子供を持たない人生の受け入れ方
今まで、不妊治療を経て子供のいない人生デビューを果たした私の経験を断片的に書いてきた。
今回は、不妊治療を経て子供を授からなかったことをどんな流れで受け入れていったのか書こうと思う。
私の経験が参考になるか分からないが、誰かの参考になったら嬉しい。
さぁ!赤ちゃんつくるぞ!
私が『不妊治療』を意識し始めたのは20代後半の頃。
結婚後、数年経ったのに妊娠しなかった。
おかしいなぁと思いながらも正社員で仕事も忙しく、本格的なクリニックでの妊活が不可能だった。
だから基礎体温を計り、自分達でタイミングをとっていた。
そして「なんか気持ち悪い。つわり?」「いつもより高温期が続いてる!」「下腹部痛だ。着床痛かも!」なんて自分の妄想で妊娠初期症状を感じては生理が来てガッカリってのを繰り返していた。
それから程なくして、それは妄想の妊娠初期症状ではなく、マジもんの体調不良だったことが判明。ある日、倒れて入院からの休職。
そんなこんなで仕事を辞めたタイミングで、晴れて正式な『不妊治療』を開始できたのだ。
さぁ!不妊治療専門クリニックで赤ちゃん作るぞ!
さて、不妊治療専門を標榜するクリニックへ行き、色んな検査をした結果、いきなり顕微授精にステップアップした。
どうやら自然妊娠は不可能だったらしい。
この時点では「原因と対策が分かって良かった😀私はこれで赤ちゃんを授かれるんだ!」とポジティブだった。
しかし、地獄の自己注射&採卵。どんなに頑張っても我慢しても妊娠しない。お腹に入れた受精卵の死亡通告(着床しない)。
希望と絶望のジェットコースターで振り回されて精神がやられて、私の妊活は終わったのである。
不妊治療をやめる気になる
よく考えたら「終わりにしよう」と決意して辞めたのではなく、逃げでしたね。
「この苦しみから今すぐ逃げたい。逃げないと自分が壊れそうだ。」という気持ちだった。
仕事を辞めた時、私の健康はボロボロだった。辞めて元気になって来たのに、不妊治療でまた自分で自分を痛めつけている。
ボロボロになった私を見て家族は心配してくれたし、私は家族を悲しませてしまったと反省した。それなのにまた自分を痛めつけていることに気付いて「もう不妊治療はやらない」と逃げた。
でも、その後もしばらくは、他の不妊治療専門クリニックを探したり、初診を受けに行ったりした。全然懲りてねぇ~💦
そんな中、当時は保険適応外で本当に高くて、一度の受診で諭吉(万円札)が飛んで行くのを見ているうちに、だんだんクリニックに足が向かなくなった。
赤ちゃんを産まなくても授かれる!
前の記事にも書いたけど、『特別養子縁組』という制度で赤ちゃんを育てたいと思った。
赤ちゃんを待つ間に子育ての練習をしないとねって、乳児院で研修を受けたり、保育園でボランティアしたり(おむつ替えの練習もさせてもらったなぁ)。私は子供の頃から赤ちゃんが大好きだったから、この体験は楽しかったな。
妊娠出産子育てのハッピーセットへの興味が薄れていく
でも、こちらが準備していてもなかなか赤ちゃんとはご縁がなかった。
そうしているうちに、前より子供を産みたいとか育てたいという気持ちが昇華できて(保育園や乳児院の赤ちゃんや先生たちのお陰かな?)、なんか、子供持たなくても良いかもって自然に思えるようになったのだ。
不妊治療を辞めてから、この境地になるまで大体3年くらいかかった。
それでも気持ちがゼロになることなんてなくて、古傷のようにたまにジクジクすることもある。
年齢という山を越えて
それからしばらく経って、私は35歳を過ぎた。何となく子供を持つなら35歳までにと自分の中で決めていたので、タイムリミットが切れたことで益々私の気持ちは揺らがないものになっていった。
私は子供を持たない。
そういう人生になるなんて、全く予想していなかったけど、それも面白いかもって肯定的にとらえるようになった。
社会的圧力にやられる
ここまで乗り越えるの、私の中では結構時間かかったと思っている。
でもね、「子供を持たないと決めた女性の集り」に参加したら、死ぬまで子供が持てなかったことにとらわれるだろうって仰る方もいた。
本当にこれは人それぞれだと思う。
どうしてそんなにとらわれてしまうのか。
それは一つには個人的な子供への想いの強さがある。そしてもう一つは「子供を産むこと、育てること」への社会的な圧力や偏見があって、いつまでも意識させられるからだと思う。
私は後者にも苦しんだ。
自分ではもう子供を持たないことを受け入れたんだけど、メディアから、友達から、義理の親から、同僚や上司や後輩からと、ありとあらゆる角度から子供を持たないことについて優劣めいた発言をされる。
「子供はいたほうが良いよ」という直接的なものから、子育て世帯しかターゲットにしていないサービスを見て社会からはじかれた気分になったりね。
この雑音のような外圧が、子供を授からなかった私の心のヒリヒリしたところを刺激した。
そしてその刺激によって恨みみたいな、子供がいる友達を羨んだり、子供に恵まれたことを妬んだりする暗い気持ちが湧いてきた。
暗い気持ちを持つ自分が嫌で苦しんだし、人との付き合いも辛くなった。
無いものを嘆くより、あるものを大事にしたい
そんな気持ちが大きく変わったのは、夫が病気になってしまった時だった。
偶然重大な病気が発覚して、そのまま緊急入院。
こんな時こそしっかりしなきゃなのに、私はオロオロするばかり。夫に付き添って病院にいる時も、夫じゃなくて私ばかり泣いて、医師に気を使わせていた。
その時、本当にこの世の終わりという気持ちだった。
早く元気になって前みたいに暮らしたい。
夫がいるだけで幸せだったということに気づいた。
幸い夫は無事退院し、しばらくしていつもの日常が戻った。
なんだ、私、子供がいなくてもめちゃくちゃ幸せじゃん。
最高の毎日じゃん。
外野が何を言おうが、今、存在しないもの(=子供)によって苦しみたくない。
子供がいないのが私の個性。
大好きな夫が元気で居てくれれば幸せな毎日だ。
あの子も私も大差ない
達観したからか、今まで見えなかったものが見えるようになった。(お化けじゃないよ)
今まで羨ましい、妬ましいと感じた子育て中の人やら「子供つくりなさい」的なメディアの発信が全然キラキラともチクチクともしないのだ。
子供がいてもいなくても、それが幸せかどうかは人による。
目の前の事に幸せを見出せる目がなければ、子あり子なし、既婚未婚、関係なく常に何か足りないと思って生きることになってしまう。
たぶん子供がいるかいないかは、幸せかどうかと関係ない。あの人もこの人もその人も、私と大差ない。でも同じじゃないそれぞれの人生を生きている。ただそれだけ。
そう考えるようになってからの私は、色んな事から解脱できたみたいだ。
そして今は想定外だった自分の人生を改めて設計中だ。なんだか前より自由に描ける気がするし、素敵なものに育てたい。そんな気持ちだ。
あなたがどうなりたいか教えて
子供が欲しくても持てなかったという人が、それをどう乗り越えて行くかは本当に人それぞれ違う。違うべきだとも思う。
人と比べずに、自分の気持ちを大切に。
壁を乗り越える人もいれば、地面にトンネルを掘って抜ける人もいれば、壁をながめながらそこで暮らし始める人がいて良いのかもしれない。
何年経っても、ちょっと残念とか寂しいとかいう気持ちがゼロになることは無いのかもしれないけど、子供を持ちたいという気持ちは時間の経過とともに私の心をざわつかせないくらいにどんどん薄くなっていく。
一度持った気持ちは白紙には戻せない。でもそれこそがその人が持つ人生の色味だと思うし、優しさだったり寛容さだったり、人に共感できる力になる。キレイゴトに聞こえるかもしれないが、これは本当だ。
本当に人それぞれの人生だ。
正解は自分で作っていい!と思う今日この頃。
私は子供を授かりませんでした。
でも、今、幸せな毎日です。
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