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文字を書く原動力

自分が思っていることをすらすらと言葉にできる時と、自分の思っていることが言葉にできない時がある。noteを書いている時もそうだ。書きたいと感じる時は決まって前者の状態の時だ。

何が私に文字を書かせているのか。

noteを書く時に限っては、「書きたいこと」「伝えたいこと」と言われてもピンと来ない。衝動的に書きたくなる感情は、それではない。

書くという表現は、自分が他者とは違うという独自性を表すことだと思う。

芸術という表現がすごく羨ましかった。自分が作った作品に、自分で名前をつけ、自分の感情や思考をモノに具現化して、目に見える、または聴こえるモノとして他者に対して表現できる芸術が羨ましかった。

私には自分を表現する手段がなかった。誰かと同じことをしている感覚があった。自分を表現しよう試みて深夜に感情的になってツイートするのも、身近な人が好まないようなファッションをするのも、独自性を感じられなかった。

何者かになって自分をこれで表現したいという具体的な願望よりも、独自性のある表現をして他人とは違う個性を出したいという抽象的な願望の方が強かった。

その中で、文字を書きたいという表現に出会った。これが私の気を少し楽にさせた。

書いている時に思ったのは、「知ってもらいたい」「見てもらいたい」「感じてもらいたい」という、自分の人間的な部分から生まれた感情が根源になっている。

書く内容がなんだろうと、その興味の有無は自分自身の感情によるものだろう。楽しそう、知りたい、つまらなそう、知りたくない、難しそう、簡単そう。

自分の気持ちが分からなくても、書きたい時は書く、書きたくない時は書かない。それ自体が表現であり、原動力なのだ。

私たちはこれを直感と呼ぶが、原動力である事は間違い無い。


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