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ずっと探していた「幸せ」

小さな頃から

「幸せって何だろう?」

「私はどうやったら幸せになれるんだろう?」

「私は何で幸せになれないんだろう?」

って漠然と考えていた


教室の窓から外を眺めて

ぼっ〜と雲が流れていくのを見て

「あ〜私って何の為に生きてるんだろう?」

なんてアンニュイな気持ちに浸る(笑)

少し変わった子でした


でも、表向きは
『皆んなと同じ』

一般的な子でいようと
努めていたし
実際、私が変だとは
本当に仲の良い子以外には
バレてなかったと思う


なんでなのか、自分でも分からない
マイナスな気持ちをいつも抱えて
私はそれが何なのかもよく分からず

ただ明るいだけの子を
羨ましく思いながら
日々、鬱々として生きていた


今振り返ってみると

あの頃の私と今の私は
そんなに変わっていない(笑)


でも、その鬱々としていたカラクリが
分かるようになったのは
大きな進歩だと思う


私はずっと
自分の気持ちを感じないように
生きていたようだ

その頃、自覚もなく
ただ鬱々とした気持ちとしか
感じ取れていなかったけど…。


いつでも
周りの子の言うことを優先し

親の意見にそぐうように顔色を見て判断し

先生や世間一般的な意見を採用していた

家では姉の意見は絶対だったので

自分の意見なんて

早々に捨てていた


そんな風に流されて生きていると

心の中がよどんでくる


だって

「本当は嫌だったり」

「本当は違う方が良かった、」としても

それを選び続けてるんだから


心が悲鳴を上げだす


でも気付かない

それが当たり前すぎて

その感覚しか味わった事なかったから
異常なことだとも思っていなかった

いつも鬱々してるのが標準装備だった



それから、大人になり、
生きづらくてたまらなかった私は

「自分の気持ちを大切にして良い」
という概念を知る


カウンセリングも学ぶ


すると、、

私の心の奥には

あの頃、無理矢理、押し込めた

「本当は嫌だった、、」という感情や

「本当はこうしたかった、、でも仕方なく諦めた、」という悔しさや

「本当は
苦しくて苦しくてたまらなかった」

などの気持ちが
いまだに居座っていた事に気付いた


感情って
ちゃんと感じないと
消化されずに
その場にずーっと居座り続ける


嫌でも人の意見を選び続けていた私は
その蓄積が凄くて
気づくたびに
それはそれはしんどかった


でも、
その苦しかった、
辛かった、
悲しかった、を
改めて感じながら

自分に寄り添っていくと、、、


本当に不思議なもので
ふっと少しずつ軽くなっていった



感情を感じてあげる、
そのことを知れたのは
私にとって大きな財産になった


多くの人にも
埋まっていると思う


感じきれなかった感情たち


とくに小さな頃から我慢をしてきた人なら
驚く程多いと思う


その一つ一つを丁寧に見てあげる


その瞬間は
痛くて辛いけど
少しずつ柔らかくなっていく

その瞬間は痛くて辛いけど
自分を分かってあげられるほどに
安心感が増していく


得体の知れない鬱々さには
こんな感情が埋まっていたからだったんだ
と気付けたときの
スッキリした気持ち


「分からない」が一番苦しい


自分の感情や
自分の本当の気持ちに
向き合う習慣を
とってる人はどれくらいいるだろう?


私は皆無だったから
今、自分と向き合うようになり
(自分と向き合うための
コーヒータイムをとるようになり)

自己理解が進んできた


すると
自分の素質(hsp)や性格
小さな頃の気持ちなどが
明らかになっていく

自分で自分が理解できると
自分に優しい決断が出来る

周りに合わせて
無理矢理決めるのではなく

「自分はこれが苦手だから
やめておこう」

「自分はこれがやってみたい」
など

自分の気持ちに沿った行動が出来る


その積み重ねが
「自分を生きる」
ことだし
「自分にとっての幸せ」だと
今は思う



そんなことに気付けたことが
不幸中の幸いだし(笑)
学べたことに感謝している



これからの未来は
自分に優しく
自分の気持ちに沿って
生きたいなぁ〜と心から思う


自分の好きな服を着て
自分の好きな飾りを飾って
自分好みの人生にしていく


とっても地味だけど
幸福感はたっぷり感じられる


そんなていねいな暮らしが
私にとっては
心地よい♡


ここまで読んでくれてありがとうございます♡

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