見出し画像

ファミコン

ファイナルファンタジーシリーズにここ数年はまっている。今はピクセルリマスター版のⅡをプレイ中。20年以上ゲームに触れてなかった空白を埋めるように、ちまちまとプレイしている。
ふと、ゲームに初めて触れたのはいつ頃だったかなと思い返してみたら、いろんな思い出が甦ってきた。

小学生の頃にファミコンをやるようになった。当時、自分は本体もカセットも持っておらず、友人の家へ行った時などに一緒にやったり友人のプレイを見せてもらったりしていた。スーパーマリオ、ボンバーマンやワギャンランドなんかをよくやってた気がする。ぼくは反射神経が無いのでとても下手だった。あとはガチャポン戦士とかもやってた記憶がある。
ぼくは戦略を立てることやパラメータを読むのが得意でない上に、そもそもガンダムにほとんど興味がなかったので、ガチャポンに関しては付き合いでやってたような気がする。今思えば小学生にして接待ファミコンやってたんだな。

そんな感じで特にハマることもなく過ごしていたのだが、実は親戚のおばさんがゲーム好きだった。すごく可愛がってくれる人で、週末によく家へお泊まりや遊びに行ったりしていたのだが、そこであるゲームに出会う。

あの名作、ドラゴンクエストIIである。

反射神経不要、戦略不要(本当は必要)、キャラクターがとにかくかわいい、キャラが話す、曲がかっこいい...一気に夢中になった。
ただ、のちにおばから聞いた話だとぼくのプレイは「ずっと街の中で話してるだけだった」らしい。会話というほどのものではないけれど、ゲームの中に人格を持ったキャラがいて話をしているっていうのがすごく新鮮だったのかもしれない。マリオやボンバーマンはしゃべらないからなぁ。

ドラクエもⅢが発売される頃には社会現象として取り上げられるようになっており、ぼくの周囲でもプレイする友人が多くなってきた。
そんな頃、先ほどのおばがふざけた事情でしばらくぼくの家へ泊まりに来ることになった。しかもファミコン本体と一緒に。おばはしばらくしてまた自分の家へ戻っていってしまったのだが、ファミコンと何本かのソフトはぼくの元へ置いていってくれた。

それからぼくのゲームとの変な関係が始まる。

友人のプレイを見ていたので、ドラクエなどのRPGはエンディングまですでに見ていた。話も大体知ってしまっている。そうなるとあまり自力でクリアするモチベーションが上がらない。
そんな中、元々キャラやゲーム内の世界そのものに興味があったぼくは何を思ったか「世界地図」を作りはじめる。

ドラクエ1〜4など、ファミコン時代のドラクエは完全なマス目でマップが構成されている。キャラクターもマス目通りに一歩ずつ歩く。
ぼくは方眼のノートを文房具屋さんで買ってきて、キャラを一歩一歩歩かせながらマッピングを始めた。まさかロトの血を引きし者たちも伊能忠敬をやらせられるとは思わなかっただろう。
街、ダンジョンはノートでも収まるが、ワールドマップは収まらない。そんな時はA3のグラフ用紙や方眼紙を買ってきてアラビックヤマトでつなぎ、地道にマッピングをした。
マス目の大きさも初めは5mm方眼だったが、いろいろ試行するうちに3mm方眼が1番使い勝手がよいことに気づいた。地形も色鉛筆で塗り分けたり...

こうして、いわゆるマッピング作業をしていると否応なしに長時間接するものがある。BGMである。
作業中、途切れることなく延々と流れ続ける音楽。
ファミコンの曲はだいたい電子音3音で構成されていて、最低限度のとてもシンプルな作りだ。ずっと聞いていると、メロディーを追っていた耳がそのうちベースラインを追うようになってきた。和音とかコード進行とかそういう理論なんて知らないので、単純に「メロディとか低い音とか、バラバラな音同士がなぜこんなにうまく調和してるんだろう、すごいなぁ」と思って聴いていた。

そのうち、ゲーム機の主流はファミコンからスーファミへと移行していく。スーファミになると画像も音楽も格段にレベルアップする。音楽に至っては音色が増えただけでなくモノラルがステレオになった。

当時はCDの普及が進みオーディオ機器がそれまでの大型コンポからミニコンポやラジカセへと急激に移行していた時代で、ゴミとして一昔前のオーディオ機器がよく捨てられていた。昔から機械や電子系のエンジニアに憧れがあったぼくは、そういうゴミをしょっちゅう拾ってきては分解したりしていた。仕組みはよくわからないものの、何度も分解して壊し、図書館でオーディオの本を借りてきて調べたりしているうちに、何となくどういうことをやっている機械なのか、ということがわかるようになってきた。中学に入る頃には拾ったゴミの組み合わせだけでコンポを一式揃えてしまった。
ゲームの音楽をカセットテープにテレビから録音したり、レンタルショップでサントラを借りてきてダビングしたりと、音楽そのものはもちろん、そういう作業がとても楽しかった。

一方のマッピング熱も相変わらずで、中学になるとウィザードリィという超マッピング命なゲームに手を出してしまう。スーファミ版の5はオートマッピング機能というぼくの作業を奪うような機能が付いていたが、細かい情報は記録されないので結局は自分でノートに書き込みをしていた。

そういった調子だったので、いっぱいプレイしているように見えて、実はリアルタイムで最後まで自分でクリアしたゲームというのは少ない。手だけは幅広く出していたんだけど。ドラクエは1〜6まで持っていたがクリアしたのは1と4だけ、FFは1〜4まで持っていて3と4のみ、Wizは1〜5のうち5だけクリアしている。

やがて中学を卒業し進学することになったのだが、進学先は全寮制でしかもゲーム機持ち込み禁止。そういう事情もありゲームから遠ざかってしまい、そのままゲームをやることなく卒業、就職、、と現在に至ってしまった。

最近「ゲームゲノム」というNHKの番組があって、その中でいろんなゲームにまつわるエピソードや世界観、込められた思いが紹介されていた。今にして思えばぼくはそういう「製作者の考え」に触れることが楽しくてあの頃ゲームをやってたのかもしれないな、と番組を見ていて思った。当時はそんなこと意識してなかったんだけど。

いろんなゲームの楽しみ方がある中で、ぼくはかなり少数派な関わり方だろうなとは思うけど、そんな関わり方ができるくらい、名作と呼ばれるゲームは全方位に完成度の高い作品たちだったんだろうなとも思う。
あれから何十年も経った今、やっとぼくも正面からゲームに取り組む準備ができてきた。

さて、ヒルダ王女を助けにいくか...

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?