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初めてのお酒は「大人になるための儀式」だった

私は、初めて大人になろうと決意した瞬間をハッキリと覚えている。ふとした時に、新しい感情に気づく時があって、そのほとんどがいつから始まったのか覚えていないが、この瞬間だけはハッキリと覚えている。

「お酒を飲む」ということは私にとって、「大人になるための儀式」のようなものだった。ハタチになり、お酒を飲んだその日が、「大人になろうと決意した日」だった。


ハタチになって初めての夏。


当時の私はまだまだ子供で、人生20回目になるこの夏も、いつもと変わらない夏が訪れると思っていた。

その夏の始まり。予想通りいつもの夏で、いつもと違うことといえば、例年より暑く、最高気温の日本記録が更新されたことくらいだった。

そんなことは、「いつも通りの夏」を特別にするには関係のないことだった。


私は、サッカースクールでアシスタントコーチの仕事を大学1年の入学と同時に始めて、その夏で2年目になった。

2年目の夏も、目の前で身も心も急激に成長していく子供達を見ると、彼らのように感情に忠実で、好奇心旺盛な時期が羨ましくも思えた。

正直、ハタチの自分にも、良くも悪くもまだ子供のような感覚があった。同時に、自分の成長のためなら、むしろこの子供のような純粋な感覚が大事だと思っていた。

そんな一面も持ちながら、私自身も社会人チームでプレイヤーとしてサッカーをしていた。趣味はランニング、筋トレ。スクールの時間以外の自分は、ほとんど子供たちと変わらない「やりたいことをやる」タイプの学生だった。

そんな生活だったので、お酒とは無縁の生活を過ごしていた。振り返れば、なかなか同級生とは話が噛み合わないことがあったが、自分のために努力している時間は好きだった。



その夏のある日、一人の生徒がそのスクールを退団するということで、最後の挨拶に来た。

スクールでの思い出話や、新しいチームでプレーするとのことだったので、彼の次のチームでの活動の話をした。感謝や励ましの言葉を贈ったことも覚えている。そして最後に、お礼だと言って、紙袋を受け取った。

彼から見たら私は大人だっただろう。中学入学時の中3が、高校入学時の高3がとんでもなく大人に見えるように、彼の10個上の私は大人以外の何者でもなかったと思う。

私からすれば、子供と子供のやり取りにしか見えなかったので、お礼を受け取るのは少しばかり恥ずかしさがあった。

こういう仕事をしているからか、ちょうどハタチになったあたりから自分自身が大人として世間から扱われていることや、自分でも大人になったなと感じて子供の頃を懐かしく思うことが多くなった。

そういった扱いに寂しさを覚えると同時に、「大人にならなくてはいけない」という感覚も覚えた時は、自分に嫌悪感すら感じた。

こんな長い反抗期のような時間が、私から「大人になること」を遠ざけた。

ハタチが子供なのか大人なのか決める必要はないけど、自分の中で子供の一面と大人の一面が同時に存在しているハタチという年齢があまり好きではなかった。



家に帰ってから、その紙袋を開けた。中には、一通の手紙とお菓子、ビールが入っていた。彼から見た私は、やはり大人に見えているということだ。しかし、私はビールが飲めない。というより、飲まないようにしている。

これも子供としての感覚があるのかは分からないが、自分の中で決めていたことで、ハタチになってからこの日までは、一度もお酒を飲んだことがなかった。

それでも、彼からのお礼は、私のことを考えた素敵なプレゼントだということは分かった。本当に嬉しかった。

ビールを紙袋に戻し、手紙を読んだ。

手紙にはこう書かれていた。

「コーチみたいなうまくてかっこいいプレーができるようになりたいです。」

私は、昔から周りを沸かせるプレーには自信があった。目立ちたがり屋だったのだろう。

「地味な3点を取るより、華麗な1点を取りたい」と言ったイタリア代表のロベルト・バッジョの言葉を鵜呑みにして、誰かを魅了させるプレーばかりしてきた。

チームメイトは呆れながらも、私がこだわる「上手さ」だけは認めていた。私は「上手い」と言われることに強い快感を得ていた。

今回、退団することになった彼とは、歳が10歳ほど離れていたが、そんな年下の子供を魅了したのは初めてだった。いつもチームメイトから言われていた「上手い」とは、別の感覚が芽生えた。

この時、この子を魅了したと同時に、自分自身が彼の手本になった実感があった。

この子は私の真似をしようとしている。ただ魅了されただけではない。

この関係は、私が子供の頃に、自分よりはるかに上手にプレーをする大人たちに憧れ、夢見ていたあの時と同じように感じられた。

この時、子供達の手本になろう、つまり、大人になろうと決意した。

自分が子供の時、多くの大人に教えてきてもらったように、今度は自分が教える番なのかもしれない。それは、こういう仕事に携わっているからという訳でなく、自分自身が子供達の手本になることが、この年齢の自分を誇れる方法だと感じた。

それは、私が大人になろうと決心するには充分な理由だった。

私は「大人になる儀式」として、紙袋に戻したビールを取り出し、一人で乾杯した。そして、勢いよく飲み干した。

お酒が私を大人にした。お酒のおかげで、私にいつもと違う夏が訪れた。

アルコールで酔っていたのか、自分に酔っていたのかは覚えてないが、この時ばかりは自分が誇らしかった。

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