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君の放つ冬の星座 第三夜☆(3)

199☆年 霜月、夜


 僕が、関わりたくもない人間関係をうざったく思っていたことを、望月は教室の片隅から見ていたのか。
 教室では目立たぬよう静かに席に座る望月は、クラスメイトなど興味なさそうな雰囲気を醸し出している。女子の間で授業中に回ってくる手紙も、一瞥をくれて即座に次に回していたようなのに。
「……いや、大丈夫だよ」
「そう」
 この河原以外でも、中学校での僕のことを知ってくれていた。
「夜空のほうがいいとか、私達も大概だね」
 自分達が立っている場所より、頭上の世界に気持ちを馳せる。
 面倒なことは全部、僕達のいる足元にある。

  ☆


 その手紙は、昼休み後の国語の時間に回って来た。
 手紙とは言っても、宛先も送り主もないノートの切れ端に文字が連なったそれは、どこからか沸いてきたものだった。
 背が高いせいで、僕は教室の最後尾の席でそれを知った。
 座席が決まったのは、二学期の席替えでとある匿名の意見を担任が採用したためだ。僕が前の方に座ると『黒板が見えない』からだと。
 僕は抵抗しなかった。陰でとやかく言われるくらいなら、最初から決められたほうが楽だ。それに居眠りしても見つかりにくいし一石二鳥だ。
 廊下側に近い一番後ろの席で、その手紙を開くと、数秒後にクスクスと小さく笑い出す奴等がいた。先生にばれないようにしながらも、前の座席で学ランの黒い肩が幾つか揺れている。噂好きの米倉はもちろん、波が起きるようにクラス半数近くの男子が含まれていた。
 特定の誰かに送るでもない、回覧板のような紙。筆跡鑑定できそうもない汚い文字は、その字面よりも、もっと汚い言葉を並べていた。
『女子の誰とヤリたいか投票~~~!!!』
 語尾にはビックリマークが踊っている。何がそんなに楽しいのか、勢いで書いたらしい文字がまばらに続いていた。
 体育の時間、しきりに女子の体型を話題に、下品に笑うようになった。小学高学年になると、そんなことはしょっちゅうあった。
 ヤリたい。
 その意味を僕はもちろん理解している。そんなことは、自分の身体がよく知っている。けれど、匿名のその手紙は、それだけでは物足りないというように生々しい言葉が書き加えられていた。
『胸がでかい』
『こいつ先輩とヤりまくってる。俺にもヤらせろ』
 色んな人間が書いた文字が、クラスの女子の名前とともに連ねてある。弁当で食べた生姜焼の味が、今になってムカムカと胸焼けする。くだらない。
 僕は即座に紙切れをたたんだ。廊下近くにあるゴミ箱に捨てようと、握りしめるけれど、牽制するように振り返る奴等と目が合った。
(……名前、書かれてなかったよな)
 視線を逸らすと、ふと、窓際で静かにうつむく望月が視界に入った。
 望月が男子の対象にされていないことに、ほっと溜め息をつく。
 斜め後ろから眺めていると、短く切り揃えられた黒い髪が、昼間の温い風に揺れた。セーラー襟の上で、耳たぶも、うなじも、透けるように白かった。
 回覧中の紙切れを手にしたまま、僕は暫くそのまま眺めていた。五限目の授業の眠さを覚ますほど、白く、眩しかった。

   ☆

 期末テストが終わった。
 年明け、地区大会を迎えるサッカー部はいよいよ練習を強化し始め、僕はさすがに簡単に帰りにくくなった。そのせいで望月との天体観測時間に少し遅れて、河原に到着した。
 本格的に冬に入ったのだろう。太陽の沈む時間が早い。河川敷は草むらも水面も真っ黒にのっぺりと塗られていて、重く沈んでいた。その中で、一人佇む望月を見つけると、そのまま呑み込んでしまうんじゃないかと心配になるほどだった。
「あ、来た来た」
 こちらが声をかけるより前に、僕の足音を拾って振り返る。さすがに制服にマフラーだけでは寒いのか、望月も中学校指定のコート姿だ。
 機嫌の良さそうな声は多分、空気が澄んで空がよく見渡せられるからだと推測がつく。
「今夜はシリウスが眩しいよーー」
 指指す先には、オリオン座の左下辺りに、周りの星を蹴散らすように真っ白に発光している。シリウスという名前の恒星は、ここでの天体観測で教えてもらった『冬の第三角形』を作る一等星のうちの一点だ。太陽を除けば、地球から見て最も明るいんだという。
「シリウスがあるのは、おおいぬ座、だっけ」
「正解! すごーい、宇都宮くん。勉強熱心」
 大袈裟に感心されるところを見ると、僕はあまり出来のいい生徒ではなさそうだ。
「ここで初めて話した時はオリオン座も言えなかったのに。やるなぁ」
「星座なんて理科の授業にやったのか覚えてなかったよ」
「でもずいぶん覚えたよね。……じゃあ、オリオン座を構成する星の名前は?」
「それ、今回の定期テストの範囲だっけ」
「私からの期末テストだよ」
 いたずらに笑うと白い歯がキラリと覗いた。得意げな顔は、教室での姿か想像もできない。
 この時間の、この場所だけで見られるものだ。
「……星座みたいだな」
 ポツリと呟くと、すかさず、
「え、何? 」
「何にも」
「えー? へんなの」
 僕に追求してこないと分かって、望月のはしゃいだ声が心地いい。決まった時間、決まった場所だけで見ることのできる笑顔みたいで眩しい。
 それは冬だけに見える星座のように特別になっていた。
「……最近、何か回ってるよね。手紙。男子の間でも」
 突然、神妙な声で言われ、振り向いた。黒く輝く瞳に捉えられる。
 昨日回ってきた、女子を品定めするような手紙の存在に、望月も違和感を感じたようだった。好奇心ではない、伺うような静かな声音が寒空の下で響く。
「……ああ、あれね。くだらない内容だよ」
「ふうん……」
 興味があるのかないのか、納得したような顔だ。
(もしかして、気を遣ってくれたのかな)
 興味のない振りをしながらも、僕が根も葉もない男女間の噂に巻き込まれやすいのを、望月なりに心配してくれたのだろうか。
 冷たい空気の中で頭が冴えてくる。
「そっちこそ大丈夫なの。……家」 
 星を眺めるきっかけは両親の不仲だと言っていたことを思い返し、ゆっくりと口にする。
 こんな遅い時間に一人でいる時点で、家に居づらいんじゃないんだろうかと想像に難くなかった。ああ、と納得したようにすぐ返事が返ってきた。
「もう慣れたよ。今はあの人達、冷戦状態だから静かなもんだよ」
「……慣れたって、それに冷戦って……」
「んー? あの人達、お互いに浮気してるんだよね。早く別れればいいのに、そのへん何故か臆病でさ」
「……弟小さいんだろ、大丈夫なのか」
「もう小三だもん。野球クラブ入って家に寄り付かないし、前ほど私に懐かなくなったしね」
 明るい返事で安心した僕を裏切る言葉が、つぎつぎと望月の口から流れていく。闇をも吸い込むような矢川へと、望月の鈴のような声が飲み込まれていく。
「だから、こんな時間に家にいなくても問題ないんだ。あの人達、私に興味ないもの」
 予想外の返事に僕は戸惑う。やっぱり演技が下手だ。
 どんな言葉を用意しても無意味になる。すると、困ったように眉を下げながら、それでも僕を見ながら、望月は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ありがと、宇都宮くん」





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