女性らしい働き方なんて存在しない

体調不良で休んだ時や、結婚や妊娠を報告した時に、「もっと女性らしい働き方をした方がいい」と声をかけてくれた人たちがいた。

友人知人らも、ライフイベントの節目等に同様のことを言われたという。

はて、"女性らしい働き方"とは?

受け取る側がモヤっとするこの言葉を、自分なりに消化しようと、過去を振り返って考えることにした。

生物学的に女性性であるということから目を背けてきた

社会に出るまでは、"男女ほぼ平等"に評価されてきたように思う。

例えば学校で、男女でテストの点数の付け方が違うとか、どちらか一方の性が優位になるようなルールは、表立って見受けることはなかった。

しかし、社会に出た途端、あからさまな差を付けられたり、言葉を投げかけられたりする場面が多々あった。

配属部署、仕事内容、アサインされる仕事の重要度、役割、ポジション…

こんなことで投げ出したくない、期待以上のものをアウトプットしていけばいつか報われると、時間と体力を費やした。

自分の身体を道具のように捉え、酷使していたのだ。

しかし、周囲の男性と同じように、または、それ以上に働いても評価は変わらず、うまくいっていない時には卑下され、進み出した時はどこからともなく現れる男性たちに、当然のような顔で奪われた。

そして、身体を壊した。

大病院を転々とし、精密検査を受けたが原因は特定できず、再発を恐れながらの生活になることが確実になった。

会社に伝えると、どことなく聞こえる、

「これだから女は」

これが、自分が生物学的に女性性であり、周囲の男性性たちと異なる身体を持っているという事実に目を向けるキッカケとなった。

男性社会で求められる働き方が身体に合っていないことに気づいた

男性の視点で、男性が作り上げた、男性にとって都合の良い仕組みで構成されている社会(または、会社組織)を、仮に『男性社会』と呼ぶとして、そこで求められる人材とは?と考えた時、私の考えは以下である。

  • 家事育児を誰かに丸投げできる(または、独身)

  • 良いも悪いも、言われたことを忠実に実行する

  • 長時間労働に耐えられる健康な身体の持ち主

性別に関わらず、こんな働き方を何十年も継続できる人材がどれほどいるだろうかと、私は疑問に思った。

そこで、同じ女性性で仕事を持ち、活躍されている方々のお話を伺ったり、書籍を読み漁った。

そして、それらを総合して得られた、男性社会で仕事を続け、活躍するに至った方法が、以下だった。

  • 家事育児を誰かに丸投げできる(または、独身)

  • 理不尽な指示も、歯を食いしばって飲み込む

  • 残務は家に持ち帰って、育児の合間の深夜や早朝に片付ける

家事育児のために、地方に住む親を呼び寄せた人までいた。

これは、私が考えた、『男性社会』で求められる人材像と何ら変わりない。

そして、女性性側がこれを遂行し、良くも悪くもロールモデルを作ってしまっており、「女性も男性と同じように頑張れるし、その結果、活躍の場が得られる」と、本人も周囲も信じている。

そこに危うさを感じた。

残念ながら、そんな働き方をしなければならない事態を疑問に思い、変えようと行動した人はいなかった。

私自身、この仕組みの中で、求められる人材に順応しようとして身体を壊したのだから、自分に合った働き方ではないことは明白だ。

それでも、仕事と家庭、それぞれで役割を果たし、充実した毎日を送りたいと思うのだが、それは実現可能なのだろうか。

女性らしい働き方なんて存在しない

性別関係なく、男性社会では、求められる働き方が可能な人材しか生き残れないのか。

それに耐えられない体質や環境にある人材は活躍の場を失い、淘汰されるしかないのだろうか。

このように考えると、もはや女性らしい働き方なんて存在しないという答えに辿り着いた。

だからといって、男性らしい働き方があるのかというと、それも疑問だ。

結局、働き方は個々の人生の課題であり、望むは『自分に合った働き方』のように思う。

これは、誰かに習うのではなく、自分の身体を使って試行錯誤しなければ見つかりそうにない。

疑問を呈する勇気と、行動に移す勇気が、近道であることを願う。

所感

女性とか、男性とか、そんな縛りに囚われない、柔軟な考え方ができれば幸せなのだろうが、ガラパゴスな日本社会では困難に思う。

それでも、それを共有し、実行に移せる仲間と仕事がしたいと切に思う。

以上



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