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子供を育てない人生をいつか後悔するのだろうか?

一度は特別養子縁組を考えた私が思うこと


特別養子縁組を知って

不妊治療を諦めた私たち夫婦は、話し合い、いろいろ調べて特別養子縁組という制度の存在を知った。
「お母さんね、実はあなたの本当のお母さんじゃないのよ」
と主人公に打ち明ける育ての親と、それを聞いて衝撃を受ける主人公の図が頭に浮かんだ。
なんか色々と複雑そうだなと思いながらも、よくよく調べてみると、里親と違って特別養子縁組は、戸籍上(=法律上)育ての親の実子となり、産みの親の親権が無くなるそうだ。
これは名実ともに自分の子供として育てられそうだと思った。

特別養子縁組を希望する人は、児童相談所か民間の斡旋団体に登録する必要がある。私たちは児童相談所へ行った。養子縁組希望者として登録するためにはまず夫婦の下限と上限の年齢、法的な夫婦であることなどの条件があった。さらに研修や、面接、家庭訪問をクリアしている必要がある(条件面は今と違うかもね)。そして登録完了後も研修がある。
結構やることがいろいろある。
でもこれらの手続きを踏めば、自分たちも子供を育てられるかもしれないとワクワクした。

祖父母となる両親の理解

もし、養子を迎えることができたとして、子育てには私の両親にも協力してもらうこともあると思い、私は養子を迎えたいと伝えに実家に行った。しかし、両親は突然のことにパニックになったのか、あらゆることを言って養子を迎え入れることに反対した。

「実の子でも大変なのに血のつながらない子供を育てるなんて無理だ」とか「いつか産みの親が取り返しにくるに違いない(※)」とか「子育てなんか本当は地獄なんだから、産めないなら産めないでいいじゃないか。私は子供が居ない人生のほうがいい。」とか(笑) 
ちょ・・ちょっと待てよ、自分が育ててきた子供を前に言うかよ、そんなセリフ(笑)と思った。

※特別養子縁組は家庭裁判所の判決を受けて親権も養親に移るので、産みの親が取り返そうとして取り返せるものではない。

根強い血族主義

両親の意見は、日本の社会に根強くある血族主義というものだ。「血は水より濃い」という言い方があるように、血が繋がっているからこそ分かりあえるという考え方だ。

私はこれには疑問を感じる。コミュニケーションの重要性を軽視する考え方なので、戦争とか争いを生みやすい価値観だと思う。そして、血縁者同士がより分かり合えると思い込んでいるのは、血の作用ではなく、共通の家庭文化や環境で生きてきたから共通点が多いだけだ。血の繋がりを大事にするなら、夫婦はどうなるんだ。赤の他人がなぜこんなに分かりあえて愛し合えるのか。血族主義が役立つのは骨髄移植をするときくらいだと思う。

ということで、私は両親を説得することに失敗した。こういう正反対の価値観同士が妥協点を見つけるのは時間が必要だ。でもきっと可愛い赤ちゃんを見ればデレデレになって「氏より育ちだね」「貰って来ちゃったならしょうがないから協力するよ」「かわいい子供服見つけたから買って来ちゃった」と言い出すに違いない。

研修は子育てする人全員が受ければいいのに

特別養子縁組に登録するには研修を受ける必要がある。予約をして二日間の座学を受ける。そこで言われることは、

子供はあなたたちの為にいるのではない。子供はいずれ社会に返す。そのためにあなたたちがいるのだ。

どんな条件の子供でも育てる!という覚悟がないのなら、子育てはやめて下さい。

ということだ。他にも「子供の権利条約」について中学校ぶりにレクチャーを受けたり、とにかく「子供を持つことは大変だぞ!幸せになれるとは限らないぞ!お前に子供の権利を保障できるのか?将来何があるか分からないぞ!それでも育てる覚悟はあるのか?覚悟がない奴は子供を育てるな!」というメッセージがビシバシと発せられる。

そんなブートキャンプに参加して思ったのが、これ、養子とか関係なく子供を持とうと思った人全員必修科目じゃね?むしろ子供持つの免許制にすべきじゃね?ということだ。

キラキラばかりの子育てブログ

そして私が特別養子縁組を考えるにあたり、勉強させていただいたのが養子縁組して子育てをされている方々のブログだ。そこには子育ての喜びに溢れ、子供の成長をつづった、充実してキラキラした世界が広がっている。養子縁組登録研修(私が勝手なにつけた別名:ブートキャンプ)で聞かされた不安が吹き飛ぶような、前向きで素晴らしい子育てブログである。

私はバランスを取りたがる性格なので、キラキラ情報を見たら負の情報も見たい。後悔していると嘆いているブログを探した。しかし見当たらない。ブログ以外に養子縁組を扱ったドキュメント番組、アンケート調査などを調べてみたが、キラキラブログの情報量を10とすると負の情報量は0.1くらいしかない感じだ。この情報の偏りは不自然だなと考えた結果、私が出した仮説はこうだ。

仮説1 ブログはキラキラしたことしか書かない

仮説2 負の面があっても、それは養子に関するものではなく、子育てする人全般に言えることなので、特別養子縁組という枠組みで特筆すべき負の面はない。

仮説3 養子縁組で子育てしている人は、人一倍苦労と熟考して子供を得たので、覚悟ができていて、悟っているから苦労も苦と思わない。

ちなみに負の面を伝える情報は具体的には2つあって、一つは養子を迎えたけど孤独と育児ストレスで虐待してしまったというもの。もう一つは、子供が思春期になり、あまりに反抗的な態度に親も感情的になり、その際に子供に実は養子であることを伝え、子供が深く傷ついた。というもの。

一つ目のケースは養子とか関係なく、子育てする人全てに関わる問題なので私が知りたい事とはちょっと違った。二つ目のケースは養子であることを隠してきたためで、子供が大きくなってから事実を明かされるとアイデンティティの崩壊につながるが、今は子供に産みの親が他にいることを幼いうちからゆっくりと伝えていく(真実告知という)のが基本なので、防げるのではないかと思う。

子育てに成功も失敗もない

後悔していますとか、失敗しましたとか、そういう記事を読んで、そのマイナス面に果たして自分が耐えられるか考えてみたかった。キラキラでない情報を求めて執拗に負の面をあさっていた私であるが、あるときふと思った。もしかして、子育てに失敗はないのかもしれない、と。

「子育てというのは、親がするものだ」そういう単純な考えが、成功とか失敗という単純な価値観に繋がるのだと思う。人間一人が育っていく過程に、色々なものが関わっている。それに子供は育てられるばかりではなく、一人の人間として自発的に育つ力がある。一人の人間の生き様に対して親の一方的な価値観で子育て成功とか失敗とか言うのは視野狭窄であり、子供に失礼だと思う。

というわけで、特別養子縁組子育ての負の面をさぐる作業を辞めた。

特別養子縁組登録を解除する

私は特別養子縁組をするために研修や面接や家庭訪問を経て登録をしたけど、結局引っ越しを機に登録を解除した。そして引っ越し先でまた特別養子縁組登録をしようとは思わなかった。

不妊治療、特別養子縁組登録と子供を得るためにいろいろやった。その中で、子供って何だろうとか、子育ては自分にとって何だろうとか、人生で子供を持つ意味とか、夫婦にとっての子供とか、日本人の子育てに対する価値観とか、血族意識とか、家の概念とか、そういうのを社会学的、歴史的、医学的に本当にいろいろ調べて、保育園でボランティアしてみたり、乳児院で子育て体験を受けてみたり、子育て中の親戚の家で過ごしてみたり、そうして動き回っている内に私の中で子供を育てたいという気持ちが上手く昇華できた気がする。

子供に縁がなかったことを将来悔やむのだろうか?

まだまだ不妊治療すれば授かる可能性はあるかもしれないし、特別養子縁組登録を続ければ子供とご縁があるかもしれない。

でも、自分から求めていくことはもうないだろう。

子育てにまつわることを色々と調べて考えつくした私にとって、そこまで魅力を感じるものではなくなっていた。今の生活は十分幸せだし、自分の将来が楽しみでもある。将来、子供を持たなかったことを根深く悔やむこともないだろう。今の自分の決断はこれ以上ないくらい腑に落ちている。可能性の問題で100%悔やまないとも言い切れないが、悔やむとしたらおそらく「友達にお勧めされてた今季限定イチゴパフェ、食べないうちに終わっちゃったみたい。ちょっと食べてみたかったな~。」程度の感じだ。

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