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君の人生は一回じゃ惜しい

自分は何もしないくせに、いっちょまえにマウントだけはとるという謎の態度、あれは一体なんなんだろう。恥ずかしくないのだろうか。とりわけイエスマンに多い気がする。そしてダントツ、男に多い。嫉妬心からくる羨望のまなざしなのだろうか。負けたくないという闘争本能なのだろうか。どちらにせよ、人に嫉妬する暇があったら、なんでもいいからやってみたらどうだと思う。負けた気になっているなら、なんでもいいからやってみろと思う。文句を言う権利があるのは、それからだ。

下の名前で呼ばれることの少なさ

天候と同じくらい情緒不安定になっている日々だが、ようやく関東は梅雨が明けそうだ。冷房がない家なので真夏がくるのは恐ろしい反面、例年、夏場の調子はすこぶるいいというデータがある。自分のことを頭の人かもしれないと思っていたが、体を動かすと普通に幸せになれる人なのかもしれない。

話は変わるが、私の下の名前は「正道」という。正しい道。名前というのは親から最初に与えられるプレゼントなのだと思うが、幾分、この名前を好きになりきれないでいた。第一印象として古くさい。が、この頃、歳を取るにつれて徐々にこの正道という名前を気に入り始めた。

理由を考えてみたい。まず、古くさいとか新しそうとかそういうのがどうでもよくなった。そして、正しい道という意味合い。20代の頃までは正しさとは何かという疑問があった。今はそれが変わり、単純に自分の道を行けばいいということだなと思うようになってから、この名前の持つ意味を受け入れられるようになってきた。

第三に、下の名前で呼ばれる頻度が増えた。とくに彼女からまさと呼ばれるのだが、最初は下の名前で呼ばれたことがほとんどなかったので、少し慣れが必要だったのかもしれない。今は完璧に慣れ、下の名前で呼ばれても違和感はなくなったが、まさみちと呼ばれると「誰だ」という気持ちになる。

母からはまーくんと呼ばれ、父からはなんと言われていたのかさえ思い出せない。「お前」だった気がする。父による命名というのもあって、受け入れにくかったという理由もあるのだろう。自分の名前を好きになるには、繰り返し愛を以て呼ばれたりする必要があるのだろうと思う。

人生一回じゃ惜しい

昨夜、彼女から、「まさの人生は一回じゃ惜しい」という、この世に生まれたことをすべて肯定してくれるかのような最大限の賛辞を受けた。まさか、こんなことを言ってくれる相手と巡り会えるとは夢にも思っていなかったわけで、昔の自分に希望を持たせるためにもお告げに行きたいとさえ思う。

自分の人生は他人の人生と比較することはできないが、世間体のような、この世に与えた好影響という物差しで測ると、その評価は当然低い。いや、スピリチュアル的な観点があるなら、もしかしたら、自分の存在によって何か尊い影響を及ぼしているなんてことも考えられるが、実際、低い。

別に自分のことを卑下したいわけではないけれど、高い税金を払っているわけでもない。そういった評価軸でものを考えると、自分という価値の存在が揺らいでしまいそうで不安定な気持ちに汚染されるが、目の前の人に与えた影響を考えるとまた尺度が変わってくる。

恋人も含む家族に支えられてきたと書くと一種の気恥ずかしさがあるが、実際にそうだ。この関係性の中に、客観性はない。すべてが主観の中。それを評価という言葉で例えると、一気にテンションが下がる。評価ではなく、「君の存在があることが僕に人生において最高の贈り物だよ」の一言でいい。

たった一人の人がそう言ってくれるだけで、充分、これからを生きる原動力になる。君の人生は一回じゃ惜しい。俺はこうした言葉を恥ずかしげもなく伝えていける人でありたいなと思う。そして、愛のある言葉を素直に受け取れる自分でもありたいと思う。

警察官の前でビンタ

素晴らしい人生とは何か。目の前の人を喜ばすことではないだろうか。遠くに生きている人に愛をもたらせる人は尊いが、それさえまずは隣人を愛することから始めるものだろう。現代は、隣人からの愛より、遠くの人からの認知を重要にしている社会だと思う。

最後にまた面倒な話をして終わりたい。自分の人生がガクッと悪い方向に揺らいだ瞬間はいつだったのだろうかと思いを馳せていた。この場合の悪いとは、「人を信じられなくなった瞬間」のことである。

12〜13歳くらいまで静岡の片田舎に住んでいた。父が逮捕されたことを機に千葉に引っ越したのだが、ちょうど父が捕まるか微妙な頃に、やはり父の態度は変わっていた。それまで身内愛がやや強く、家族には手を出したりしたことはなかった。

それが引越し前のある日、母に対して父が激ギレしたことがあった。理由は覚えていないけれど、あの日の鮮烈さというか、「人間ってこんなキレ方するんだ」と思ったくらいインパクトが強かった。

その静岡の田舎で、父は有名なトラブルメーカーだったので、悪評が広がりまくり、恐喝や恫喝やらの理由で捕まりそうだったことが父の苛立ちと関係していたのかもしれない。それを機にアパートも追い出されそうだった。

前置きが長くなったが、そして、ある日のこと。隣の小さな一軒家に住んでいるパティシエのおじさんがいたのだが、当時、その人の飼う犬を散歩に連れて行ったりと、たぶん、それなりに仲良くしていたはずだった。

が、何があったのかまでは知らないが、急に父とその人の間でトラブルが起きたようで、12歳くらいだった自分は、なぜか、その人に向かって文句を言ってこいと指図されるようにまでなっていた。

その日、アパートの前に父、パティシエのおじさん、警察官が二人いたと思う。で、父におじさんに向かって文句を言うように呼ばれたので、どうしていいのかわからなくなって、キッチンにいる母に相談した。ら、「あの人はああ言えばこう言うよね」と言った。

ので、それを真に受け、矢面に立ち、かなりビビりながら、おじさんに向かって、「あなたはああ言えばこう言う人だ」と言った瞬間、父に猛烈な力で平手打ちされた。「なんだその弱腰は」的な理由で引っ叩かれた。

そのときの警察官の対応がお粗末というと失礼だが、ありがちな、「まぁまぁ落ち着いてお父さん」みたいな反応で、子供ながらに「大人ってこんな役立たずなんだ」ということが脳に刻まれた。

話の是非はともかく、このときあたりから、大人への信頼感が崩れ始めた気がする。その後、父が拘置所にいる一年半の間は幸福だった。父が出所してからの二年弱は地獄だった。

書きたいように書いてきてしまったが、一度、失った信頼は取り戻すのは難しい。大人になった今も、大人に対する不信感は拭いきれていない。だから一歩ずつ信頼感を取り戻すために毎日四苦八苦している。

頭では理解していても、心では苦手意識を克服できていない。第一に、自分への肯定感が著しく低い。たぶん、自分への信頼感と他者への信頼感は密接につながっているのだろうと思う。

隣の人を愛せないと誰をも愛することはできないと思っている。誰彼構わずでなく、まずは好きになった人をちゃんと好きになることから始めよう。そう自分に言い聞かせている。仮に裏切られたとしても、好きな人の面影まで嫌いになる必要なんてない。

君の人生は一回じゃ惜しい。崖の下に落ちた人生は、隣人による愛を受けるたび、再構築され、素晴らしい人生へと向かっていくのだろうと思う。子供は面白いから笑っているのではない。幸せだから笑っているのだ。その無条件の喜びを取り戻せる日まで、俺は生きていく必要がある。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。