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最低な私の過去〜同じ人間やのに〜

「なぁ、なんでミーと同じ子供で、小さくてもKちゃんはピアスしてるん?
ピアスって学校にしてきたらあかんのちゃうん。」

帰宅するなり、突如娘から出た質問だった。

Kちゃんとは、日本人のお母さんとお父さんは何人の方なのかは知らないが、ハーフの女の子だ。
Kちゃんはカナダの学校が長期休みになると、お母さんの地元に帰省し、学校に短期間だけ通う。
娘がKちゃんと初めて会ったのは、幼稚園の年長の時だった。

そして、冒頭のピアスに関する娘の質問に、私はこう答えた。
住んでる国が違えば、文化も習慣もありとあらゆることが違うねん。
だから、子供でもピアスしてるんちゃうかな。知らんけど。
文化や習慣が違えば、日本ではびっくりすることも、違う国では当たり前やったりするんやで。
だからピアスあかん、いいの前に、なんでピアスしてるんか聞きいや。
知ろうとしようよ。
ママもよく知らんから、Kちゃんに直接聞いてみるんがええんちゃう?」と。

すると、娘が「あんま日本語通じへんもん。だから、ええわ。」と答えた。
私は、この言葉にざわざわした。

娘のクラスには、Kちゃんの他に、ブラジル人、中国人のお友達が同じ教室で学んでいる。
今では当たり前の感覚になっているが、私が中学生だった頃は、学年で3人ぐらいだった気がする。
そしてその当時の記憶が、ゆっくりと思い出された。

私が中学生だった時、同じクラスにブラジル人の男子生徒がいた。
担任の先生は、辞書をクラスに置き、彼に話しかけてあげてくださいと言った。
しかし、その辞書は不本意な使われ方をした。
数名の男子生徒が、辞書で汚い言葉を調べ、彼にその言葉を吐いたのだ。
彼は、初めは笑っていたが、だんだん不快感を表すようになった。
そんなある日、私は彼の隣の席になったのだ。

彼の体には、支給された椅子と机が窮屈だったのか、それとも日々の嫌がらせで過度のストレスがあったのか、彼は授業中ずっとすごい勢いで貧乏ゆすりをしていた。
私の机も振動で揺れ、字が歪んだ。
毎回なので、私はだんだんと怒りを募らせていった。
その怒りと振動を、なんとかすべく何度か彼に伝えた。
ヘッタクソな英語か、ポルトガル語で。

「揺らさないで!」
辞書はやっぱり私の使い方も含め、不本意な使われ方をされているように思う。


そして、当時の私はこう思っていた。
日本語、通じへんもん。伝えても意味ないわ。

そして授業が始まると、少し不快な顔をして、彼の机から少し距離を取ったのだ。
記憶が曖昧だが、彼は申し訳なさそうに謝罪していたような気がする。
でも、当時の私は、そんな彼を気にも止めなかった。

そんなある日、部活で下校が遅くなった。
真っ暗な通学路を歩いた。
通学路には、両方かなり高い壁で囲まれ、人通りのない長い道があった。
そこには、決まった曜日に大きなトラックが2、3台止まる。
そして、外国人が集う。
そのトラックは、スーパーのような役割をしていたようだ。

でも、私は怖かった。
急に異国感が感じられた。
何やらわからない言語が飛び交う。
そして、自分とは異なる体格、顔、言語を持つ人間が集まっては何やら話している。
その光景が怖かった。

だから、いつもその曜日はその道を避けていた。
母にも避けるよう言われていた。

しかし、その日は通ったのだ。
通ってる間、ずっと不安と恐怖でいっぱいだった。
そんな時、そのトラックの中から見覚えのある顔を見つけた。

ブラジル人の彼だった。

一瞬にして、そこは異国から日本のいつもの通学路の風景に戻った。
彼のおかげで。
そして、次の瞬間。
彼の名を呼んでいた。
すると彼はこちらを見て、微笑み手を振ってくれた。
その瞬間、ものすごく自分を恥じた。

彼は、毎日学校で不安だったし、怖かったんじゃないかな。
彼にとって、ここは完全に異国。
そして、言葉の通じない人間に囲まれ、心無い言葉まで浴びせられて。
当時は、ここまで言語化できていなかったけど、とにかく自分が嫌になったのは、やんわり覚えている。

「ごめんなさい。」

そう心で思った気がする。
しかし、結局、私は彼にこの言葉を伝えることはできなかった。

同じ人間なのに、言葉や見た目が違えば、痛みや悲しみ、辛さを感じないとなんで当時の私は思ったのだろう。
文化も習慣も言葉も何もかも違っても、自分と同じように悲しむし、心は痛む。
そんな当たり前のことなのに。
傷つければ、同じ赤い血が流れる。涙だって。
優しい言葉や笑顔、愛を向けてもらえば、私と同じように安心する。
そして、嬉しくだってなるのに。
なんで、知ろうとせんかったんやろう。

臆病だった当時の自分を、この時以外にも恥じるタイミングがあったのを書いてる今、思い出した。

このブラジル人の彼を、私は娘を産んでから一度だけ、偶然見かけているのだった。
彼にも私と同じように、子供が居て家族が居た。
見た目、言葉は相変わらず違ってるけど、私たちは子供を愛する同じ親になっていたのだ。

彼は、子供と奥さんと幸せそうにイルカを見ていた。
そして、あの時と同じように、彼はこちらに向かって静かに微笑みかけてくれたのだった。

「ごめんなさい。」

書きながらやっぱり私は、心の中でつぶやいた。

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