もょもと もっち

生態に謎の多いかえる好き。政治経済社会問題からガジェット修理、PCいじくり、さらには豆…

もょもと もっち

生態に謎の多いかえる好き。政治経済社会問題からガジェット修理、PCいじくり、さらには豆苗の育成までいろいろ。 pixiv→https://www.pixiv.net/users/82643137

最近の記事

ほどけた靴紐をむすんで

仕事で出会う人って、友人と違って共通点がほぼ無いに等しいせいか「ちょっと何言ってるかわかんない」率が高い。 分かんないからどうにか分かろうと頑張ってみると多少わかった気もしてくるんだけど、何かの拍子に「えっ!?」ってことが起きる。想定外みたいな。何でそういう考えになるんだ?って。 それまでの経験やベースになる哲学が共有されているわけでもないし、趣味も何もかも違う。あと、だいたい同い年ではないことの方が多いから共通の話題もなかなか難しかったりする。仮に同い年でも生まれ育った地

    • neuromancer

      先日、仕事で外へ出かけたときに、近所の桜がほぼ満開になっていたことに気づいた。その下を学ランを着た高校生が歩いている。かわいいなーと思いながら信号待ちの間見ていて、自分にもああいう頃があったんだよなーと考えていた。まぁ学ラン自体はまだ持っているし、たぶんまだ着れる。たぶん。ウエストがキツいかもしれない。いや、まだまだ... それはさておき、春というと出会いと別れ、入学と卒業、そして新社会人が生まれる季節。 というわけで、ぼくが進学した頃のことをちょっと書いておこうかなと思う

      • memento mori

         ぼくが割と今までコンスタントに聴き続けているバンドに「BUCK-TICK」がある。1987年デビューだから、今年で37年。調べたらドラクエ2やFF1と同い年だった。  初めての出会いは1997年ごろ。名前は知っていたけど曲は聞いたことがなく、周囲にもCDを持っている人がいなかった。とにかくいろんなバンドの曲を片っ端から聞いてみていた頃で、初めて聴いたのはたぶん「殺シノ調ベ This is NOT Greatest Hits」という再録ベスト盤(再録なんだけどこれを聴いた時

        • たいてい起きてる僕 たいてい寝ている君

          2011.3.11、その日ぼくは仕事を休んでおり家にいた。パートナーと2人で暮らしていて、パートナーは仕事へ行っていた。 ちょっと買い物へ行こうかと思っていた矢先、ガタガタと揺れ始め、その揺れはどんどん大きくなっていき収まる気配がない。 基本的にはそういう時、家の中にいた方が安全だし、うちには家具らしい家具もないのでなおのことそうだというのはわかっていたのだが、住んでいたアパートは築40年を超えたある種の歴史的建造物だったため思わず外へ出た。 幸い、すぐ近くに大きな見晴ら

        ほどけた靴紐をむすんで

          Living on the Net

          ぼくの世代は音楽を聴くにはCDを買う、というのが一般的だったので最近はやりのサブスクで聴くという形式はやや抵抗がある。 別にそれはそれで、未知の音楽へ触れやすいのでいいのかなとも思うんだけど、原体験というのはなかなか抜けないもので、音楽を手元にパッケージとして置いておくということ自体に充実感を感じる面がある。歌詞カードやアートワーク、紙の質感など、音以外の面での表現も音楽の一部というか。 でもネットでの配信やYoutubeでの公開であれば「動画」というもっと訴求力のある手法

          バンやろ

           「ファミコン」の回で書いたが、中学を卒業したのちゲーム持ち込み禁止の全寮制の学校へ進学したため、それまでの生活のほとんどを占めていたゲームに関連する趣味ができなくなってしまった。  当然、周囲の同級生たちも同じ状況だったのだが、お金持ちかつズル賢い奴は小さなTVとゲーム機をこっそり持ち込んでいたりした(ちなみに先生に見つかって没収されていた)。不思議とゲームボーイなどの携帯型ゲーム機は見かけなかった気がする。今ならnintendo switchあたりか。ちなみに当時はたま

          ファミコン

          ファイナルファンタジーシリーズにここ数年はまっている。今はピクセルリマスター版のⅡをプレイ中。20年以上ゲームに触れてなかった空白を埋めるように、ちまちまとプレイしている。 ふと、ゲームに初めて触れたのはいつ頃だったかなと思い返してみたら、いろんな思い出が甦ってきた。 小学生の頃にファミコンをやるようになった。当時、自分は本体もカセットも持っておらず、友人の家へ行った時などに一緒にやったり友人のプレイを見せてもらったりしていた。スーパーマリオ、ボンバーマンやワギャンランドな

          変化

           ぼく自身はずっと変わっていないつもりだが、年をとっていく中で見た目を含め、おそらく何年、何十年も前の自分と比べてみれば大きく変わっている面は多々あると思う。  いままで生きてきた中で、何度か周囲の環境が物理的に大きく変わったことがあるのだけれど、その度に交友関係が変化してきた。そういうこともあって、学生の頃からといった何十年も付き合いのある友人はいない。  そんな中、以前付き合いのあった人が今のぼくやぼくの生活などを見たとき、果たしてどう感じるのだろうかと、ふと頭をよぎる

          はじめに

           有名になりたいとか外部へ発信したい、と思うことはほとんどないのだけれど、全くないわけでもない。「じぶんはこう考えている」というのを周囲の人にわかってほしいと思うことはある。  日々いろんなことを考えたり、気づいたり、学んだりしている。でもいつの間にか忘れてしまう。そして、あとで「あーこれこの前のあれだ」と思い出す。  何か事象が起こった時に、その時感じたこととその後思い返して感じることには違いがでてくる。その時々の気持ちや考えはTwitter(X)に書いていたりはするもの