能登半島を訪れました~道中の状況報告~
はじめに
先日、令和6年1月1日に発生した令和6年能登半島地震以降、初めて能登半島を訪れました。
最終目的地は珠洲市ですが、道中や現地で見聞きした話を書き出したいと思います。
道中
金沢から道中で走った道は『のと里山海道』。
柳田インターを越えたあたりから、道路上に段差の存在を感じました。
橋梁の前後、橋台裏の沈下が中心でしょうね。
気が付けば、制限速度も規制された区間を走っていました。
道路上の段差は、多分中越地震の後の夏のことだったか、北陸自動車道の新潟県内を走った日のことを思い出していました。
北陸自動車道の新潟から長岡のあたりは盛土区間が多く、盛土部分が沈下し、暗渠部分との段差が出来ていて、擦りつけられいたんじゃないかと思います。
志賀町を走ると、黒い瓦屋根の大棟部分にブルーシートが張られた建物が目立ち始めました。
遠くからしか見てないわたしの印象ではありますが、建物が倒壊しているようには感じなかったです。
西山PA下り線の売店は、地震の影響か営業されていませんでした。
建物や構造物にひび割れが多く見られました。
七尾市って結構北に位置しているんですね。
後から地図を見て知ったことですけど。
七尾市でのと里山海道を下りて一般道に入ると、倒壊した建物が目立つようになりました。
神社の灯篭や墓石も倒れている様子が見られました。
また、のと鉄道の線路内では、4月6日に復旧に向けて多くの方が作業に従事していました。
そうか、のと鉄道はまだ復旧していないんだっけ。
一時期、鉄道や道路の部分復旧・開通のニュースがたくさん流れていたと思いますが、その中に記憶が埋没してしまったのかもしれません。
津波
被災した集落の前には穏やかな海が広がっていました。
津波の被害がどの程度あったのか、資料を調べたところ、気象庁の資料が見つかりました。
「令和6年能登半島地震」における 気象庁機動調査班(JMA-MOT)による津波に関する現地調査の結果について
直近、志賀町では津波が4m駆け上がったというニュースも流れてきました。
わたしが通った穴水町や七尾市の「遡上高」、「痕跡高」が見られた場所だけが公開されていますので、どの程度かはわかりませんが、津波に対する大きな被害はなかったのかな。
七尾市、穴水町では、橋台裏の段差のほか、歩道のブロックが外れるなど、損傷の度合いが大きくなったと感じました。
また家屋被害も倒壊している家屋が増えたような印象です。
とりあえず、道中については以上です。
珠洲市などについては別途報告する予定です。
では。