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「ミニマリズム」の極意

 ミニマリズムとは、一切合切を排除する、いわゆる「断捨離」を意味しない。
真のミニマリズムとは、

与えられたリソースを戦略的に、賢く利用する


ことを最終目標としている。縮小よりも向上なのだ。
世間ではミニマリズムと聞くと、大抵は
「あー、モノを持たない人でしょ」
「断捨離する人だよね」
などと言う。
しかし、それは主体的にリソースを活用するために物事を厳選し、シンプルにした結果であって、その行動自体を指しているわけではない。
ここで言うリソースとは、モノを始め、人間関係や物事に対する概念といった抽象的な物事も対象になる。本当に大事なことに集中するために、余計なものを排除し、メリットを最大限に享受できる環境作りがミニマリズムなのである。

ミニマリストに対する多くのマキシマリストとは、

新しいリソースが目にとまるとき、少しでもメリットがありそうならとりあえず使ってみよう

という動機のもとに特に何も考えずあらゆることを利用している。有益生だけを考えて、とりあえず買ってみたり、とりあえずインストールしてみたり、とりあえず入会してみたり…。
つまり、いずれも完全な受け身になっており、この受動的要素の多い行動をとることによって、疲労感や注意散漫に繋がるのである。

しかしミニマリストとは、

自分が心から大事にしていることを基準に、利用すべきリソースを厳選しよう

という動機付けで、有益性よりも主体性を重視する。つまり、モノに支配されるのではなく、モノを利用してやる側に常に立っているのである。こうして目の前の作業に集中することができ、行動の最適化を図ることができるのだ。

マキシマリストの動機を見てもらえれば、その思考プロセスが、「不安」という感情と結び付いていることが分かるはずだ。
「見逃したくない」
「他人がやっているから自分もやっておこう」
「これを持っていればステータスになる」
という付和雷同の、いかにも日本人らしい非本質的な解釈が読み取れる。

また、モノを買う、ハイブランドを身に付けたいという物欲は大抵、
「不安を解消したい」
「心の隙間を埋めたい」
「満たされたい」
といった、心の問題から生じている。
「ハイブランドを持っていれば地位が高い」
といった、自己催眠の生み出した幻想が、メルセデス・ベンツやルイヴィトン等の金銭的収益のカモになっているのだ。

こういった人はモノを所有することに意味を見出だすが、しかしそういう時代もしばらくすれば無意味になる。
たまたま予想外にもコロナウイルスで自粛生活になると、不安を埋めるために、再びモノを買ったり所有したりする人が増えてしまったが、それでも今後、社会はモノをシェアするシェアリングエコノミーが発達していくだろう。

シェアリングエコノミーが促進すれば、今まで2,000万円無ければポルシェに乗れなかったのが、共同所有すればわずか500万円で乗れる時代がやってくる。他にも各地にシェアリングカーやシェアリングジェット機を配置しておけば、好きなときに好きな場所へ安価に出向くことができるようになる。

そしてこれからミニマリストたちが向かう先は、チャレンジングな行動の世界である。
モノの呪縛から解放され、最小限の必需品だけを身の回りに置き、不要なモノを排除して身軽になったミニマリストは、大胆でチャレンジ精神に満ち溢れた「行動」に繰り出す。

今まで誰も体験したことのないことや誰も見たことのない景色を探しに行くのだ。大胆かつ刺激溢れる遊びを通して、貴重な経験という財産を手に入れるのである。それは「お金」では価値が測れない。そう、お金で価値が決まるものは所詮はお金でしか価値が測れないのだ。そのようなものにいつまでも縛られていてはもったいない。

行動を重視したミニマリストが、AIと友好的に今後の世界を切り開いていけると私は考えている。

モノは分け与え、必要なときだけ自分が使う。足りない人には惜しみ無く分けて、楽しい体験を共有する。仲間たちと笑って、自分たちでエンタメをつくり出す。


身軽になって、頭脳を明晰にしたあとは、
思い切り大胆な行動をしよう。

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