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即時に変わらない「今」を殴り続けてきた


「今」を変えたいと願いながら、
この行動で明日の内容が変わるのかもしれないと希望を抱きながら、

生きてきたんだ。

その願いはあまりにも儚く散ることとなり、
散った破片が、又、自身の人格形成の邪魔をした。


できるかできないかよりも、
やるかやらないか。

成功者はそうやっていつも啖呵を切る。

そして、やってもできないと主張する人間にはこんなことを口にする。

続けられるかどうか。

世の中はそんな単純な言葉を欲する人が居て、
そんな単純な言葉によって自身の世界を変えられてしまう人も居て、

なんとも、美しいとは表現できない空間なのだ。

その二択の隙間に挟まり、踠く人間は、どちらかに付くことが最善とされる。


単純なこの世界で、
自分だけが複雑であるような気がした。

二分化できないことばかりだった。
できるとかできないとか、
するかしないかとか、
そんなことよりももっと、複雑な”今”を恨んでいた。


すると途端に、自分以外の人間が滑稽に思えてきて、
好きなタイプは「知的な人」だなんて口走っていた。

走り続ける景色は変わらない。
只、木々の横を過ぎ、又、緑を迎え入れるのだ。

その癖、歩いている人間には腹が立った。

同じ景色を見ることが許せなかった。

走り切った後に、汗を垂れ流し、膝に手をつき、
顔をあげると、

そこには、こちらへ手を差し伸べる涼しげな顔をした人がいる。


そうだ、
そうだったのだ。


「陰で努力する姿には…」

そんなことを、卒業アルバムの白紙ページに書かれていたっけ。


許せないことが多いだけの人間を、
皆が努力家と呼んだ。



許せないんだ。

変わらないことを、
自分の努力不足だと訴える自分が。


文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.