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もっとこう、なんというか、こう

謙虚でありながら、貪欲でいたことはあるだろうか。
それとも、貪欲でありながら、強欲でいたこと。

人に期待をし過ぎてしまったと気づいた時、また振り出しに戻ったかのように、謙虚で居ようと決意をしたり、そして関係性ができてくるとまた何かを求めるようになったり。

人はやはり、たった一つだけを望むことはできないのかもしれない。


当たり前なのだけれど、同じ場所で同じ食事をしても、胸の高鳴りが付与される人と、そうでない人がいる。

なんだか最近よくそんなことを考える。

人生を折り返しているかのような、夢の中で一度同じ経験をしたかのような、そんな靄のかかった、時間を過ごした。


もっとこう、、
頭の中で、何を良くすればいいのだろうと、考えていた。


こうして文字を書くときに思い浮かぶのは、胸の高鳴りを与えてくれた人間の横顔であり、人工的に装い、繕い、時間を共有した人間の顔は思い出すことができない。

いつも、初恋の人を思い出すと悩むことがある。
あの人にしようか、あの人にするべきか。
夢中になった人が初恋なのか、一瞬でも胸の高鳴りを覚えた人が初恋なのか。

そんなこと本当はどうでもいいのだけれど。


初恋だとか、昔の恋人というのは、思い出すだけで、こう、なんというか、うまい具合に感傷に浸ることができる。

今きっと、目の前の人間に、ああだこうだ思っていることも、きっと過去の恋人たちから得自分と彼らの価値観が混在したものからきた考えなのだろう。

そして、目の前の人間を眺めながら、
もっと、こう、
何かを求めようとする時、

それは、過去と比べた今に対する馬鹿げた理想なのだろう。



もしもいま、何かを望むことができるなら、
私はきっと、優しさでも愛でもなく、ときめきを求めるのかもしれない。






p.s たまにはこういう抽象的な文章もよいですね、と、こう浸っているのもまた、よいですね。

文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.