスする先が変化した。私の中ではこの感覚が一番驚きでした。


2016年頃までは「政治や経済の仕組みを理解して、愛と力で平和な社会をつくろう」としていた私ですが、その後しばらくは「内なる平和で自分を満たして、その輪を周囲に、そして社会に広げていこう」と思っていました。


でも、瞑想中にふとこんなことを感じて、生きていく方向性の
大きなところがぐぐぐっと変わっていく感じがしました。

「私は広い宇宙の大きな命の連なりの中で今バトンを持って生きている。先祖の記憶も私の記憶も、未来に繋がっていく。私がするのはただ私自身を、私の身体や意識を癒して、ひらいていくことだ。それが先祖にも次世代つながっている。それが私にできる、最もパワフルな愛による変革だ」

なんだかよく分からないけど、そうなのだ。と強くおもったのでした。
(何言ってんだって思う方もいるでしょう…私も不思議な感じです)


ちなみに瞑想直後:
11日目の朝、沈黙が解かれて他の参加者と初めて話す時に、なんともいえない不思議な一体感を感じました。
「あなたのことを知っているようで、何も知らない。でも、すごく親しみや安心感を感じる。」と話すと、相手の方も同じような感覚ですごく仲良くなりました。

瞑想センターから車で帰る時も、本当に本当に不思議な感覚でした。
「20kmしか出してないのに80kmくらいの体感!!60km/hなんて出せない。現実のスピードが、私の生きる現実より早い!!なんだこれ!」(冷静に読むと意味不明。笑)


(5)もっと知りたい人のために

個人がヴィパッサナー瞑想を教えることは禁じられているし、私自身も間違った解釈を広めたくないので、本当に興味がある人は、ヴィパッサナーを広めた、ゴエンカ氏が書いている「ヴィパッサナー瞑想入門」を読むことをオススメします。

また、体験することはその人によって、またその人の人生のフェーズによって様々だと言われています。なので、ネットで拾った他の方の体験を参考にどうぞ。

他の人の体験


(6)宗教なのか?怪しさや危険はあるか?参加費(=お布施)が必要?

「宗教とは違うの?」と聞かれるのですが、「仏教への信心」や「仏の存在を信じること」をオススメしているようには感じませんでした。(仏教というものがそもそも、「何かの存在を信じること」とは違うらしい)

むしろ「仏教もイスラム教もキリスト教も他の宗教も、一番真ん中の本質的教えは同じはずなのに、その手法でぶつかっていることに疑問を持っている」という感じでした。「何かを唱えなければならない」などの謎の決まりや、「これが幸せなのである」という刷り込み感はありませんでした。

ただブッダがどのように悟り、そして瞑想したのか。その方法がどんなものなのかを伝えている。というだけ。また、その教えを実践するかどうかは、強制されるというより私たちに完全に委ねられている感じがありました。(10日間コース中に関しては、学びの為に、ある程度制限があるけれど)

また、「これくらい払いなさい」と無理やり献金をさせられるということもなく、すべての合宿コースはドネーション(寄付)によって成り立っていました。

ヴィパッサナー瞑想のセンターは、そこで働くボランティアスタッフも、アシスタントティーチャーも、誰も彼も本当に無償でやっていて、施設の運営費用の流れも全てネットで見ることができるそうです。

今まで「やばい宗教」「カルト」に持っていたイメージは
「刷り込んで洗脳する」
「思考的、身体的自由を奪われる」
「お金を納めるようになる」
「盲目的に誰かを信じれば幸せになると言われる」

という感じですが、ここでの体験はそれとは違うものでした。

すごく深い意識の探求(治療)が行われると言う点で危険があるのかも?と思うこともありましたが、その可能性もほとんどないように思います。何かの薬草を使ったトリップをするのでもないし、他の人の力を借りて催眠にかかるようなことでもなく、自分の力で少しずつ変化が起きてくる。という点で、比較的安全だと思いました。

また、瞑想をする中で心配や疑問が湧いてきたら、サポートしてくれる瞑想のティーチャー(?)がいて、瞑想している時も常に見守ってくれています。


(6)他の人におすすめするか

ここまで読んで興味がある人には是非いくことをオススメしたいです。私にとっては人生を変えたTOP3に入る出来事で、意識の広がりや深さがグッとましたし、ノイズレスな生きやすさ、本望を生きられる感覚が増しました。

でも私自身、この瞑想を知ってから行くまでに7年かかったし、今のタイミング、今の状況じゃなかったら必要なかったのかもしれないと思っています。必要なら、行くべきタイミングで行くことになるものだと思うので、心の片隅においといてもらえたらいいんじゃないかと思います。


読んでくれてありがとう。

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