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ショートショート#12 黒服

「昨日、あそこの交差点で『黒服』を見かけたのよ。もしかしてこの街にもそんな人がいるのかしら。」

道端で繰り広げられる夫人たちの世間話を、エフ氏はたまたま耳にしてしまった。まさかあの「黒服」が実在しているだなんて本当なのだろうか。


黒服。それは今の世の中において最も出くわしたくない存在。
寒い日も暑い日も、年中真っ黒なコートを羽織っている彼らは、今日も世界のどこかの玄関をノックしていることだろう。

時代は総国民富裕時代に突入していた。
いつの時代だったか、子供を学校へ通わせるのに50%の学生が奨学金という名の良いローンを組まされていた時代もあったそうだ。
今は技術革新により幾多の新規市場や雇用が生み出され、一部の国ではまだ貧困層が存在するも、世界の80%の世帯が裕福な暮らしを送っている世の中になっている。

しかし、そんな世情にも関わらず未だ「借金」という概念は存在している。
今では辞書くらいでしかその言葉を見ることはなくなったが、「黒服」の存在こそが、債務者の存在をも証明していた。
つまり、黒服とは「取り立て屋」のことである。

昨今、フォーマルな場であろうが、葬式の場であろうが、“黒い服は着てはいけない”という風潮が生まれた。
フォーマルな場こそ色とりどりの服で個性を発揮すべきとされ、葬式の場でこそ温もりのある服装をすべきという一種の尊重の押し付けである。
さらにその流れを決定づけたのは「黒服」の存在であった。

彼らは全員真っ黒なコートに、真っ黒なハットを被り、目的の家の玄関をノックして回る。つまり、近所からは「黒服が訪ねていた家=借金のある家」という恥ずかし目を受ける象徴でもあるのだ。

今は裕福な時代ということもあり、エフ氏は生で黒服を目撃したことはないものの、テレビやネットで黒服が家を訪ねている動画を何回も観たことがあった。
実際にどんなやりとりが行われているのかは誰にもわからないが、黒服が訪ねた家はほぼ100%自宅を引き払わざるを得ないらしい。

風の噂では、家という財産を担保にしていたため引き払わざるを得ない、「黒服がきた家」という噂に耐えられず引っ越してしまう、債務者が強制労働をしいられる等々の噂が蔓延るが、実際のところ当事者と黒服以外の者は知る由もない。

逆に「白服」というのも存在するらしい。説明は簡単で、いわば黒服の逆である。
訪ねられた家の家主は白服から莫大な大金を渡され、一生安泰が確保されるとされるそうだ。
しかし実際のところ、白服はこの世の誰も目撃したことがないため、黒服とは打って変わって実際にいるかどうかも怪しく、ひと昔でいうツチノコと同程度の都市伝説と化している。

誰もが一生に一度「白服」に会えないかという淡い希望を抱えて生きている中、「黒服」がこの街にきているというのだ。
エフ氏はおぞましい気持ちがありながらも、若干の好奇心も抱いていた。どうせならば自分も黒服を生で見てみたい。
借金とは縁のない人間ならば、誰もが思う感情だろう。


エフ氏は家に着くと、一本の電話が鳴った。街のはなれにいる友人からだった。

「今さっき、初めて『黒服』を見かけたぞ!本当に全身真っ黒の姿で歩いていやがった。東の方に向かっていったから、もしかしたらもうすぐ君の家の近くかもしれないぞ。」

エフ氏は興奮し、友人に報告をありがとうと一言感謝し電話を切ると、すぐさま窓へ近寄った。
外を見ると、遠くから黒い影が見えてくる。なんと、あれは動画で見ていた黒服に違いない。本物の黒服だ。

鼓動が早まる。どこの家に行くのだろう。この辺ともなると全員知り合いだ。だが、みんな裕福な暮らしをしているように見えるが・・・。

段々姿が大きくなってくる黒服を、エフ氏はじっと見つめていた。
黒いハットを深く被り、表情は全く見えない。しかし、もう行き先は明確になっているのか、ペースは乱さずゆっくりと近づいてくる。

気づけば黒服は家のすぐそばにいた。大きい背丈に、細身の体つきは、黒い服と相まって不気味さを醸し出している。

すると、あろうことか、エフ氏の家にノックの音がした。まったく予想だにしていなかった展開だ。

エフ氏の鼓動の速さは最高潮に達する。なぜだ。自分は借金など抱えていない。黒服はきっと家を間違えたのだ。近所の人に見られていたらどうしよう。自分は借金を抱えていると勘違いされる。これはとんだ名誉毀損ではないか。
エフ氏は恐怖と怒りが入り混じった手で玄関のドアを開けた。
目の前には正真正銘、黒服の男が静かに立っている。

「すみませんが、人間違いかと思います。私は借金などしていない。あなたの勘違いだ。ここからすぐさま立ち去ってくれ」

エフ氏がそう言うと、黒服は低い声で返事をする。

「借金?勘違いしているのはあなたの方ではございませんか、エフ様。安心してください。私は借金の取り立てにきたのではございません。」

「では、なぜわざわざうちに?」

「この度、世界資産会議の抽選にて、あなたへの資金贈与が採決されました。これは宝くじよりも貴重なことですよ。人生10回は繰り返すことのできるほどの資金をエフ様にご用意しましたので、私はそのご報告にきただけであります。」

エフ氏は混乱していた。
それは「白服」の役目では?「黒服」は借金の取り立てではないのか?
戸惑うエフ氏の表情を見て、黒服の男は続ける。

「まさか、あなたは世間の『黒服』や『白服』の噂を信じていたのでしょうか。私たちは一度も借金の取り立てなど行なったことございません。ただ、資金贈与のご報告だけする職業です。」

エフ氏はまさかと思い、黒服へ尋ねた。

「もしかして、あなたは・・・?」

「今説明した以上でも以下でもありませんが、例えるのであれば、世間でいう『白服』といったところでしょうか」

エフ氏はやっと理解した。
本当の「白服」とは「黒服」のことだったのだ。

“借金の取り立てをする黒服”とは、ただ世間が築き上げた幻想である。
そして世界の誰もが「白服」を目撃していないという事実は、まったくもって自然なことである。なぜなら「白服」などこの世に存在しないのだから。

そうしてエフ氏は、黒服から莫大なお金を得たのち、すぐさま家を引き払い、遠い国の極上リゾートへと移って永住を決めた。


かつてエフ氏のいた街では、今日もあらぬ噂が飛び交っている。


「あそこに住んでいたエフさん、『黒服』が訪ねたらしいわよ。すぐさま家を引き払ったとか。まさか彼が借金していたなんてびっくりだわ。家を担保にしていたのか、近所の目に耐えられなくなったのか、それとも・・・」





「黒服」了

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