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「親に愛されていたと思いたかった」という呪い

私はいつも愛情にとことん飢えている。相手は男性であったり友人であったり、いろいろなのだけれど、かまってくれる人、承認してくれる人、愛してくれる人、助けてくれる人などに非常に固執し、依存しようとしてしまう。依存したいがために、そこまで好きではない相手でさえ良いところを無理矢理探そうとするところすらある。

こういうことに関して、「自分が幼少期に愛情不足だった」と思った事はなかった。いや、「親の愛を受けなかったはずがない」。そんな幼少期の記憶を思い出そうとすると、私の脳は少し複雑な働きをする。脳が何かを隠そうとしている。今までそれには気づかずに(正しくは気づかないフリをし続けて)「やっぱり私は幸せだった」「愛されていたのだ」という表層の記憶が深層の記憶をに"もや"をかける。
実際、母はとてもいい人だったし、明るく優しく愛情深く振る舞ってくれた。

しかし私には、忘れていない記憶がある。

母は、私が自分のせいで母を母を怒らせてしまったと思って泣きながら謝るとき、いつも「そんなに謝らないで!私が悪いみたいに聞こえるでしょう!」と必ず冷たく繰り返した。

私には、いつもこの言葉の意味が分かっていなかったが、でもどこかで母は保身がしたいのだ、子が泣き止むかどうか、悲しいかどうかよりも、自分の「"祖母からどう見られるか"という体裁が気になっているのだ」と言う事は分かっていた。
そしてそれがきっと少し、いや、かなり寂しかったのだ。


実際、母は姑である祖母にひどい嫁いびりをされていた。私はそのことを知っていたので、いつも母の肩を持たなければと言う思いがあった。

しかし、人間、泣いている時と言うのは本当に切羽詰まっている時である。子供の頃から自閉症で、癇癪持ち且つヒステリックだった私は、よく泣いたし怒っていた。そして何よりも、泣いているときには「母を怒らせてしまった / 申し訳ない」と言う気持ちと、「とにかく謝ればことが済むのではないか / 全てが収まるのではないか」と思ってごめんなさいを繰り返しながら泣いていた気がする。それが母からの視点によっては、祖母から見て自分が悪者に聞こえると言う判断になっていたのだろう。

私は今でもすぐに謝ってしまう。目の前の人が不機嫌になった時(それが私のせいではないとしても)、相手に見離されたくない時、嫌われてしまいそう、怒らせてしまったかもと思う時、考えるより先に口をついて出るのは「すみません/ごめんなさい/怒らないで」と言う懇願の言葉たちである。


幼少期の1番最初に、何があってごめんなさいを繰り返してしまう子供になったのかは思い出せない。
それでもやはりはじまりはそこだろう。

本当は誰にも依存したくない。依存するということは相手に利用する隙を与えると言う事でもあるし、自分もとても脆くなる。誰かがいてくれないと生きられないなんて。もちろん自立はいろんな人の助けを借りることではあるけれど、いつもみんなが暇なわけではないし、私を幸せにする言葉を上手にかけてくれるとも限らない。

自分の心の平穏を他人に頼るのはとても儚く、不安なことだ。できれば避けたい。

謝らないと生きていけないこのスタイルを直したい。嫌われたって生きていて良いのだと思えるようになりたい。親からきっと愛されてはいたけれど、その愛が「純粋に私を想うだけの100%の愛であった」「母は完全なる母であった」と言う願望を含んだ幻想を捨てたい。

過去の事実を認めて、私は子供の頃から「母に手放しに守ってもらっていたわけではないのだ」ということを認めることで、こころを自衛し、良い人間関係を築くための次のステップに進みたいと思っている。



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